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コリアンダーはどんな味?

昔、今や廃刊となったホットドッグプレスだったろうか、そんな若い男性向け雑誌のハウツー記事に「初めてのデートで映画館に行くな」と書いてあった。

2時間あまり、言葉を発することなく、ひとつの画面、ひとつのストーリーを一緒に観る。
それではお互いの事をなにも知ることができない。
初めてのデートは、お互いをわかることが大事なんだから、と。

同じものをみているけど、相手をみないから。
同じものを見ていても、感想のギャップに気づくだけかもしれないから。

それに、そもそも。

本当に「同じもの」をみているのだろうか。

コリアンダー(パクチー / セアントロ)ってどんな味?
そう訊かれたら、あなたはどんな風に表現しますか。

口の中を爽やかな風が通るような味。
ミントやパセリに似たような味。
レモンやライムのような柑橘類の味。

あるいは石鹸の味?

私はいま、キーボードで打ちながらも半信半疑。

なぜなら、私にとってコリアンダーは「3日履き続けた靴下のような腐った臭い」だから。

なので、タイやインド、ペルー料理のレストランでは必ず何度も繰り返す。

「コリアンダーは別に添えてください」

と。

ちなみに、コリアンダーの味や香りをどう感じるかは遺伝子による。
アメリカの大学がちゃんと研究成果としてそう発表しているんだと、私と同じくコリアンダーが大嫌いなオーストラリア人のケイが教えてくれた。

目の間に置かれたおいしそうなヤムウンセン。
その上にこんもりとコリアンダー。

それを口に運んだ時、私とあなたは同じものを咀嚼しているけれど、
全く違うものを感じているかもしれない。

イギリスで友達になったY子ちゃんは、子供の時からチーズを食べると口がピリピリしていたそうだ。

みんなはこのピリピリもチーズの味の一部として味わっているんだなとずっと思ってきた。

そしてあるとき、この唐辛子や山椒と同じようにピリピリするのがおいしいんでしょと発言してみんなに驚かれた。

「え、チーズはピリピリしないわよ」

Y子ちゃんは軽い乳製品アレルギーだったそうだ。

でも、本人も誰もまさか違う味に思えているとは考えもしなかったから、それに気づいたのはなんと成人した後、妊娠したときだったとか。

私が思っている「赤い色」だって、隣に立っている人の網膜から脳に伝わった「赤い色」と同じとは限らない。

眼鏡というものがなかったら、世の中というのはボヤけたものなのだと思いながら一生を終えていてもおかしくない。

遺伝子やアレルギーや生物学的理由ではなくっても、そのときのその人の環境や精神状況で、まったく違うものが見えていることだってある。

そんなことを、週末のロンドンをいったりきたりしながら感じた。

トロント生まれの友達の娘が、ユーロパスを使ってヨーロッパ周遊をしているという。

アメリカ時代、湖を越えて抱っこしにいったあの赤ちゃんが。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」を何度も読み聞かせたあの幼子が。

いまや24歳の立派な娘さんに育ち、お父さんの故郷ミュンヘンを軸にヨーロッパの国々を訪ねているのだと。

「せっかくパリまで来てるなら、ちょっと足をのばしてロンドンに泊まりにおいで」

そういって、週末ロンドンを一緒に観光したのだ。

コロナもあって、かなり久しぶりにどこかから初めてロンドンにやってくる誰かと一緒の街歩き。

同じものが、まったく違って見えるということに気がついた。

それが非日常なのか、日常なのか。

何気なく乗る二階建ての赤いバスも、自転車通勤で通り過ぎるビッグベンも、それが非日常ならばもちろん大いに盛り上がるポイントだ。

自分が来たばかりのころは、訪ねてくるひとも多く、よく行っていたロンドン観光も、コロナの中断もあってずいぶんと久しぶりになっていた。
そしてその間にすっかりセントラルロンドンが日常になっていた。

#ロンドンや#イギリスとタグをつけて書かれたnoteを読んでいると、YMSや留学、駐在、駐在の帯同など期限つきで滞在しているひとの視点、また一方で、現地採用あるいは在英者との婚姻関係で期限なく滞在しているひとの視点は、違うことが多いと感じる。

それはちょっと片思いに似ている。

あるいはひと夏の恋。
期限が決まっていると思うと、燃える。

片思いは非日常。
ときめきと興奮と、もしかしたらの一喜一憂。
その真っ最中では、幸せで天まで昇ったり、不幸のどん底に突き落とされたりがあるかもしれない。

でも、やがてそれが両想いになったとして。

時間が過ぎていくと、その感情は日常に変わる。
日常になったって愛情が冷めるわけでもないけれど、やっぱり片思いのさなかにみえていたキラキラはすこし減るのかもしれない。

そして、お互いを見つめあうよりも、一緒に同じ画面を観たくなるのかもしれない。

ただ、そんなときがやってきても。
自分と誰かが見ている「同じもの」が、もしかしたら実は「違って」いるかもしれないことは、いつまでもしっかり意識しておきたい。

あ、コリアンダーは別に添えてください。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。