バスに乗るという冒険
コンヤを出発し、私たちはアスペンドスのローマ時代の劇場を訪ねたあと、山岳地帯に別れを告げ、一路リゾート地アンタルヤへと向かった。
せっかく地中海まで山を下りてきたというのに、空はだんだん曇りだし、夜にはザーッと来そうな気配。
しかも明日は雨の予報だったので、その前にビーチに行きたいと双子たちがいいだした。
「じゃあ、雨が降り出す前に行こう」
アンタルヤという町に全く予備知識がない私たち。
ビーチタウンにきたのだとてっきり思っていたら、観光の中心である旧市街にはビーチはなく、西か東の街はずれにしかないとフロントのお兄さんにいわれた。
「どうやって行けばいいんですか?」
バス一本でいけるというので、私たちはそのまま勢いでバス停に向かった。
♢
おみやげ屋やカフェが細い路地に立ち並んでいる旧市街を抜け、ハドリアヌス門を早足で通り過ぎると、バス停にはすでに7-8人の地元の人たちがいた。
目の前の道は、タクシーや乗用車で詰まっていた。
考えてみたら平日の夕方6時前なのだから帰宅のラッシュアワーなのだろう。
金髪のアメリカ人2人と、アジア人の3人組。
あきらかに外国人観光客なことがわかる私たちのことを、バス停のひとたちがサッと注目するのは気配でわかった。
私たちが乗るバスは6時に来るはず。
そう確認して立っていると、ふとバス停の横に貼られた大型のポスターが目にはいった。
鼻ピアスし髪をキリッとまとめた美人の若い女性が濃緑の制服に身を包み、背景には戦闘機のようなものが写っている。
どうやら、空軍への入隊勧誘をするポスターのようだった。
「トルコの空軍にはこんなイケてるおねえさんが勤めてるっていいたいのかしらね」
笑いながらジェニーがその写真を撮りにバス停の壁に近づく。
ベンチに座っていた髪を隠したおばあさんや立っていたおじいさんたちは、「おや変なガイジンだね。こんな広告の写真を撮って」という顔をして見守った。
と、横に立っていたおじいさんが
「どこからきたんですか」
とジェニーに声をかけた。
「アメリカと日本です」
おじいさんは、ほうという顔をした。
会話の空白が苦手なジェニーが自分の行動を言い訳するように続ける。
「息子がアメリカで航空士官学校に行ってるんです。だから送ってやろうと思って」
おじいさんは完全には英語を分かっていないようだったが、ジェニーが制服姿の息子の写真を出すと、意味がわかったようだった。
「これは私の娘と孫なんです」
と今度は自分の携帯から写真を見せてくれた。
バス停のみなさんはヨシヨシといった感じで見守っている。
どこへ行くのかと尋ねられたのでビーチに行こうと思ってというと同じバスだから来たら教えてあげるといってくれた。
しかし6時にくるはずのバスは15分過ぎても来ない。
ジャネルは「空模様も怪しいし、タクシーに乗ろうよ」といって来たが、私はいい加減ツアーでお膳立てされてラクに観光することに飽きていたので、できればこのままバスに挑戦したかった。
と、その時、おじいさんが、「来たよ!」と指をさした。
ところが。
やってきたバスは満杯だった。
乗って!乗って!
私とは違い、車社会に生きるジェニーにとって、ぎゅうぎゅうのバスに人を押して乗り込むのは抵抗がある。
そのひるんだ隙をみて、運転手がドアを閉めてしまった。
ジャネルはすでにおじいさんとともに車内。
ジェニーと私は取り残されてしまった。
がーん。
と、おじいさんが運転手に話しかけているのが見えた。
キーッ。
プシューッ。
発車していたバスが止まり、ドアが開いた。
押して!
乗って!
私はジェニーの背中を押して、なんとか隙間にすべりこんだ。
「サーオルン」
おじいさんに私たちはお礼をいった。
そして、私たちはビーチについた。
そこはニースを思い出させる広く長く続くペブルビーチ(小石)だった。
さあ、夕飯を食べよう。
ジャネルがグーグルで見つけたシーフードレストランへむかった。
おいしかった。
けれど、いいお値段でもあった。
今回トルコを旅していて思ったのが物価の上昇だ。
いま、トルコリラは暴落していて、ざっくり20リラが1ユーロあるいは1USドルという感じ。にもかかわらず、コロナ前にきたときに比べると本当になにもかもが高くなっている。
ただ、コンヤでふらりと入ったシリア料理の店は格安だったし、もしかしたら行く場所が旅行客プライスの場所ばかりだったのかもしれない。
「帰りは、でもタクシーでいいよね」
店を出たところで、ジャネルがいった。
ふふ、充分冒険したものね。
こうしてアンタルヤの冒険は終わった。