代表と覚悟を決めた理由

ある会社の役員もさせていただいています。
これも、聞かれる、疑問視されることのひとつかと。書いておきます。

僕は平成生まれで若くして直ぐに思い出せるだけで10回以上は他人の違法・犯罪行為、嘘や卑劣行為などで◯された経験があります。「人は3度◯ぬ」なんて言ったりしますが、「少なくとも3度は◯された」でした。

自慢にも洒落にもならないレベルの真実だったので、ほとんどの専門家もみんな助けないどころか、知ろうともしてくれませんでした。

中途身体障害者の親から始まり、健常者、スポーツ選手、障害者、貧乏、金持ち、低学歴、高学歴、日本人、外国人(留学)、子供、大人、ニート、会社員、医療従事者(国家資格)、原告、旅人、モテる、もてない、知らんけど、わりと様々な立場を実体験してきました。

そうしてこそ解ったことが、代表との「絆」、代表の覚悟や愛情、本物の倫理観などでした。もちろん35年もあらゆる立場で生きると、他にも親愛なる仲間が居ます。ただ、代表はお子様と奥様が4人、公務員という立場で決めた覚悟は、「相変わらず」ズバ抜けていたのでした。

そんな代表と僕は、小学生時代にサッカーの県選抜で出会い意気投合し、同じ高校サッカー部では「盛り上がっとらんよね~、、〇〇いこか!」で1,000人の全校生徒の前に2人でいきなり飛び出して行った程の仲でサッカーで何度も心臓の限界を共に体験した高校時代を過ごしました。

しかし、全国大会出場の連覇を自分たち世代だけ県大会の決勝戦で夢破れてしまい、静かに別々の道を歩むことになりました。(スタジアムで代表が大きなベンチコートをはおって、怪我でスタンドから応援していた僕の名前を「〇〇ー、ごめんな~。」と泣き叫びながら土下座してくれていた光景は、今でも脳裏に焼きついています。)

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今から10年程前の2015年初めに、僕がまさかの状況で代表と再会しました。そこは、大きな病院でした。(今、書いてて泣きました。)飛んできてくれた代表は、直ぐに病室をあとにして行きました。

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それから約10年後に(高校時代からは17年ぶり)に再会しました。また、飛んできてくれました。ずっとケアしてくれました。
気づけば直ぐに、代表の取締役となっています。

17年も待たせてしまった、2度も究極に悲しい気持ちにさせてしまった味方・居場所・誇りである相棒を、近くで応援させていただけることは、僕の生きがいや名誉であり、彼を深く想う形でもあります。

代表には、日本一有名になって、300億円を稼いでもらう必要があると考えています。僕は笑われても、大丈夫です。

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