北ウェールズへの旅-その2:スランヴァイルプールグウインギルゴゲリッヒルンドロプールスランダスイハオゴゴゴッホ
北ウェールズに行くんだから、世界一長い名前の駅に立ち寄ろうと思ってるとトレーシーにいった。
「ああ、あそこね、サンガイルプゥスグゥインギスゴゲルアフゥイルンドロブゥスサンタシリョゴゴゴッ」
全くよどまず一息に言い上げた。
かっこいい。さすがネイティブ。
Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch
聖ティシリオの赤い洞窟のそばの激しい渦巻の近くの白いハシバミの森の泉のほとりにある聖マリア教会、
という意味のウェールズ語の駅。どこで区切るのかもわからないけど。
ちなみに、私は、「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」にも行ったことがあります。
漢字って素晴らしいなあ。
その駅があるアングルジー島に向かう前。
カナーヴォンの町の朝は、静かにあける。
起きてすぐ運動靴を履き、まずは港をぐるりと散歩。
強い海風は、切れるように痛いけれど、それがとても嬉しい。
ずっと家にこもっている時間が長かったからか、こうしてまざまざと自然を見せつけられることが、とてもありがたく思えてならない。
とはいえ、スニーカーの布目から寒さがしみこんで、足指までしみじみと冷え込んでしまった。
部屋に戻り、ゆっくりジャクージのお風呂で緩まり、食堂へ降りていく。
お願いしたのは、もちろん、ウェルシュ・ブレックファスト。
がつりと腹ごしらえし、カナーヴォン城へとむかった。
出発前に、大修復中ということをネットで調べていた。
だから、9.90ポンド払ってまで見学しようか、決めあぐねていたけれど、朝の散歩でぐるりと回ってみたら、やっぱり中がどうなっているのか、ちゃんと自分の目でみたくなった。
よし、いくぜ。
イギリスの王太子は、プリンス・オブ・ウェールズと呼ばれる。
13世紀、当時のイングランド王にエドワード1世が即位した頃のウェールズはプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)であるサウェリン・アプ・グリフィズが統治していた。
エドワード1世はサウェリンに臣下として従えと求めたが応じなかったとして、サウェリンを反逆者と宣言する。
ウェールズ周辺のイングランド貴族たちにウェールズ侵攻することを認めたわけだ。
ウェールズを掌握したエドワード1世は、イングランドの法をおしつけるかたちで、ウェールズ人の感情を無視した統治を進めた。
これに不満をためたサウェリンらウェールズ人は反乱を起こすものの、エドワード1世はそれを再度鎮圧してしまう。
ウェールズの独立をかけたこの最後の戦いは失敗し、ウェールズはその後ずっと政治的独立を手にすることはなかった。
さらにエドワード1世はウェールズ征服の決定打として、王妃にカナーヴォン城で王子を出産させ、プリンス・オブ・ウェールズの称号を与えた。
王太子をウェールズ生まれにすることで土地の支配者であることを受け入れさせ、プリンス・オブ・ウェールズという称号を強調して残すことで、反感を和らげようとしたのだろう。
それ以来、イギリスの王太子はプリンス・オブ・ウェールズを名乗ることとなり、いまのチャールズ、そしてその前には王位を賭けた恋で有名なエドワード8世も、このカナーヴォン城で叙位をした。
現在は大規模な修復の工事中。
冗談で「もうすぐウィリアムが叙位にやってくるから、その前にお色直しですか」といったら、案内係のおじいさんが「まったくなあ、あそこの王家はすったもんだが多いからどうなるもんだか、わかったもんじゃないが」と笑っていた。
イングランドとの対決心は、スコットランドやアイルランドほどではないけれど、やっぱりイングランドに対して「あちら」という気持ちがあるのかもしれない。
北の塔の中では、この侵略の歴史、そしてカナーヴォン城がその歴史でどういう役割を果たしたのかをアニメ映画でさくっと学ぶことができる。
高いところに上り、きっと昔と変わらないであろう雲の流れていく様子をながめ、石造りの城の姿をみおろしていると、まさに「つわものどもが夢のあと」。
人間たちが、この空の下で石に血を染みこませて戦い、争ったことも、すべてこの塔は見てきたのだろう。
そう思うと、にんげんの抱える権力欲や、煩悶や、痛みというものが、やけに小さくみえてくる。
全てはやがて終わり消えていくのに。
♢
スノードンが理由でやってきた北ウェールズだが、観光ルートを組み立てるうちに、古城や城砦がそこら中あることを知った。
なんでも600以上の古城や城址、城砦があり、世界一の「城密度」なのだという。
イギリスのリアリティ・ショーに「アイム・ア・セレブリティ(I'm A Celebrity)」という番組がある。
そもそもは、有名人たちがオーストラリアのジャングルの中で共同生活をして、「ジャングルの王」になることを競い合うというプログラムなのだが、コロナが進む中、その舞台が古城のひとつグウィッチ城(Gwrych Castle)に変更されていた。
普段ほとんどテレビを観ないのだけれど、偶然、石造りの古城で「風雲たけし城」のようなことをしていることで目が留まった。
そして、映画のセットかとみまごうようなその舞台が、普通に現存する建物だと知って驚いた。
そうか、あの城もルート上にあるのか。
それを知って、北ウェールズの海岸沿いに建つ古城を幾つか回ることにした。
♢
古城巡り。
カナーヴォン城の次は、アングルジー島にあるビューマリス(Beaumaris)城へ向かう。
その途上にあるのが、冒頭で触れた「世界で一番長い名前の駅」だ。
どうやらウィキペディアによると、観光客を呼ぶために19世紀につけられた名前で、登録された正式な駅名はスランヴァイルプールなんだとか。
♢
ビューマリスの町にむかう途中、ぽかんと茂みがきれた先に、スノードニアが目にはいってきた。
北ウェールズにいると、背景に山並みがみえる。
イングランドではありえない景色。
背景に見える山並みというものが、どんなに恋しかったのか。
目にしてみてはじめて気がつく。
到着したビューマリスの町はこぢんまりとしていて、まるで公園のように、家族連れが遊ぶ芝の延長線に、城址が収まりよく建っていた。
その前のスランヴァイルプールもそうだが、村のサイズに対して驚くほど巨大な駐車場があるので、夏場やコロナの前であればきっと大賑わいの観光地なんだろうということがうかがえる。
コロナもあるし、2月の月末の何でもない週末ということもあり、観光客ぽい人の数は少なかった。
その心地よい閑散ぶりが、なんというか北ウェールズにとてもしっくりきていた。
日本でも、太平洋側の海、例えば湘南や伊豆下田や千葉の海岸は暖色でポップでサザンなのだが、日本海側の新潟や富山の海は寒色でしっとりで演歌だと思う。
同じことがイギリスの南の海(ブライトンやポーツマスやボーンマス)の明るさと、すこし沈んだ西側の海(ウェールズやコーンウォール)にもいえる気がする。
ウェールズに来てよかった。
ウェールズがぴったりだった。
時間的にはビューマリスでお昼を、と思ってパブをいくつか調べていたのだけれど、なにしろ朝ごはんがボリュームたっぷり過ぎて、まったくお腹が空かない。
そのまま、次のコンウィ(Conwy)城へと車を走らせることにした。
高速が無料なので、ふと景色が気になると、カーナビを振り切って道を勝手に曲がる。
その自由度がここちいい。
しかし、マリー(カーナビのイギリス英語の声の名前。ちなみに日本語の声の名前はキヨシだ)が大慌てで引き留める。
「できる限りすみやかに折り返してください」
いいのいいの。そういう旅なのよ。
折り返しもしないし、行きたい寄り道はしちゃうし、止まりたくなったら路駐しちゃうの。
♢
コンウェイの町も、下道からクネクネと入って行ったので、まるでよそ者が難攻不落の城の町を訪ねてきたような心境になる。
城壁に取り囲まれた町の中の道は細く、車を停められる場所が見つからなかったので、そのまま町から押し出されるように川を越えてしまった。
ラウンドアバウトを利用してぐるっと回り、川の対岸から城にふたたび向かっていく。
車道と並走してつり橋がかかり、その横に鉄道橋が渡っている。正面にそそり立つ城の石垣と塔が圧倒感を増す。
めっちゃかっこいい。
しかも、つり橋の手前が、駐車スペースになっていた。
よし、ここで馬を下りて、登城なり。
恥ずかしながら、つり橋を歩きながら、ハタと思い当たった。
そうか、ロンドンのタワーブリッジって、ロンドン塔に入城するための橋だったのか!
そんなことを考えながら、ぐるりをコンウィ城の塔の上から、コンウィ川を望むと、つくづく先人が自然の地理を利用して強健な城塞都市を作り上げたことがよくわかる。
なにかを残すことを、
達成することを、
クツクツと考え込んだりしていたけれど、こうやってガツンと広がる自然の下に、にんげんが作り出したものをみたとき。
あれ、にんげんは自然を自分の手のなかにコントロールしたように勘違いしているけれど、結局最後に残るのは自然なんじゃないのと思えてきた。
♢
そう考えたとき、あらためて、普通の海岸線がいかにすごいものかと思われてならない。
この日は、プレスタティン(Prestatyn)のビーチに建つ一軒宿の「海が見える部屋」に泊まる。
129ポンドも払ったというのに、海は屋根に作られた90センチ四方の斜め窓から見えるだけ。
前夜の宿が素晴らしかっただけに、泣ける。
窓を開けると、ドワーンドワーンとへそに響きいる波の音が一気に流れ込んできた。
さんざん運転した後だし、このままもうホテルを一歩も出ずホテルのレストランで夕飯を食べようと思っていたけれど、シーズンオフでメンテナンスクローズ中。
しかたないので、車ででかけてインド料理の持ち帰りを買ってきた。
前日が10コースのディナーだったし、これはこれで悪くない。
いい匂いのカレーを広げて、ワインボトルを開けて、熱のこもった屋根裏部屋の窓を開ける。
ひんやりした風と海の音がすーっと入り込んでくる。
のんびりと食事をすすめるあいだ、波打つ音は、気づけば遠くなっていく。
引き潮が音で実感できるとは思いもしなかった。
じわじわと茜色が紺色に変わっていき、いつの間にか海と空の区別がなくなっていく。
ワインを飲みながら、窓から半身乗り出して見上げると、星が本当にクッキリ輝いてみえた。
見えないとしても、存在してないわけじゃない。
誰かが声に出して褒めてくれないからって、努力がなかったわけじゃない。
今夜は、窓からきこえる波音を楽しみながら、ぐっすり眠ろう。