来た 見た 食べた
イスタンブールを後にし、私たちは首都アンカラへ向かった。
今回、私たちは双子の意向で、リック・スティーブスというアメリカで人気の旅行作家がブランディングしているツアーに参加している。
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リック・スティーブス(Rick Steves)とは1955年生まれの旅行番組プレゼンター。
1980年代、アメリカでも日本でも「海外旅行といえば団体旅行」だったイメージを壊し、「バックパックひとつで世界を歩こう」と提唱した第一人者、らしい。
日本でいうならJALパックやJTBのルックワールドが海外旅行の代名詞だったのが、「地球の歩き方」を手にバックパックを背負って学生たちが世界を旅するようになったのと同じこと。
リック・スティーブスのテレビ番組はアメリカのパブリックチャンネル(公共放送)で流れ、ただの有名観光地ではなく地元の人との交流や小さな村を訪問する様子が意外性と魅力になって、アメリカ人の中でも異文化や外国語に関心のあるリベラル層の心を掴んだという。
そこからがすごい。
リックおじさんは、ガイドブックの出版、ツアーの企画運営に手をひろげ、彼自身がツアーガイドもしていたらしい。
そして大企業へと成長した今は、もちろん彼はいくつも世界中で並行して行われているツアーにはアテンドしない。
代わりに彼の思想にかなった各国ローカルのツアーガイドが案内し、歴史や文化に理解を深めながら旅行できることが売り…ということになっている。
そしてツアーを通してガイドたちはいたるところで「ちなみにこの前リックが来た時はね」「リックもこの絨毯を気に入ったんだぜ」と彼の名に触れる。
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お察しのとおり、私はどうにも皮肉を言いたくなっている。
それは「ツアーで駆け足で訪ねるんじゃなく、短い間でも地元と人と触れ合おう」という考えを広めた旅行家が、結局、駆け足でお膳立てされた観光ポイントをめぐるツアーを企画運営しているから。
そしてツアー客たちがそこに突っ込むことなく目をキラキラさせて「リックもここに来たのね〜」と喜んでいるから。
熱心な信奉者は「Rickniks」(リックニックス)と呼ばれ、彼の会社が提供するツアーでいろんな国を訪問するらしい。
今回のツアーに参加しているのは、アメリカの思想分布をそのまま表すかのように、西海岸と中西部というリベラルな地域の人ばかり。
ほとんどが60代のリタイアした大学教授や弁護士、エンジニアに医療関係者。8割が熟年カップルだ。
つまりリックおじさんと同じような年代で昔から共感を持ってテレビを観てきた層。
バックパックはもう体力的に厳しいけれど、お金はあるひとびと。これがマーケット対象。
そこからいくと若い方に入るおひとり様参加のシアトル在住、47歳の女医さんは「もう13回もリックのツアーに参加しているのよ。前回のアイルランドも素晴らしかった」と小鼻を開きながら、他の参加者に話していた。
それを小耳に挟みつつ、言葉も通じレンタカーで簡単に周れるアイルランドを敢えてリックおじさんのツアーに参加したなんて、よほどのリックニックなのだなと冷めた目で見ていたのはきっと私だけだろう。
みんな、賞賛の目でみていたから。
これまでリックおじさんのツアーに参加したことはなくとも、ハワイでもフランスでもイタリアでもアイルランドでも彼のガイドブックを持ってきていたリックニック予備軍のジャネル。
書いてある観光スポット、書いてあるホテル、書いてあるレストランに行き、そこに書かれた説明を読み上げては嬉々としていた。
ジェニーは、他の参加者に自分の子供たちの写真を見せてはおしゃべりに花を咲かせていた。
どちらも私の目にはアメリカ的に映る。
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私は小さな頃から旅行好きの親のおかげで、国内だけでなくグアム、香港・マカオ、シンガポールなどを訪ねる機会に恵まれた。
そのほとんどはJTBや近畿日本ツーリストといった大手観光会社が主催するツアーだった。
なぜかというと、当時、旅行の一番大きな部分を占める航空券は団体旅行割引を使うことで安くなっていたからだ。
と、父が後から教えてくれた。
HISなどが、この団体価格航空券をバラ売り場することでいわゆる格安航空券を販売し始めるのは、この後のことである。
父は学生時代から鉄道や旅行会社に興味があり、ゼミもサークルも観光業界を研究するものだった。
後輩たちの多くは旅行会社に勤めていて、ゆえに、業界あるあるをいっぱい教えてくれた。
なので、父が申し込むツアー旅行は、「初日だけバスに乗せられて市内観光」し、残りはフリータイムというものがほとんどだった。
かつて書いたように、シンガポールでおじいさんと印象的な出会いをしたのもそんなツアーの「必須」市内観光の中でのことだった。
どうして必須か。
それはそこで案内されるお土産屋さんでツアー客が落とすお金でガイドや現地会社が収入を得ているからだ。
香港に5回も行けば、シンガポールに8回も行けば、バスの中でタイガーバームがお買い得だったり、バティック染めのデモンストレーションを見たり、写真の焼きつけられた陶皿を勧められるのにも慣れてしまう。
というか、ウンザリしてしまう。
自分がしたいのは、わざと道に迷って店や食堂に出くわし、地元の人が使うバスやトラムに乗り、マーケットで身振り手振りで交渉をして現地の謎の食材を試し、あれと同じものを食べたいと隣のテーブルのおじさんと同じものを注文すること。
そうして良いことも悪いことも経験をするのが、私の旅の醍醐味だから。
姉は、父の血を引き、あの「分厚く黄色いガイドブック」を書く仕事をしていたから、脚で稼ぐ旅の思い出こそ心に残ると教えてくれた。
そう。
旅番組を始めた頃のリックおじさんが提唱していたように。
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そんな中、こうして、純真無垢なアメリカ人のツアーグループに参加していると、それぞれが描く「行った 見た 食べた」の意味の違いに驚かされる。
淀みのないアメリカ英語を話すトルコ人のツアーガイドさんが全日程お膳立てをしてくれるツアー。
移動は全てエアコンがガンガンに効いた大型バス。
その中ではあくまで「トルコ寄り」の視点で、かつアメリカをもちあげながら、トルコの歴史や文化、アルメニア人虐殺やクルド人迫害について説明されるまま生徒のように耳を傾ける。
連れて行かれたカーペット屋でデモンストレーションを見た後、2500ドルのカーペットをニコニコと買い、焼き物のデモンストレーションを見た後1000ドルの花瓶を嬉々として買い、グランバザールで推奨の店で500ドル分もスパイスやお茶を買う。
ほとんどの食事は指定の店で、チキンかビーフかベジタリアンから選ぶ。
だってラムは臭いし、お魚は苦手だから。
きっと彼らは大喜びで「トルコにいってきた」とお土産を家族に渡すだろう。
もちろん、言葉の壁が怖い、治安に不安がある、衛生面が心配だという
気持ちはわかる。ガイド付きの団体旅行は、そんな心配を忘れて「行った 見た 食べた」経験ができる素晴らしい選択肢だと思う。
ただ、私にはこの重い鉛の球がついた鎖が足首に食い込んで仕方ないのだ。
「ミネラルウォーターで歯磨きしないと危ないんでしょ」
というジャネルに
「いや14年前に同じエリアに泊まって歯磨きしたけど平気だったし、5年前に新市街に泊まった時もそんなインドみたいには気にしなくて大丈夫だったよ」
と私が言ってもガンとして信じなかったのに、ガイドが大丈夫と言ったとたん、なら大丈夫と意見を変える。
地元のマーケットで買い物するような自由時間をくれないから、通常の物価がまったくわからない。
そしてそのまま外国人向けのお土産屋に連れて行くからその値段が高いか安いか判断できない、と私がいうと
「でもガイドさん、自分にはマージンは入らないって言ってたじゃない」
という。
素直。
でも、おいおい自分の頭で考えようぜ、という気もしてしまうのだ。
そして、あの911直後、誰も「どうしてアメリカが嫌われるのか」について深掘りせず、真珠湾攻撃の再来だと詰め寄って来られた時の気持ちを思い出す。
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ヴィンセントに
「トルコ中央部には、私たちがいつもやる、行き当たりばったりで地元のおばあちゃんに日本語で話しかけるようなスタイルの旅で来たかった」
とメッセージした。
「でも数時間で行ける俺たちと違って、彼らにとってトルコはエキゾチックで遠いところなんだからもっと広い心でいなくちゃダメだよ。
第一、ぶーぶーいっても2週間。
腹をきめてツアーのお客さんと楽しんだって同じ2週間だよ」
と返事が返って来た。
ふむ。まさにその通り。
そして彼らが本当に心から楽しんでいる様子を見ていると、それぞれの違う楽しみ方があるのだということもよく分かってくる。
同じことをするのが必ずしもみんなにとって楽しいわけではないことも。
だから、この愛すべきアメリカ人のみなさんと、残りの時間もしっかり楽しんでいこうと思う。
違いは違いであって、いい悪いではないのだから。