【拡大再生産研究④】拡大は目的?それとも過程?【宝石の煌めき】
前書き
自分の作りたい拡大再生産のコンセプトを言語化するためにプレイ済みのゲームから毎回1つ取り上げて整理していきます。
(ゲームの紹介が目的ではないためルールの紹介は省いていきます。)
前回はこちら
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2種類の解釈
「このゲームは何を楽しむゲームか?」
宝石の煌めきはこの質問に対する答えが大きく2通りに分かれる稀有なゲームであると思う(正確に言えばどちらの解釈をしたプレーヤーにも高い満足度を提供しているゲームが珍しい。作者の意図でない解釈に基づいたプレイをした場合大抵はがっかりした体験になってしまうものだ。)
①拡大が目的(カジュアル。俗に水平戦略)
拡大していく様を楽しむゲーム。
序盤はLv1を順当に増やしていく。そうしていくうちにレベル2以上のカードや貴族の獲得条件に手が届くのでそちらに狙いをシフトしていく。
Lv1を”無料”で取れる時は嬉しい
②拡大は過程(ゲーマー的。俗にいう垂直戦略)
15点を取るための最適(≒最短)経路を探し実行する(あるいはさせない)ゲーム。かなり序盤からLv2、つまり得点のついたカードを獲得していき、獲得カード数が10枚未満で勝利する。
『楽しさの核』OR『変化の為の装飾』
拡大再生産を核としたゲームが描く『成長(≒成功)の物語』は非常に多くの人間が好くものである。前回までに取り上げた街コロやドミニオン等はもちろんそうであるし、デジタルゲームにまで視野を広げればクッキークリッカー以降所謂放置系のゲームも完全にこれに当てはまる
しかし、この楽しさの核は対戦ゲームとして実装し、他人と比べる事になった時『格差(≒挫折)の物語』を紡ぎかねない。前回、ドミニオンがこの問題をどう解決しているかについて私見を述べたが、私の考える教科書的な解答は「拡大し、それを堪能させ次第さっさとゲームを終わらせる。」であったりする。
一方で、2時間級のボドゲで(メインシステムではなく装飾としての)拡大再生産はほぼ確実に含まれている。個人的には1時間級以上なら導入を考えてよい気がしている。
装飾としての拡大再生産的は1ゲーム中の各手番や毎回のゲームの体験(あるいはそこまでいかなくても状況)を変える手段としてそれだけメジャーな地位にある。
この2つの意図、基本的に両立は難しい気はしている。「体験に変化を生む」という意図が「拡大させる様を楽しむ」と解釈されたとき、「え、もう終わり?色々すごいこと考えてたのに…。」という不完全燃焼が発生している気はする。解釈をプレーヤーと共有するには…。ここは正直私にはまだ言語化できない
人の事まではわからないので、私の起こしやすい解釈のずれについて考えてみる。振り返ってみたが、どうも「大量のカードを目にすると拡大を楽しみたくなる」という嗜好(思考)の偏りがあると自覚している。テラフォとかアークノヴァとかあのあたり。(テラフォは初プレイ時、カード量を見て、本能的にチート級のコンボ作って叩き込みたい欲が出たが、早取りの5点と企業能力、カードの効果を見て「あ、違うな」ってなったのを、なんだったら「あー、この早取り狙ってく感じっすよね」とインストしてくれた人に確認したことまで覚えている)
疑問点(今後考えたい事)
”拡大再生産”
・「成長を楽しむ」というゲームの核として
・「変化を加え、飽きさせない」というゲームの装飾として
で分けているがこれでいいのかは少しだけもやっとしている。
<拡大再生産 お題12>
複数の解釈を成立しうるゲームとは意図的に作れるか?そこまでいかなくとも共通点等はあるか?
<拡大再生産 お題13>
両立は難しいとする。
せめて「体験に変化を生む」という意図で実装するときに「拡大させる様を楽しむ」という意図と誤解されない方法はあるか?(こういうことをすると誤解されるという忌避パターン可)
例えば、ハンザテウトニカあたりが「あれ、もう終わり近い?」というセリフを複数のプレーヤーから聞いたとメモしている。単に終了タイミングの設定の問題? まぁ、5人ならもう少し遅くてもいいのかなぁ
何かご意見等あればお願いいたします。