ありがとうございました
小さいころ、家がパン屋だということがダイキライだった。
クラスのみんなみたいに郵便受けがあったり、牛乳箱があったり、ドアベルがある、そんな玄関に憧れていた。
ところがうちときたら、シャッターにあいた穴からポトンと郵便が落とされる。牛乳はお店の冷蔵庫のなか。そしてなにより玄関は自動ドアなんだもの。
交代で洗濯して持っていく給食のテーブルクロスや割烹着が「パンの匂いがする」っていわれて、お母さんに「ぜったい今度からはソフラン使ってね」と頑固に頼んだりもした。
大きくなると、コロッケパンを作ったり、サンドイッチ用に食パンを薄切りにすることを覚え、学校に行く前や忙しい週末にはお店を手伝わないといけなかった。
大みそかは、パートさんが来れなかったから、お姉ちゃんと二人、お店の前で大声を張り上げないといけなかった。
学校の友達は、私が時々お弁当代わりに持っていくイチゴサンドやカレーパンを見て、パン屋さんなんてうらやましいといい、時には注文だって受けたけど。
ゆうこのお気に入りは三角黒パン
ちえこのお気に入りは花たまご
うらやましくなんかないよ。
みんなはお休みの日に朝からお手伝いさせられたりしてない。
なんで、私だけって、心の中では思ってた。
でも。
家族と一緒に働いて、お客さんに「ありがとうございました」ということで、あんパンやジャムパンを売ったお金が、自分を育ててくれたんだとわかるようになった。
少しずつ、少しずつ、「パン屋であること」を受け入れていったのかなあ。
やがて、月日は流れて、私は「お店の上に住んでいる」暮らしから、アメリカにいき、そして、今度は電車に乗って「お店に遊びに来る」暮らしに変わり。
とうとう、お店を閉じるときがやってきた。
閉店のお知らせが店頭に貼られると、いろいろな場所からお客さんがやってきた。
「実家の親に聞いて、たまらず静岡から来ちゃいました。ここのクリームパンで育ったんです」
と、小さな女の子の手を引いてやってきた若いおかあさん。
「勝手に、田舎の母を重ねてました」
と、照れながら小さな花束をお母さんに差し出した工業大学の学生さん。
ゆうこやちえこ達も、あの味を食べる最後のチャンスだからと訪ねてきてくれた。
そうなって見回してみると、どこもかしこも思い出だらけだ。
おじいちゃんが餡をこねていた大きな銅鍋。
重くなるとおばあちゃんと一緒に中身を数えた招き猫。
お店を改装したときに据え付けられた飾り鏡。
お姉ちゃんと二人で知恵を絞ってコメントを考えた値札。
工場もお店も、少しずつ、少しずつ、がらんとなっていく。
最後の夜。
シャッターを閉める時間になっても、誰かがやってきては足をとめていく。
一家そろって、最後の最後のお客さんを見送る言葉は
「ありがとうございました」
そういえば、幼稚園にいくかいかないかのころ。
お店のレジが旧式のガチャンガチャンとボタンを押し込むヤツだったころ。
よくお店のレジ脇にちょこんと座って、お母さんやおばあちゃんと一緒にお客さんを見送った。
「アリガトーゴザイマシタ!」
一人前になった気分で、あの時はパン屋なことが嬉しかった。
そんなことを思い出していた。
パン屋の娘であることは、自分の大切なルーツだと思った。
シャッターを閉めた後のお店は、まるで花屋に鞍替えしたかのようだった。
花だけでなく、ビールやらスイカやら、お客さんからの頂き物であふれかえっていた。
私は「うちの」お店だと思っていたこの場所が、実は、たくさんのお客さんにとっても思い出の場所だったのだと気がついた。
おじいちゃんやお父さんが毎日焼き上げていたパンが、
おばあちゃんやお母さんの作ったサンドイッチが、
それだけたくさんの人に、気持ちとともに届いていたということも。
閉店のお知らせ 昭和二十一年より、六十有余年に亘り、営業を続けてまいりましたが、来る六月十九日を以って、営業を終了し、閉店することになりました。永い間、ご愛顧賜り、ありがとうございました。 店主