断捨離をくぐり抜け
コロナのせいで人生2-3年分早送りされてしまった気がするのは、私だけではないだろう。
友達と「えーっとこの前一緒に点心食べに行ったのって3年くらい前だっけ?」とでも言うなら実際には4-5年前のことである。
だって、あの、家から出ちゃいけない期間があったもの。
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私は、たぶん、捨て好きの方だ。
正確にいえば捨て好きではなく、寄付好きか。
数年身につけなかったアクセサリーや洋服は、たいてい近所のチャリティショップにまとめて寄付する。
食器や絵、写真立てや鏡。
せっかく買ったのに無視された猫のためのアイテムも、動物愛護のチャリティに封を開けてないペットフードと共に寄付している。
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これ買ったのは5年くらい前だっけ、と思うと、実際には7-8年前なことが多い。
早送りされた例の数年もあるし、なによりも、コロナは暮らしの形を変えてしまったから。
家に籠り、自宅から仕事し、新たなネコと同居しはじめたその期間に、私は五十を迎え、体型も嗜好も人生の優先順位も変わった。
洋服や靴など外出するためのものよりも、少しいい枕のような家時間をもっと充実させるもの。
見た目のかっこよさより、着心地や履き心地。
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断捨離。
そんなにきっぱりと、断ち切って、切り離す意識はないけれど、持ち物の新陳代謝好きではある。
特に嗜好が変わったなら、なおのこと。
noteで、断捨離すると好きなものがわかるという一文を読み、ふと思った。
そんな日常的に行われている断捨離をくぐり抜け、今でも私の手元にある、自分と一緒に一番長くいるものってなんだろう。
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小さなアルミの雪平鍋は、祖母がずっと使っていたもの。
同じ時期に亡くなったこともあり、アメリカから帰って来て一人暮らしを始めるタイミングで遺品がごとく譲り受けた。
長い歴史はあるけれど、でも私と一緒にいた時間は、せいぜい22、3年というところ。
ワードローブで言えば、10代の時に清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったアクアスキュータムのウールのオーバーコートか。
Kちゃんのお姉さんが当時レナウンで働いていて、特別セールの招待状をくれた。
セール会場でその美しい橙色に惚れ込んで、思い切って買ったのはもう今から30年以上前のこと。
ライセンス品ではなく輸入ものだったのでいいお値段だったけれど、いまだに褪せず、崩れず美しい。いまだにロンドンのレストランなどでお褒めの言葉をいただいたりもする。
これまで着てきた期間で割ったら、本当にいい買い物だ。
このコートだってまさか東京まで来て売られたというのに、その後再びロンドンに戻ってくるとは思わなかったことだろう。
それからいえば、高校時代にミネソタのホストファミリーのお母さんからもらった小鳥のピアスは、今だによく使う。あれは1990年の夏。
アメリカから日本に持ち帰られて、その後またアメリカ、日本、そしてイギリスへ。
引っ越すたびにアクセサリーポーチで一緒に移動した。動線が長い持ち物でもある。
もう少し遡って、中学や小学校時代のものはあるかしら。
思いを巡らせて、心の目でロンドンのフラットの中をスキャンする。
今でもiPhoneに入っているホルストの惑星は、中学時代にY子からもらったカセットテープで初めて知ったもの。でも厳密にはそのカセットではないのだし。
あ、あった。
中学時代から読んでいたジェフリー・アーチャーの文庫本。
本は重いから厳選してお気に入りだけをと思いつつ、村上春樹の単行本や京極夏彦まで持ってきた。そこにどうしても削れなかったジェフリー・アーチャーも数冊入れた。
黄ばんで、そこここに茶色のシミなんかもついている。確か一冊には古い家族旅行で行ったお寺の入場券が栞代わりに挟んであった。
ということは、私が好きなものは本ということなのかしら。
最近、老眼が進んでからは。
そして仕事で文字ばかり追うようになってからは、ほとんど本もKindleも読まなくなってポッドキャストばかりになっている。
でも、せっかく日本で新しい老眼鏡を作ってきたのだし。
久しぶりにもう少しゆったりと、近所のカフェか公園で、本でも読んでみようかしら。
いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。