麦茶じゃないの
丸善
ヨーグレット
マントン
はちみつ
シシリア
-196℃
そう、答えは「レモン」。
♢
4-5年前、南フランスに住む友達をたずねついでに、何度目かのマントン訪問をしたとき。マルシェで無農薬の無骨なレモンが売られていた。
ほとんどの野菜売り場でオーガニックと普通のものが並べられているイギリスのスーパーでも「無農薬」のレモンはなかなかない。
お!とうとう見つけた!
私は思わず声をあげてしまった。
というのも、その数年前、アントニオの実家を訪ねてシシリア島にいったとき、おかあさんから「リモンチェッロは手作りがいちばん。でも、それには無農薬のレモンじゃないとだめなのよ」と聞いていたから。
勢い込んで1キロのレモンを買い、スーツケース中レモンだらけにしてロンドンへと帰った。
「アントニオ、ようやく無農薬のレモンをマントンで見つけて買ってきたよ。おかあさんにリモンチェッロのレシピをもらって!」
その日の夕方にはメールが送られてきた。
レシピを見る限り実にシンプル。
これなら私にもできそうだ。
おし、やってみようじゃないの。リモンチェッロ造り。
が、その考えは甘かった。
♢
「このさ、アルコールって書いてあるのは、何を使えばいいの?」
なんせ、レモンと水と砂糖とアルコールしか使わない。しかし、ここがめちゃくちゃ難問だった。
「スピリタス。イギリスでも普通に酒屋で売ってると思うよ。純度95%のアルコールね」
そうアントニオはあっさりいうけれど。
スーパーに行っても、売ってない。
酒屋に行っても、売ってない。
そういうと、呑気なアントニオはいった。
「そうなの?イタリアではどこでも買えるんだけど。なんなら、今度買って帰ってこようか」
いやいや、レモン痛んじゃうし。
ていうか、そもそも液体。
しかも95度のアルコール。
飛行機乗れないってば!
「あ、そうかー。考えたらそうだねー。あはははは」
♢
仕方ないので、会議の後に、他の同僚たちに訊いてみた。
「あのさ、純度95%のアルコールってどこで買えると思う?」
ど、どうした?
そんなに仕事が辛いのか?
同僚たちはこぞって心配。
いやいや、それ、誤解です。
「いや、リモンチェッロを作ろうと思って、一番の難関だと思った無農薬レモンは手に入れたけど、まさかアルコールが見つからないとは思わなくて」
なんだ。そこまでストレスたまってるのかとびっくりしたぞ。
と、その輪の中にいたポーランド人のエヴェリンが、会社の近くにあるポーランド系の酒屋で売ってるだろうと地図を書いてくれた。
ありがとう!
これで解決だと思ったのだ。
が、しかし。
♢
「店には置いてないよ。イギリスは店頭販売ができるアルコール度数の制限があるから。今あるなかで一番アルコール度数が高いのは、このウクライナ産のウォッカ。47度だね。度数が上がるほど値段も高くなる。これは1リットルで35ポンドだ。
どうしても95度のが欲しいなら、ポーランドから持ってくることになるから、そうだな。だいたい2週間後には手に入れられるぞ」
ぶっきらぼうに、酒屋のおじさんが言った。
うっわ。それ、いいんですか?
ちょっとドキドキしてきた。
だって、こう、トラックの運転手さんが(当時はまだEUなので税関はない)荷台の脇にこっそりいれてくる、みたいな感じ?
しかも、値段をきいてびっくりした。1リットルでなんと90ポンド近くするという。
「や、やっぱり、こっちのにしておきます」
店頭にある一番高い度数だという47度のウォッカをリュックに入れ、まるで追われているかのようにギコギコと自転車を漕いで帰宅した。
♢
気づいたら、剝けていたのは自分の指の皮だった。
そう。レモンの皮むき作業だ。
アメリカのお祖母ちゃんからもらったピーラーを使って剥いていたけれど、とにかく量がものすごい。
しかも黄色のところだけを(そうしないと色が美しくないし、苦みがでちゃうんだよ)剥こうと思うとなかなかコントロールが難しい。
気がついたら、あまりにがんばってピーラーを使いすぎて、自分の親指の皮が水膨れになって剥けていた。
この段階で気がついた。
そうか、レモンの表皮「しか」使わないからこそ、無農薬じゃなくちゃダメなんだ。
♢
でも、指を犠牲にした甲斐あって、毎日まいにち混ぜ合わせながら「おはよう」「おやすみ」と声をかけていたレモン液は、うっとりするくらいの美しい檸檬色に育っていった。
ああ、はやくリモンチェッロにしてやりたい!
♢
そして、3週間が経過した。
そう、シロップとの遭遇のタイミングだ。
うちの砂糖は、てんさい糖。
甘さは控えめだから、量は減らさずとも、アントニオのおかあさんが教えてくれたままで、いいよな。
そう考えながら計量し、ストウブ鍋でシロップをつくる。
まっくろな鍋の中でくつくつとてんさい糖が溶けていき、シロップになり、それが冷めたところで。
一気に、美しいレモン液の投入だ。
ストウブの黒いなべ底では色がいまひとつわからない。早くボトルに移し替えよう。
この日のために買っておいたリモンチェッロぽい蓋のついた細いボトルに、いそいそとじょうごを乗せ。
ストウブから、お玉をつかって。
えっ。
ボトルの底にたまったのは、
どこからどうみても、
麦茶だった。
そう。
てんさい糖の漂白しない薄茶色は、あの、南フランスの太陽をさんさんと浴びて美しく繊細に輝いていた無農薬レモンの上品な黄色を
すべて上書きしていた。
♢
「でもね、色はね、色は、そんなだけど…」
その日は、アントニオと、スペイン人のブルーノを呼んで、冷凍庫にしまってある手作りリモンチェッロのお披露目ランチ会だった。
「リモンチェッロになったと思うのよ」
この日のために、朝からなすのパルミジャーノとイカ墨の煮込みと、アスパラのリゾットというイタリアンテーマで料理を準備した。
そして振る舞いながら、ウォッカを手に入れる話から、てんさい糖の色の話をし、とうとう、ランチの締めまでたどりついたところだ。
じゃーん!
と、冷凍庫からボトルを取り出した
私の手のなかで
私の麦茶色リモンチェッロは
凍っていた。
「あ、あれ?」
ブルーノがケラケラ笑いながらいった。
「そうだよね。だって47度のウォッカにシロップを同量以上でしょ。それじゃ凍っちゃうね」
そう。本場のリモンチェッロは、冷凍庫から出すとねっとりやわらかくなってはいても、凍らない。
それはアルコール度数が高いから。
でも、スタートで半分の度数にしてしまった私のリモンチェッロは。
もはや、色は麦茶。
度数は半分。
なんだかわけのわからない飲み物に仕上がっていた。
「ぷぷぷぷ。いや、ぷぷぷ。でも、ぷぷぷ。おいしい、おいしいよ」
「うん。ぷぷぷ。ほんとほんと。ぷぷぷ。初めてにしては、ぷぷぷ上出来さ」
二人のラテン男たちは、笑いをかみ殺しながら、必死に褒めようとがんばってくれた。
私の、リモンチェッロ作ってみた、体験。
これが最初で、最後です。
いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。