魔法のお茶
ぐえええええええ。
ここまでひどいのは、おそらく8年前の上海以来だ。
あれは、いろんなマーケットを回っていたとき恒例、2週間のワークショップの打ち上げで、オーストラリア人のボスがごくごく呑むペースに対抗したんだった。
♢
土曜の朝は、猛烈な、最悪の、泥沼のような二日酔いから始まった。
その前の晩、タイ料理屋での夕飯を済ませて家まで歩いていたら、トレーシーからメッセージがやってきて、近所のパブで軽く一杯ということになった。
軽く一杯は、軽く二杯目に続いて、生演奏のギターデュオがいい感じだったのでもう少しとなって。
そこへ、顔見知りのマルコやクリスがやってきて「お、めずらしいね」とおごってくれて、おごりかえして…。
気づいたら閉店の鐘が鳴り、照明が明るくなった。
パブに閉店時間までいたなんて何年ぶりだろう。
もちろんコロナ以降では初めてだし、その前にしてもそこまで夜更かしなんていつだった?
トレーシーと帰り道、そんなことを話してバイバイした。
そこまではいい。
でも、翌朝は地獄の始まりだった。
♢
土曜の昼を過ぎても、満足に水すら摂取できなかった。
脱水症状は進む一方だし、血糖値が下がってきている感じもあった。
頭はちゃんと回っていても、とにかく胃痛と吐き気がおさまらない。
あ、あれがあった。
そのとき思い出した。
あの謎の漢方茶がまだ残っているはずだ。
♢
今から17-8年前、当時香港で暮らしていたチカコ(仮名)が「de-alcohol tea」という謎の小袋を持ってきてくれた。
「二日酔いにいいお茶らしいよ」
それは木の皮のような外見で、シナモンのような印象。
それが、お湯を注ぐと、まるで魔法のように、実に美しいピンク色になった。
そんな外見とは裏腹に、ほぼ無味無臭。飲むのには全く抵抗がない。
そして、ある二日酔いの朝。だまされたつもりで半信半疑、そのお茶を飲んだら、胃痛と吐き気がおだやかになっていった。
その後何年もの間、大事に大事に使っていたけれど、小袋の中の木片はだいぶ減ってしまった。
チカコはだんなさまの香港駐在が終わり、東京に戻ってきていた。
「ね、昔さ、香港から二日酔いにいいお茶だよってもらったの覚えてる?あれ、香港のどこで買える?追加がほしいんだけど、何のお茶なのか『解樹』以外書いてないから探しようがないのよね」
チカコはきょとんと見返した。
それ、わたし?
そんなもの買ってきたっけ?
会話を続けるとぼんやりと記憶がよみがえってきたのか、
九龍側に謎めいたカタコトの日本語を話すおばあちゃんのやっていた小さな店があったこと、
占いとパワーストーンが売りで、おまけのようにそういう謎のお茶を扱っていて駐在の奥様方がよく行っていたこと。
チカコが香港を引き払う前にそのお店はなくなってしまったことを教えてくれた。
「だから、それが何なのかもまったくわかんないや…」
二日酔い、中国茶
そんなキーワードで探しても、二日酔いには緑茶がいいなんて記事がでてくるばかりで、そのお茶をみつけることはできなかった。
余計に、残り少なくなるそのお茶が貴重なものになってしまい、本当にほんとうにつらい二日酔いのときに飲むことにしていた。
でも、今日は、あのお茶の出番だ。
♢
お茶をベッドサイドテーブルに持っていき、少しずつ飲みながら、視点を変えて検索してみることにした。
効能じゃなくて、特徴でいこう。
木片、美しいピンク、お茶…
♢
「蘇芳」
過去何年もの謎はどこへやら。
発想を転換させて検索したとたん、このミステリアスなお茶の正体がわかった。
蘇芳といえば色の名前。
あ、考えてみたら、確かに紫がかったお茶の色こそ蘇芳色か!
この蘇芳をキーワードにさらに検索を進めると、南インドのケラーラ州でとてもよく飲まれている抗酸化効果のある水ということがわかった。
インド?
考えてみたら、ターメリック(ウコン)だって染料でありかつ薬。
ベッドの中で胃痛を感じながらも、頭の中ではシルクロードの光景が浮かんでいた。
英語ではSappanwoodあるいはPathimugamと呼ばれるということがわかったけれど、グーグル検索によると、ロンドンで買うにはアマゾンやeBayを使って中国から輸入しなくてはならないようだ。
ロンドンのオリエンタルスーパーで見つからないかな。
♢
「インド人のお友達とかいませんでしたっけ?案外、訊いたら簡単に見つかるんじゃないですか」
日曜の朝。
胃痛もだいぶ収まり、鍼治療の最中に、そんな話をしていたら、鍼灸師さんが、いいアイディアをくれた。
そうだ。ラヴィにきいてみよう。
昔の会社で10年近く一緒にプロジェクトをやってきたラヴィ。
会社が変わってからも何かにつけやり取りをしてきた。
「いまね、夏休みでちょうどインドに帰省してるんだ。ハイデラバードで探してみるけど、もし見つからなかったらシヴァラムがケラーラに帰ってるから。いずれにしても入手しておくよ。何キロいるの?」
「キロ!たった50gほどを10年かけて飲んできたんだよ。100gもあれば充分だよ。ありがとう」
「なーんだ、そんな量ならお安い御用だよ」
♢
胃の痛みは日曜の今もまだ続いていて、自分がもはや午前1時まで飲みふけっているような年齢ではないことを否が応でも思いださせる。
でも、そのくらいの年月を経て、昔もらった香港みやげのお茶が今度はインドから届くなんて、なんて素敵なことだろう。
ピンクの魔法のお茶。
新しい一杯を作るのがいまから楽しみだ。
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