「食用蛙」追想
初めて「蛙」を食べたのは
何時の頃だろうか。
記憶が曖昧だが、おそらくは
中学か高1の頃ではなかったかと思う。
ウシガエルが食用だということは
小学校の時分には知っていたし、
中1の理科の実験では
各班に分かれて蛙の解剖をやったので
「ああ、この部位を食べるのだな」
程度の知識はあった。
・・・そういえば、解剖に使う蛙は
「各班ごとに蛙を捕ってこい」と、
授業の宿題として出されたんだよなあ。
田舎ならではの、
大らかというか、何というか、
なかなかに、ワイルドな宿題だったな。
解剖に使うのは各班1匹なのに
皆頑張ってバケツに10匹も捕ってきて、
それがまた逃げ出したりして
ワーキャーと騒ぎになったり・・・
もちろん、生き物の命を使って
解剖実験を行うのだから、
ちゃんと手を合せて感謝をし
解剖した蛙も手厚く埋葬するのだけど、
それでも実験中は妙にテンションが上がって
賑やかだった記憶がある。
私が生まれ育った町は
ヘビとかカエルとかが
当り前のように身近にいて、
雨の日ともなると
田んぼから道路に這い上がってくる。
その上を車が走るものだから
通学路の路上には
カエルの轢死体がゴロゴロし、
それを避けながら通学するという
非情にヘビーな環境だった。
(今もちょっとトラウマになっている)
それに比べたら
学校の教室で行う解剖などは
お遊びみたいなものだったが、
なまじ人より嗅覚が高かったせいか
カエルの臭いには閉口したなあ・・・
(カエルというより沼地に棲息する
両生類特有の臭いかも。
フナもザリガニも泥臭いのだけど
カエルとはちょっと異なる)
話がちょいと脱線してしまった。
そのような訳で
カエルが食用になることは
知っていたけど、
同時にカエルの何ともいえない
嫌な生臭さも知っていたので、
あまり食べたいとは
思っていなかったのだ。
そんな私が初めて蛙を食べたのは
中学の頃か、高一の頃。
父と一緒に「炉端焼きの店」に行き、
その店の壁に
「雀のチュンチュン焼き」と並んで
「カエル」と書かれたメニューを
目にしたのがきっかけだった。
「炉端焼き」というのは
70年代に流行した飲み屋の一形態。
店長とおぼしき焼き方専門の者が
店の真ん中にドンと陣取り、
彼の前には大きな炭焼きの炉。
炉の上には大きな金網がかかり
その横や前には砂地(灰地?)があって
串刺しにした魚を立てて焼けるようになっている。
その周りに食材がずらりと並べられており
さらにその周りをぐるりと
客のカウンターが囲っている。
客からの注文を受けた「焼き方」は
魚だの鳥だのを次々に炉にくべて焼き、
焼き上がった肴の皿は
助手が持つ巨大な木ベラの上に載せられ
そのヘラが客のいるカウンターまで廻されて
肴を受け取る仕組みになっている。
まあ、初めて入るとその異様さに驚くが
大きな炭焼きの炉を皆が囲っていて
山賊か海賊の宴会っぽい雰囲気がある。
そのせいか、メニューも
通常の魚や肉類だけでなく
「ゲテモノ喰い」系のものも
扱っていたりするのだ。
(広島県福山市近辺だけの
ローカルなメニューなのかも知れないが
私の入った数軒の炉端焼き店では
軒並み「スズメ」と「カエル」が
メニューに張り出されていたと記憶する)
・・・で、
酒の好きだった父から
「カエルがあるぞ、食ってみるか」
と勧められ、食べてみたのではあるが・・・
・・・うーむ、
見た目はカエルの足そのものだけど
(両足を伸ばした状態で串に差してあった)
味は鶏のササミを更に淡白にしたものだった。
でもって、
それを塩焼きにしたのだから
何というか・・・
「パサパサで、あまり美味しいものではないな」
という感想しか抱けなかったなあ。
カエル特有の生臭さが
全然なかったことだけは
有難かったけど・・・
(続)