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素敵なマジック
アメリカのコーン畑の真ん中で、将来を見失った私は、大慌てで受験勉強をし直していた。
今から、20年以上も前のことだ。
ずっと高校時代から夢に見ていた海外で日本語教師をするという目標を実現したとたん、これじゃないということに気づき、あたふたと大学院の専攻を変更することにした頃。
日本語学専攻と違い、経営学専攻の求めるTOEFLのスコアはかなり高かった。
「英語のスコアを上げないと入学できないみたいなの」
同僚のナンシーに相談した。
彼女は私が日本語を教えていた学校の生徒向けカウンセラーで、上智大学に留学した経験があった。
「でもお金はないし、自分でやっぱりテキストを使って勉強するしかないかな」
そういうと、彼女が教えてくれたのは、地域ボランティアが開催している移民・難民向けの英語教室だった。
「みんなが座って授業を受けるといったカリキュラムじゃなくて、その人の進度にそって、アドバイスしてくれるのよ」
こうして、私は「せんせい」をした後の放課後、近所の図書館に行って「生徒」になった。
クラスのほとんどは当時中西部の州にたくさん移ってきていたモン人のお母さんたち。
ビルマからタイにかけて活動した民族。 6~7世紀にビルマにドゥヴァーラヴァティ王国、13世紀にペグー朝を建国。 16世紀以降はビルマ人に支配された。 モン人は、ベトナム人やクメール人と同じく、オーストロアジア語系に属し、現在のタイのチャオプラヤ川流域やビルマのイラワディ川下流域に居住していた。
彼らはもともとラオス、タイ、中国にまたがる山間地域に住んでいた民族だけれど、ベトナム戦争でアメリカに味方したため、その後の共産主義勢力の報復を恐れアメリカに逃れてきた。
私の教える日本語クラスにはたくさんのモンの生徒がいた。理由は、親近感と、アジア随一の先進国として日本のことを知りたいから。
そう、それはまだ日本の経済力が強いころだった。
先生は、隣の村で自動車整備士をしているティムというおじさん。
左利きのゴツゴツした大きな手で書かれる彼の文字は少しクセがあるけどとても美しかった。
「来週は感謝祭です。なので、今日はおはなしを読もうと思うから、7時になったらみんなロビーのソファエリアに集まって」
ある11月の夜のこと。
そうボランティア達が図書館に散らばる生徒達に声を掛けていた。
私はそんな絵本の読み聞かせには関係ない。そう思って少し低い机と椅子でTOEFL過去問のテキストと格闘していた私は、そのまま動かなかった。
「そろそろ始まるよ」
ティムがわざわざ私の机にやってきていった。
仕方ない、私は渋々席を立った。
「じゃあ始めるよ」
そういって、複数のボランティアが役を決めて読み始めたのは、「スープの石」だった。
♢
村一番のしわいやのおばあさんの家を旅人が訪れる。
何か食べ物をと尋ねる旅人に、おばあさんは「あいにくうちには何もない」とつっぱねる。
「ただ鍋を貸していただければいいのです。私はスープの石を持っています。これを煮込めば、美味しいスープが出来上がります」
旅人はかばんから石を取り出す。
おばあさんは半信半疑で、大鍋を火にかけて湯を沸かす。
旅人は石をお湯の中に落し、お湯をスプーンですくって口に含み
「なかなかうまい。これにジャガイモが少し入ると上出来だ」
おばあさんは納戸からしなびたジャガイモを持ってくる。
旅人は、また一口味見をして言う。
「ああ、美味しい。これに肉が入ればもっと美味しくなる」
お隣にきいてこようと、おばあさんは隣家へ行き、話を聞いた住人と一緒にウサギの肉を持ってくる。
こうして様々なものが村中から持ち寄られる。
出来上がった美味しいスープを囲んでみんなは久しぶりのご馳走を味わう。
スープの石のお話は知っていた。
けれど、感謝祭という背景、私も含めた移民たちが、思い思い散らばって座り込んだ図書館のロビーで情感たっぷりに読み上げられたそのお話は、またひときわ違う深いところに、スープのように染み込んだ。
♢
今朝。
植木に水をやっていた。
ただの水。
そしておひさま。
それだけでどうしてこんなに美しい花が、おいしい野菜が出来上がるんだろう。
そう思ったとき、あの凍えるような中西部の初冬の夜にみんなできいたスープの石のお話を思い出した。
そこにスープの石のマジックはない。
(我が家の愚猫はときおりしだれ桜の根元で肥料の貢献をしているみたいだけれど)
でも、あのときほんわかと感じた温かい気持ち。
今はロンドンの小さな庭で、ピンクのつぼみをつけたカーネーションをみながら。
さあ、水曜日。
今日もがんばっていこう。
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