「人類の進歩と調和」
大阪ライフも半分がすぎた8月後半。
大阪に長期滞在することになっていちばん行きたかった場所を、とうとう訪ねることができた。
太陽の塔だ。
「20世紀少年」を描いた浦沢直樹は1960年生まれ。
1970年の万博では、漫画の世界と近い小学生。
彼個人の経験やその時の感情であろう大阪万博への執着心がこれでもかと散りばめられた作品だ。
1970年当時、そこまで子供たちを惹きつけたバンパクというものに、私はなんだか興味がわいた。
そんな頃、たまたま友達とランチのあとに立ち寄ったのが、青山の岡本太郎記念館だった。
ふむ。
太陽の塔、みてみたいな。
♢
ロンドンに暮らす私が、まさか、大阪にたっぷり滞在する日がやって来るとは思わなかった。
太陽の塔がある万博記念公園は、大阪の中心地からは離れていたし、年一回、2週間程度の帰省しかしない中、わざわざ東京から足を運ぶほどでもないように思えていた。
だからこの大阪滞在は思ってもいなかったチャンス。
さっそくチケット予約をした。
♢
いよいよ当日。
大阪モノレールの万博記念公園駅を出て、人の波に従って歩き始めると、突然異色のモノがガツンと目に飛び込んできた。
うわ。
思っていたよりも、圧倒的に大きい。
♢
中に入ると、まず目に入ったのは、構想図。
少しずつ、少しずつ、太陽の塔が形作られていく、岡本太郎の頭の中を垣間みるような感じだ。
そして、その展示のあとには、呪いや祈りの場のように、たくさんの土着的仮面たちが待っていた。
中心には、どーんと鎮座する4つ目の顔、「地底の太陽」。
背中の「過去」、お腹の「現在」、てっぺんで黄金に輝く「未来」に対し、圧倒的に大きく見るものの心を覗くような目をもっている。
実際の万博会期終了の後、埋められてしまった3つの地下展示、「いのち」「ひと」「いのり」の印象を再現しているらしい。
そして。
その先塔の内部には、真っ赤な壁。神秘的、かつ、おどろおどろしくもある色彩が踊っていた。
生命の樹、だ。
五色に彩られた樹の幹は、五大陸を示しているという。
うねり、太くたくましく、そして枝分かれしていく。
音響効果のためだという赤くひだをなす内壁は、まるで生物の内臓のようだ。
階段をのぼり、生命の進化の歴史をたどる。
と、そこにひとつだけ白骨になっている古代生物の骨格が、手足をだらんとさせ、頭をうつむかせて下がっていた。
骨。
岡本太郎の渋谷の壁画にもあったイメージだ。
そして歴史を早送りするように階段をめぐると、いちばんうえには小さな原始人たちが現れる。
パワフルで巨大なアメーバや三葉虫とは対照的に、小さな、にんげんたち。
♢
ロンドン万博ではクリスタルパレスが、そしてパリ万博ではエッフェル塔が建てられた。
人類は万物の長であり、ここまで技術を進歩させたのだ、と各国が競い合う自慢大会。
そんな万博のど真ん中に、岡本太郎が建てた太陽の塔は、むしろ、そんな「夢のような輝ける未来志向」とはまったく反対に、地球という大きな生命のうねりのなかではいかに人間が小さなものなのか訴えている。
そして、あらためて思い返す。
アメーバや三葉虫たちがのびのびしていた地下に広がっていた、あの地底の太陽と仮面たちを。
そして、人間の営みのなかでずっと受け継がれてきた、人知を超えたものへの畏怖心や畏敬の念を。
そこから発展した「祈り」というむしろ呪術的な根源的感情を。
「人類の進歩と調和」
漫画「20世紀少年」の中の子供たちは、「月の石」や「動く歩道」「リニアモーターカー」に科学の力を感じ、心をときめかせていた。
1970年。
それは科学の進歩が幸せをもたらすのだと、素直に信じられる時代だったのだろう。
しかし。
生命の樹や地底の太陽が訴えているのは、
人間の歴史なんてまばたきのようなものであり、
科学が発展しても人間は根源的には「祈り」を忘れることはない、
という事実だ。
実際、1970年から50年以上たった今、私たちを取り巻く世界といえば、科学技術の進歩とは関係なく、人間は戦争をし、世界は混沌としている。
科学は万能に幸福をもたらしてはいない。
そんな今だからこそ、21世紀の万博は、科学技術を競い合うのではなく、地球の未来、人間の寿命や健康のため、真の意味で調和を達成するために、憎悪を捨て共生できる方法を探るべきだろう。
♢
何を表現しているのかわからない。
こころをざわつかせる。
そして、強力に惹きつけられる。
実際の太陽の塔を目にしたとき。
50年以上も時間を経てなお、観るものを挑発し、圧倒するそのパワーに驚いた。
木造の大屋根やミャクミャクの他にあまり情報が流れてこない2025年の大阪万博。
太陽の塔のような強烈なアンチテーゼを提示できる、
そんな強い意志をもつ芸術家はいるのか。
それを受け入れることができるのか。
今の日本に、日本人に、それは果たしてできるのだろうか。