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笑顔で大逆転

「やっぱり部下の子も一緒にくることになったから、3名に変更しといてもらえるかな」

そうメッセージがYちゃんから来たのは木曜日の夜のこと。
私はトレーシーの家でワインを飲みながら、彼女の家の修理見積がものすごい金額になったという話を聞いていた。
トイレ、といって彼女が席を外したので、ふと携帯を見たら、Yちゃんからのメッセージがはいっていたのだ。

「ごめん、ちょっとレストランに電話だけさせて」

そのレストランとは、むかしYちゃんがロンドン時代に住んでいた家のすぐ近くにあるイラン料理のお店だ。
当時Yちゃんの家と私のオフィスは自転車で10分ほど。その真ん中にあったのがこのレストラン。だから、よくそこで待ち合せてご飯を食べていた。

しかし、Yちゃんが帰国し、ロックダウンが続き、そして自分が転職した結果、そのエリア自体まったく訪ねることがなくなってしまった。

この週末、Yちゃんのリクエストでコッツウォルズに行くことにしていて、せっかくならば夕飯はあの思い出のイラン料理にするかと二人用のテーブルを予約してあった。
そこへ、どうやら部下のKさんもご一緒することになったらしい。

「え?明日の予約?もうすでに夜はいっぱいなんだよ。2人のテーブルは狭いやつだから、そこに3人なんていれられない。無理無理」

ああやはり。
レストランがいちばん忙しいディナータイムに変更の電話を掛けてしまったのが悪かった。
ドアの裏のあの丸テーブルにキツキツ3人でいいんです。友達が久しぶりで楽しみにしているんです。
そんなことをいって、何度も行ったことがある客であることをそれとなく伝えようとしたものの、とりつく島もなかった。
満席なのはしかたない。けど、そんなにバッサリやらなくてもよくない?
ちょっと恨み節もありながらの気持ちで電話を切った。

「なあに?明日のコッツウォルズのあとにいくレストラン?ずいぶんと食い下がってお願いしてたけどだめだったのね」

横で聞いていたトレーシーにまでそう思われたくらいだから、私もけっこうしつこかったかもしれない。
それは、その店が、Yちゃんのロンドン思い出ベスト5に入っているだけでなく、彼女の性格からいって、滞在中の一食一食に何料理を食べるかプランしているだろうと予想していたからだ。

しかし、ない席はない。
直前になって人数を増やしたいといってきたのは彼女だし。
しかたない。

取り急ぎメッセージで報告をした。

「残念だなあ。じゃあさ、このメリルボーンにあるフレンチにしようか。悪いけど予約しといてくれる?」

Yちゃんも残念がってはいたけれど、まだビジネスディナー中ということもあったろう、さくっと別のレストランのリンクと共に返事がやってきた。
次候補の店にオンラインで予約を取り、
そして、同時にオンラインでしていたそのイラン料理の予約をキャンセルした。

翌日の金曜日。
まだ仕事をしていた夕方4時ころ。突然携帯が鳴った。
こんな時間にどこからだろう?

「ああ、あの、昨日変更したいといってきたのは、キミであってる?」

なんと、イラン料理レストランのおじさんだった。

「3人ね、なんとかなるから。だから7時にいらっしゃい」

え、あの、もう昨日ダメだといわれたのであきらめてキャンセルをいれたんですけど、大丈夫なんですか?

「ん?キャンセルした?あ、ほんとだ。システムはキャンセルになってるね。昨日はね、ダメだったんだけど、今日ね、大丈夫になったから。3人に変えてこっちでもう一回システムにいれておくからね。じゃあ、明日ね」

なんだよ~。
昨日はあんなにキッパリないっていったくせに、今になって~。
と、いう気持ちも、少し喉に上がってきた。
けれど、
おじさんの行間には、昨日のそっけなさすぎる対応を申し訳なく思っているトーンがあった。
なによりもYちゃんにとって、私がここでひねくれて断るよりも、帰国までにあそこのラムを食べることのほうが重要なはず。

「ありがとうございます。調整して連絡くださって。
コロナの前にお店の近くに住んでいた友達が、いま日本から仕事できてるんです。どうしても帰るまでにうかがいたいといってたので、変更できなかったのをとても残念がっていたんですよ。キャンセルせずに済んで本当に嬉しいです。彼女がとてもよろこびます。じゃあ明日」

「エーッ!なにそれすごい!」

Yちゃんの喜びは、文字の上からも伝わって来た。
その金曜の朝、住んでいたエリアに散歩に行ったついでに、残念だけど食事できないから、お店の前で写真だけ撮ってきたのよ、と照れくさそうに写真まで送られてきた。

そして、いよいよ土曜日。
快晴のもと、コッツウォルズまで車を飛ばし、
カントリーパブでランチを食べ、
いちめんにひろがる菜の花畑に癒され。

そして、またロンドンの真ん中に戻って来た。

さあ、夕飯だ。

ドアを開けたとたん。

「おおおおおー!やっぱりキミだったか!」

大黒様のようなお腹をゆらしながら、お店のおじさんが両手を広げてYちゃんを迎え入れた。
そして、私の顔をみて、ああという表情を見せた。

「予約が日本人ぽい名前だったろ。うちにはそんなに日本人のお客は多くないし、もしかしてキミか、あるいはもう一人の常連さんかと思って、あわてて調整したんだよ。ほら、あの日本人のアクターとライターのご夫婦。」

そうおじさんが挙げたのは、本木雅弘と内田也哉子の大物カップル。
確かに何度かバスで乗り合わせたことがあり、この近くに住んでいるのは知っていた。よく来ていたとしても驚きはない。

まるで隠れ家のように細い小径にひっそりと建つこのお店は、前にきたときはローリングストーンズのひと(と、おじさんがあとで教えてくれたが、いまだに誰かよくわからない)が来ていたし、意外と有名人ご用達なのかも。

しかし、すごいねYちゃん、そんなすごい方々と同じVIP扱い。
なにより、彼女の名前でなく、私の予約だったのに、それが日本人ぽいというところから、一晩たって思いをめぐらしたおじさんが、すごい。

いやあ、よかったよかった。当たってたよ。ハッハッハッハ。
みんなして大笑いした。

お皿がでてくるたび、懐かしい、なつかしいと繰り返してニコニコするYちゃん。
部下の女性に嬉しそうに料理の説明をしている姿をみていて、おじさんの推理力と機転につくづく感激してしまった。
ビジネスって、人間関係って、やっぱり想像力なんだよなあ。
なん歩か先を読んだり、想像をふくらませて考える力。

「彼女がいなくなったからって、足遠くならなくていいんだぞ」

そして、まだロンドンに残る私にもしっかりまた食事においでとアピールされた。

確かに、会社を変ってから通勤チャリルートが変わり、すっかりこのエリアと縁遠くなってしまっていた。

「そうですね。またYちゃんなしでもうかがいます」

まだ明るい夜8時すぎのロンドンで、大きな笑顔で見送られた。
よかったね、Yちゃん。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。