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伊澤修二(「うた」におそわる)

伊沢修二は
1851年、高遠藩(長野県伊那市)
に生まれました。

そして、
明治3年(1870年)に
二十歳で大学南校(現東京大学の前身)の
貢進生に選ばれるのです。

南校は、特に
西洋の学問を修める学校で、
他に、国学、漢学を修める学校が
それぞれありました。

(南校が今の東大の前身ということは、
明治政府が国の教育制度の基本を、国学式や漢学式ではなく
洋楽式にする方針を採ったということですね。)


明治7年(1874年)には、
伊澤は、愛知師範学校長に抜擢され(若干24歳)
ここで日本で初めて
幼稚園のスタイルを作り
唱歌と遊戯を
子どもたちに教えたのです。

もちろん、これは
伊沢が独自に考えたことではありません。

ジョン万次郎から
英語を習っていた伊澤は
母校南校のフルベッキ(1830-98)から贈られ た
『ゼ、チャイルド(児童論)』などを読んで
欧米の教育思想に触れていました。


この試みに注目したのが、
文部省の教育アドバイザーの
アメリカ人、デイヴィッド・マレーで
この伊澤の教育実践みて
伊澤をアメリカ留学に推挙します。


明治8年(1875)
文部省の師範学校教育調査のため、
井澤は国の代表として
アメリカへ留学することになったのです。

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