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タイムマシンは未来にもいく
「タイムマシンにおねがいしたかった」というブレイディみかこさんの文章を、いただいた。
素敵な砂時計の挿絵のうえにはスカイツリー、下には東京タワーがあしらわれていて。
その両方に109が描かれていたから、東京の普遍なシンボルとは、実は109ビルなんだろうかと考えてしまった。
♢
「久々に帰省したら、おじさんが変わっていた」
という一文から始まるこの文章には、「数年前まではとても話しやすい人だった」父の弟にあたるおじさんと三年ぶりに日本に帰って来た「私」とのやり取りが綴られている。
そして、「数年前まで、私がこの国のことを批判したり笑ったりしても話を合わせてくれたおじさん」が、「私」がコロナ禍の日本での入国手続きの不効率ぶりを面白おかしく語ることに「辱めるとか、貶めるとか、大げさなことばを口にして露骨に不快感を示すようになって」いたことに驚く。
「私」はその変化に納得がいかず、「おじさんの人生に何があったんだろう」と思う。
そして、「おじさんの背筋が伸びていた時代、おじさんが近代文学みたいな言葉でしゃべらなかった時代に戻れるものなら戻り」たくなる。
タイムマシンにおねがい。タイムマシンにおねがい。タイムマシンにおねがい。
高校生の時にバンドでコピーした曲の歌詞を頭の中で歌っていた。それが『黒船』というアルバに入っていたことに気づいて、おかしくなって笑った。
♢
これを読んでからほどなくして迎えた新年。
ネットでこんなニュースを目にした。
ジャーナリストの田原総一朗氏が1日未明放送のテレビ朝日「朝まで生テレビ!」で、出演者に「日本から出てけ!」と怒鳴りつけ、放送終了後にSNSで謝罪した。
この日は「元旦激論!ド~する?!日本“再興戦略”は?!」と題して、自民党の片山さつき氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏らのほか、ジャーナリストでお笑い芸人たかまつなならが出演した。
番組中盤、「日本は立ち直せるか」という質問に出演者が○×で回答した。
< 中略>
たかまつは×を挙げた上で「日本には諦めがはびこっている。日本は社会を変えられると思っている若者は2割くらいで、先進国の中でものすごく低い数字なんです」などと意見をぶつけ「やっぱり教育が必要」と欧州の主権者教育の必要性を述べた。
聞いていた田原氏は「あなたは本心×なの?本当は日本はよくなると思っているの?思っていないの?」と問いただした。たかまつが「思ってないです。だって…」と話し出すと、田原氏は遮り「だったら、日本から出て行け!この国に絶望的だったら出てきゃいい」と声を荒らげた。
<後略>
ブレイディみかこさんの文章のなかの「おじさん」が幾つくらいなのかはわからない。
「私」が著者の反映だと考えるのなら、50代後半のひとの叔父であり、おそらく70代~80代ではなかろうか。
そして、田原総一郎さんは88歳。
私の父もその世代だ。
日本が年平均10%の成長を続けた1955年~1973年の高度経済成長には、20代から40代の働き盛り。
そして1986年~1991年のバブル景気には、50代を生きていたひとたちだ。
逆に言えば、1997年でピークを迎えた日本経済が、停滞と下降の一途をたどり、その後30年近く経済が成長していない、という事実を、前線を退いていたがゆえに、直視せずにすんだ幸せな世代でもある。
♢
私は、高校時代にバブルが終焉し、就職は氷河期。
その後、停滞と下降を続ける日本しかしらないまま、労働人口の調整弁のようにご都合主義で採用方針に振り回されてきた世代だ。
だから、田原さんや、自分の父親に代表される「いい日本しかしらない世代」が、栄光を捨てず、素晴らしい日本を築いたオレ達を尊敬しつづけろと期待することに、辟易している。
高度経済成長は20年弱だった。
それより長い時間、30年近くも、日本の経済は停滞している。
今の70-80代が記憶している栄光の日本は、もうとっくに過去のものだ。
気づいてほしい。
そして。
そんな停滞した日本しか知らない私たちに、
寄り添ってほしい。
昔はよかった。
それを実現したのは自分だ。
その誇りはいい。
でも、栄光だけでなく、停滞の土台を作ったかもしれないと内省してはくれないのかな。
労働生産性の低い、膠着した、縦型の社会を。
それとも、それはみんな、今の50代や60代が引き取らないといけないことなのかしら。
♢
とはいえ。
私には、このブレイディみかこさんの描く失望と逃避の気持ちがスーッとはおちてこなかった。
読後感が、実にザラザラしていたから。
だって、この「私」は文の冒頭からケンカ腰で、寛容さがないのだ。
もちろんそれは、それだけ「私」がいつもと違う「おじさん」に失望したという表れなのだとは思う。
けれど、「一見すると隙がないように見えるおじさんの靴が、よく見ると前よりくたびれていて、薄汚れている」ことに気づいているのだから、
もうちょっと歩み寄っても良かったんじゃないかしら。
これまでずっと自分の話に耳を傾けてくれていたおじさんが、今回はなぜだかゆとりない様子であることに、いきりたってレストランを飛び出す前に、
何かあったんだろうかと、その変化をおもんばかって受け止める大人な対応がどうしてできなかったのだろう、と、私は思ってしまう。
おじさんのこと、好きじゃないの?
分かってあげようとは思わないの?
私も、父親が繰り返す「昔は良かった話」や、「オレは頑張った話」は正直聞き飽きた。
日本批判する若者が映るテレビ画面にブツブツ言い返している父に、日本が輝いていた時間は、遠い過去なんだよ、とつい私は水をさしてしまう。
でも、この文章の「私」ほど激しい嫌悪感を持つことはない。
だって相手の目線で考えたら、それも仕方ないと思うから。
そしてなにより、その相手のことを好きだと思うから。
そこから怒りに任せて立ち去ることは、私だったら、しない。
いや、できない。
♢
確かに、私がこの年末に経験した羽田空港でのワクチン接種情報などの確認プロセスは、失笑するくらいに手作業だった。
しかも、空港のあちこちに立つ係員同士の指示がちぐはぐで一貫しておらず、事前にダウンロードしたOK画面のQRコードをみせたのに、検査要のひとたち向けルートを歩かされた。
これが外国人が日本に到着して初めて経験する日本の印象なのかと思うと、ちょっと恥ずかしくなるほどのドタバタぶりだった。
だから「私」の気持ちは本当によく分かる。
でも。
これまでと違い、日本批判を「おじさん」が受け止められないような精神状況だったのなら。
自分の話のトーンを調整して、受け流してあげるのがやさしさなんじゃなかろうか。
♢
好きな時代に行けるわ
時間のラセンをひと飛び
タイムマシンにおねがい
さあ 何かが変わる そんな時代が好きなら
さあ そのスイッチを少し昔に廻せば
文章の中で触れられている、サディスティック・ミカ・バンドの歌詞は好きな時代に行けるといいつつも、すべて昔への回顧だ。
どんなひとも、過去の成功体験を忘れることは難しい。
あの素晴らしい時間が、ずっと続けばいいのにと思うのは自然なこと。
でも、タイムマシンは未来にもいく。
未来に向けて、成功体験をほんとうに生かすということは、
よかった時代を、
その記憶を、
いったんリセットして、
変わりゆく環境にあわせて自分を適応させていくことなんじゃなかろうか。
そう、田原総一郎さんが、番組のあとに、たかまつななさんとちゃんと仲直りしたように。
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![ころのすけ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83782340/profile_cd293878dc7ba988f0dbcd0bc48102f6.png?width=600&crop=1:1,smart)