「夢けやふり」 02
上海における
これら一連の経過は、
日本国内の新聞やラジオでも
連日詳しく報道されており、
多くの人々が危機感を抱いたようだ。
そして同年8月15日、
時の近衛内閣は「暴支膺懲」を掲げ
上海派遣軍が編成されることになる。
8月にかけられた最初の動員は
名古屋の第3師団と四国香川の第11師団。
更に9月には金沢の第9師団、新潟の第13師団、
および東京で新設の第101師団に動員命令が下り、
第9師団に属する富山35連隊の士官として
野村玉枝の夫である野村勇平に
召集がかけられたのだ。
野村勇平が妻玉枝に送った手紙のうち
遺書も含めた第三信までは
上陸前の船(御用船)の中で書かれている。
まだ実際に上陸し、
戦闘に参加した訳ではないが、
戦地上陸を前にしての緊張感は
ひしと伝わってくる。
これらの手紙を読んで
玉枝が出征兵士の妻として
覚悟をあらためたのは前回書いた通り。
そしてこの後に第四信が届く。
『二十一日午後二時半、
ウースン港ニ上陸
荷物ノ陸揚ヲ待チテ
午後四時ヨリ張宅ニ向ヒ行軍致候。
途中皇軍ノ爆撃ノ跡を見ツツ
夜行軍ヲ続ケ候。
処々ニ馬ノ死骸放置シアル為
嗅気鼻ヲ突クガ如ク、
方々ニ射撃ノ音聞エ候。
揚江鎮ニ於テ二時間休憩。
地理ノ不明ノ為ヒマドリ、
夜半二時頃夜宿シ、
午前五時頃ヨリ出発シ張宅ニ到着ス。
時ニ二十二日午前九時、
山砲大行李ノ近クニテ、
石黒光輝、斎藤重盛ニ会ヒ申候。
現在地ヨリ第一線マデ約二里
張宅ニテ露営シ、
今二十三日午前九時ヨリ
第一線ニ向ヒお申候。
〇〇兵団ハ
大場鎮、南翔ノ中間ニ向ヒ居ル由、
〇〇兵団、〇〇兵団、〇〇兵団、
〇〇兵団等多数出動致居候モ、
死傷並に病気多き由、
重砲並ニ〇〇砲も据エツケ、
飛行機ノ空爆モ居リ
昼夜ヲ問ハズ射撃ノ音ヲ近ク耳ニ致候。
敵機モ時々夕刻ニ空襲スルコトアルモ
左程ニモナキ由』
この第四信は上陸後、
前線での戦闘参加前夜に書かれ
玉枝の許に送られた。
ここまでは出征といっても
前線に至る途上であったため
手紙はさほどの遅れもなく内地に届いたが、
これ以降、手紙はしばらく途切れることになる。
夢蹴破り君が男(お)たけびいでてゆく
凜凜しきさまを又夢に見つ
ラジオや新聞からは
上海の戦況が伝わってくるが
夫からの手紙は途絶えたまま・・
そうした中、
玉枝が書いたのが
この「夢蹴破り」の一首である。
"おたけび"や"凛々しきさま"などの
勇ましい言葉とは裏腹に、
口には出せぬ妻の
切々たる願いを感じるのは
私だけだろうか。