「かへるとは」 01
かへるとはかねて思ふな家をたのむ
たのむとのらす我が面(おも)みまして
※ ※ ※ ※ ※
平井保喜作曲の歌曲集《雪華》
全18曲のうちの第2曲。
歌曲集の中では2曲目の扱いだが、
歌(和歌)の時系列では、これが最初となる。
女流歌人・野村玉枝は
明治44年(1911年)、富山県に生まれた。
十歳の頃から歌を詠み始め
地元の女学校を卒業した後に上京、
国文学者でもある歌人佐々木信綱の門を叩く。
彼の主宰する短歌会「竹柏会」で
研鑽を積みながら歌人の道を志したが、
師に諭され、郷里に戻り
陸軍大尉・野村勇平と結婚した。
一女をもうけたが、
やがてもう一子が生まれるという昭和12年、
夫に召集令状が下り、
中国に出征することになった。
出征間近の某日、
夫勇平は最後の帰宅許可を得て
野村家の自宅に帰ってきた。
実家に戻っていた玉枝は
夜半に夫の父からの電報を受け取り、
車を走らせて野村家に急ぐ。
野村家に戻り、
家族でいくばくかの
団欒を過ごした後、
子供を寝かしつけて
夫と向き合う玉枝。
ここからは
歌文集『御花車』に
詳しく記されている。
少し長いが、
ここに転載する。
※ ※ ※ ※ ※
あたりの書類を
全部きれいに片附けてから、
夫は私に
「一寸話しておくこと」
といふことを話してくれた。
「何だか元気がない様だが、
気分でもいけないのか」
と、言葉はやさしかつたが、
さゝれる様に私はつらく、
その最初のひとことを聞きとつた。
しかられてゐる様でもあり、
なぐさめられている様でもあり、
又深く教えられてゐる様でもあつた、
あの夜の言葉を、私は今一度
思ひかえすのである。
「お前は生きるといふことを
今までどんな風に考へてきましたか。
生きるといふことは
今日一日を寝たり起きたり
食事をしたりしてゐることでもあるが、
人間の生命といふ様なものは、
長生きの出来るだけをつくしても
百年とは一寸生きられない。
そこで、今私は戦場へ出る身だが、
戦争といふことはどういうことか
お前にもわかると思ふが、
とにかく命をとるか
命をとられるかといふことで、
その二つの一つなのだが、
まづ覚悟をしておく方が
あやまりがないと思ふのだ。
それに戦ひ甲斐のあるいくさだ。
一日も早く行きたいと思っていた。
一人の命としてみれば
ほんのささやかなものだけど、
みんなが心を一つに戦ふ時は、
その和ではなく、
倍数にもその倍数にもなる力が出て、
勝つことが出来るのだ。
そして、もしかへられなくとも、
本当に安心して
大きなお国の命の中に飛び乗って、
いつしよに永久に生きることが出来る。
さうすれば、個体としては死であるが、
一面からは限りない生命の発展だ。
人間としてこれ以上の幸福は
なからうと思ふのだ。
こんなことをいふと
自分一人のことしか考へてゐない様に
お前は思ふだらうけれども、
それも考へ方一つなのだ。
もし父親のない子供たちとなつても、
世の中の人たちは
見捨てる様なことはしないと思ふ。
どうか家のことはしつかりたのむぞ。
お前にたのんで安心して出るぞ。
両親は健在で、子供は二人もある。
これより安心して出られる身分は
ないと思ふのだよ。
お前もしつかりとたのむぞ。」
(続)