エフェソスーそしてつながった
最終地、クシャダス(Kuşadası)に到着した。
これまでの雷雨や曇り空はどこへ行ったのか、真っ青な空と真っ青な海が迎えてくれた。
クシャダスは、かつて古代都市エフェソス(Ephesus)の港として栄えた町。
このエフェソス訪問が旅のハイライト、そして最終訪問遺跡ということになる。
と、いうことも後から理解したのだけど。
「お父さんとお母さんが昔エフェソスに来て、本当に素晴らしかったって何度もいってたから、すっごく期待してるの」
とジャネルが言った。
そうなのか。お母さんたちも来たことがあったのか。
「アメリカのお父さんお母さん」はとても旅行好きだ。
いや、だった、というべきかもしれない。
最近はお父さんの体力があまり続かず、長い距離歩くことができないため、すっかり遠出しなくなっている。
旅行中何回かジェニーがFaceTimeをして、ミネソタのレイクハウスにいる2人とも話をした。
お母さんがしゃべっている間、お父さんはもっぱら隣でニコニコしているだけだった。
そりゃあ10代だった私たちがここまで歳を取ったのだから、親世代だって歳を重ねている。
ただ、そんなことを実感させられるのは寂しいことでもある。
エフェソスは、女神アルテミスを祀っている街だった。
その女神像が展示されている博物館に立ち寄った。
アルテミスに捧げられた神殿が初めて作られたのは紀元前625年だという。しかもその層からは硬貨も発見されている。
なんと発展していた文化だろうか。
私の印象に残ったエピソードは、後期のアルテミス神殿が「自分の名前を永遠に歴史に残したい」という動機で狂人ヘラストラトスが放火することによって焼け落ちたというもの。
今も昔も愚かな自己顕示欲に突き動かされるニンゲンというのはいるものなのだ。
ぜったいに思い通りにさせないと裁判の記録なども名前を決して載せなかったというが、数千年あとの博物館にヘラストラトスの名前は残ってしまっている。思うつぼか。
さて、このギリシャ神話の女神アルテミスは、何世紀もの間、地中海沿岸地域で崇拝される存在だった。
そもそもはメソポタミアにあった地母神信仰が、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプト、エーゲ海の島々へと波及していき、やがてギリシャやイタリアへも伝わる。
大地と豊穣と多産を象徴し、胸元には万の乳房とも牛の睾丸ともいわれる卵型の凹凸をつけている。
聖パウロがキリスト教布教のためにエフェソスを訪れたときにも、町の人々は劇場にたてこもり「アルテミスは偉大なり」と叫び徹底的に抗議したくらいその信仰は深く根強かった。
しかしやがてキリスト教信仰と一神論の広まりとともに、アルテミス信仰は禁じられてしまう。代わりに「処女・妻・母が一体に重なった神聖な女神が庇護をあたえてくれる」というイメージを引き継いだのは聖母マリアだ。
と、見覚えのある女神像の写真を、展示のなかにみつけた。
そう、一番最初にいるのは、あのアナトリア博物館でみた出産をしている母神像だ。
アフロディーテ、そしてアルテミス。これまで回ってきた遺跡はみな、「女神」をたてまつっていた。
それを承継したキリスト教の聖母マリアは、イスタンブールのハガソフィアで壁画となっていた。
歴史の波の中で、その姿を変え、宗教の名が変わったとしても、ニンゲンが繁栄を願ったときに思いをはせるものは、大地、豊穣、多産。
そしてそれをもたらす「母」なのだ。
2週間のツアーが、なんとなくここでつながった気がした。
日本はもちろん一神教の歴史的発展からは離れている。
けれど、いまヨーロッパに暮らしている私にとって、その流れをたどり理解するこの旅は、ただアメリカ妹たちと記念の旅ができたというだけでなく、イスラム、ユダヤ、キリスト教の相互関係について考え、さらにまた、もっと広域かつ原始的に人類に共通する地母神の信仰と聖母マリア信仰の関連について考えることができた、非常に実りのある時間だった。
もうたぶん、二度とリックおじさんのツアーには参加しないと思うけれど。