誰のメガネ?
老眼がすすんでいる。
仕事をするときに老眼鏡をかけるようになったのは、今から4-5年前のこと。
だが、今や、レストランのメニューにも戸惑うようになってしまった。
もう、キャンドルライトにぼんやり照らされたロマンチックなレストランなんてぜったいに無理。
キャンドルを近づけすぎて、へたしたらメニューを焼き焦がしてしまう。
数日前。
大慌てで昼ご飯を済ませたあとに、メガネをかけずパソコンのまえに建ったら、あまりの画面のぼんやりぶりに衝撃をうけた。
いつのまにか、老眼は、ものすごいスピードで進んでいたようだ。これも進化と呼ぶのかしら。
わたしが経験してきたことも、考えることも変わったわけじゃない。
けれど、メガネがないというだけで、書いたり読んだり、パソコンのまえでのわたしの能力は、そしてわたしという人間は、圧倒的に小さくなってしまうのか。
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メガネと英語はなんだか似ている。
大学生のころ、裸眼(日本語)のわたしが、英語という「メガネ」を使って伝えることには限界があった。
シカゴで4週間だけ通った語学学校の先生がいった。
「あなたが内側にすごく深くいろいろなものを秘めているということは、ことばの端々からわかる。きっと母国語ではすばらしい論客なんだろうということも。
でも、少なくとも英語しかコミュニケーションの手段がない世界では、あなたは素手で戦っているようなものだよ。もっと単語力をつけなさい。それによってあなたの会話はもっと深くなれる。もっと本当のあなたを伝えられる」
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じぶんという中身が変わらなくても、「世界につながる道具」が変われば、まったく機能しなかったり、効率的に活動できたりする。
もちろん、能力以上になることはないと思うけれど。
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なんで、そんなことを考えたかというと、ずっと自分の中で「欧州ヤフーみれない問題」がくすぶっているからだ。
Yahoo! JAPANが「継続的なサービス利用環境を提供することが困難であるとの判断」をしたのは、なんのことはないGDPR(EU一般データ保護規則)のせいだろう。
ヨーロッパからはいまでも、Yahoo! JAPAN以外の日本のウェブサイトに問題なくアクセスができる。
日経新聞から東スポまで。
他の誰も「継続的なサービス利用環境を提供することが困難」になっていない。
要は、個人のデータ保護に関して、Yahoo! JAPANには何か後ろめたいことがあるということだ。
それはともかく。
みれないものは、みれない。
そうなってみると、いかに「ね、ね、日本でこんなことがあったんだね」とYahoo! JAPANが日本の家族や友達との共通情報ソースになっていたのかがよく分かる。
もちろん、Livedoorなりgooニュースで情報収集はしているけれど、(LivedoorはLINEで、LINEがYahoo! JAPANになってしまう以上、Livedoorも時間の問題かもしれない)やはりギャップは否めない。
同時に、いかに自分のみる日本の情報がYahoo! JAPANによって選別されたものだったのかということにも気づかされた。
そう。それは、誰かのメガネを通して選別されたニュースたち。
もちろん、これまでだってそうだった。
新聞がなにをどう料理して論じるのか。
テレビがなにをどう取り上げるのか。
同じ事実が、立場や、地域や、政治や、宗教で、まったく違ったかたちであらわされるのはあたりまえのことだ。
ただ。なんというか、「ニュース配信を行うプラットフォーム事業者」と思っていたYahoo! JAPANの、「営利企業」としての方針を見せつけられたことで、あらためて、無料ニュースサイトとはすなわち「選別したニュースでページビューを稼ぎ、広告を掲載し、かつそのネット上の個人データによって収益を上げているサイト」なのだと思いださせられたのだ。
もちろん、ニュースにしても、自分の仕事にしても。
なるべく多極的・多面的に情報をあつめて、最終的には自分自身の経験と責任で判断をしようとつとめているのだけれど。
やっぱりどこかで、誰かのメガネを借りて世の中をみていたのかもしれないなあ。
ふとした検索の結果に「ご利用いただけなくなりました」画面にでくわすたびに、そう思う、今日この頃である。