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やさしくなれない

あまりにもバタバタした年末年始で、去年書いたウェールズ訪問の話を新年になってから投稿するというありさまだった。
そして、気がつけば1月ももう半分過ぎてしまった。

今年は、クリスマスイブにメインのご馳走を料理し、本来お祝いの宴のはずのクリスマス当日にはネコと静かに買い置きの小さなチキンを食べた。
ローストチキンを焼く気にすらならず、参鶏湯にしたほど、なんとなく弱っていた。
前夜に、単身赴任でロンドン駐在しているだんなさまを訪ねてやってきた、中学からの友達から連絡があったので、クリスマスのシンと静かなテムズ川沿いを、おしゃべりをしながら散歩した。
ひっそりとこぢんまりと静謐なクリスマス。

明けたボクシングデー。
ちなみに、ボクシングデーとは「あしたのジョー」のようにグローブをはめてボクシングをするわけではない。クリスマスの残り物のごちそうをボクシング(箱詰め)して恵まれない人に持って行くという日だ。

例年通りの、帰省の日。
飛行機は、ヒースロー空港、朝9時55分発。今回はJALだからターミナル3。
荷造りも終えたし、空港までのタクシーは7時半に予約してある。
と、余裕綽々で朝5時に目覚めた私は、のんびり布団のなかでネットニュースを開いた。
「JALサイバー攻撃で運行遅延」という記事が目に入った。

ま、きっと遅延してるのは国内線で、長距離国際線は大丈夫だよね、と思いつつ、念の為グーグルでスケジュールをチェックすると、なんと出発時刻が1時間半も「早い」8:35と出てきたではないか!

え、9:55じゃなくて8:35?

思わず半身を起こした。

私が普段使っているのはブリティッシュ航空(BA)だ。
でも、自費で帰省するときは羽田の事故で新型のA350を失ってしまったJALを使うことで応援しようと、敢えてJALを予約していた。

BAとJALは同じOne Worldのアライアンスメンバーなので、BAの携帯アプリでJALの情報も見られる。
だからずっとBAアプリが表示する9:55という出発時刻を信じこんでいたのだが…。

チッ。
またしてもイギリス仕事にやられた。

おそらく、JALへのサイバー攻撃とはまったく無関係の話。

BAが、JALのフライトデータを「夏時刻表」から「冬時刻表」へ更新するのを忘れていたに違いない。

なんてこった。
これではタクシーが7時半にうちに来たのでは遅すぎる。
一瞬で覚醒モードになった。

クリスマスのホリデーシーズンだから、運転手があまり稼働していないんだとごねるタクシー会社の男性に、ねばってなんとか懇願し、お迎えを6時半に前倒してもらい。
今度は、大慌てで支度する。

やれやれ。

スーツケースを積み、乗り込んだタクシーの運転手は時間を前倒ししたことにも優しかった。
が、ターミナル3じゃなきゃいけない行先を、私がターミナル5で予約していた段階で、「こいつクリスマスボケか?」と心配になったようだ。

「念のため、乗るフライト番号を教えて。ターミナルと出発時間を確認するから」

そりゃ信用できなくなるよねえ。

こうして無事にターミナル3に到着。
時間も無理に変更してもらったし、クリスマスシーズンには休暇返上で仕事してくれているひとたちへご祝儀するのが決まりだ。
運転手にはたっぷりチップを渡した。

「良いフライトを、マダム!」

東京には律儀に年に一回帰省している。
渡英3年目に労働ビザの更新でパスポートを取られていた正月と、コロナのときを除いては皆勤賞だ。
周りをみても、かなりまめに帰っているほうだと思う。

それは、そもそも15年前。
イギリスへ片道切符で転勤することになった私に、父親が「行ってもいいけれど、正月は必ず帰省して家族と過ごすこと」といったから。

内心、とっくに成人した娘にエラソーに、と憤慨したものの。
なんというか、約束した以上守ってやろうじゃないのという意地がある。

たまにしか会わない、ことの影響はとても大きい。

会えない時間が 愛育てるのさ
目をつぶれば 君がいる

郷ひろみ「よろしく哀愁」
作詞 安井かずみ

郷ひろみの歌うこの言葉は、恋愛関係だけでなく、家族においても真理だ。

限られた時間だと思うと、かつて同じ東京圏で暮らしていた時より両親や姉に対して、できるだけいい時間を過ごして帰りたいと思うようになる。

例えばこの先も毎年帰省をしたとして。
すでに80代の両親と過ごせるのは、あといったい何回なのだろう。

ただ。
最近の私は、どうも大人げない。
もしかして日本に仕事で行くことが増えて、会えない時間が減ったゆえに、愛が充分育っていないのかもしれない。

ここ数年。
年老いてきた両親に、いや特に父親に、どうしてもやさしくなれないのだ。

老いるほどに、「オレが絶対」になってきている、父親を。

「ランチメニューの『能登』ってやつを2人前取ってさ。あとはお好みだよ」

唐突にきりだされて、一瞬見失ったが、それは、寿司の話だった。

平日お昼だけの提供なのだそうです

私が友達と会う予定をいれず、のんびりと実家にいたその日。
せっかくだから、遅めのお昼をどこかに食べに行こうとなった。

だったらお寿司が食べたいな。そう思った私は、「ごちそうするからお寿司食べに行こう」と提案した。

喜んだ父が色めき立って突然返したことばが、冒頭の「能登を二人前」だった。

どうやら、彼の頭の中では、

奢りで寿司を食べるんだったら「はま寿司」じゃなく、「金沢まいもん寿司」に行きたい

回らない「まいもん寿司」の店が近くにあったはず

速攻iPadで検索
ランチメニューを選ぶぞ

でも3人がみんな頼むのは多過ぎやしないか

と、瞬時に情報処理されたようだ。

それはいい。
でも、両親と私の3人なのだから、3人前頼めばいいじゃないか。

「いや、オトーサンはそんなに食べないんだよ。だから、2人前でいい」

私が払うし、私が食べる。
だから、3人前頼んでほしい。
でも、戦中派はそういうところが妙に節約志向だ。

父がそう決めたら、父のなかではもう絶対そうなのだ。

3人でテーブル席に座って、例の「能登」を2人前注文した。
もちろん、やって来た寿司は両親の前においてもらう。

寿司が食べたいから寿司屋に行こうといった私は、お腹が空いている。
でも、私の前には箸と醤油皿だけがおいてある。

彼らの皿から、何を食べてよくて、何を食べたら叱られるんだろう。

父と母の目の前に美しく置かれた「能登」をチロ見し、初動に悩む。

気を利かせた母が皿を押し出した。

「いいわよ。好きなのをここから食べなさいよ」

好きなのを、というか、私はその皿の1人前全部を余裕で食べられるくらいお腹が空いているのだ。
でも、仕方なく気を遣いながら、サーモンと赤身を母の皿からちょうだいする。

こりゃロンドンでも食べられるネタだよ、と私の中のちびまる子ちゃんが愚痴る。

そんな空気を全く関せず、父は満足そうに自分の皿から蟹を食べ終え、帆立を食べ終え、甘エビも平らげ、ガス海老の軍艦をつまんでいる。

「オトーサンは全部食べられないからな。なんでも、ここから取っていいぞ」

取っていいぞといいながら、もうスター選手は食べちゃってるじゃないか。
これで数の子を奪ったりしようものなら、絶対にネチネチいうに決まってる。
またしても私の中のインナーちびまる子が愚痴る。

ええい、自分が払うんだし、勝手にしてやれ!
じれったくなった私は、お好みで自分が食べたいものを頼むことにした。

「白エビと、赤西貝、アジ、それとイワシを」

日本じゃなきゃ食べられないネタをできるだけいきたい。
と、注文している最中に突然父が怒り出した。

「おい。なんでそんなに頼むんだよ。こっちのを食べろっていってるだろ」

そういう父の皿の上にあるのは、もはやサーモンとマグロ、白身と玉子だけ。

「せっかくオトーサンがちゃんと計画を考えてたのに」

お好みでといったから自分が食べたいものを頼んだのに。
そもそも、オレは食が細いとかいうけど、結局1貫ももらってないうちに、ほとんど全部食べてるじゃん!

私の心には「せっかく日本に来たんだから、食べたいものを食べさせろ」という思いがある。

そんな気持ちは顔に出る。
それをみて父も不機嫌になる。

せっかくタクシーを飛ばし、14時間飛行機に乗って、やさしくしようと心に誓いながら帰省したのに。
たかが「能登」1人前で、やさしくなれない自分にも嫌気がさす。

そこで、ポソッと父がいった。

「お前は、『日本での食事が限られている』というが、オトーサンはもう人生で食べられるご飯の回数が限られてるんだぞ」

ハッとしてしまった。

ありがたいことに、両親ともに、自力で箸をとり、口に運び、咀嚼し、消化ができている。
それどころか、自分の足で歩いて寿司屋にいくことができている。

そうなんだ。

このひとは、あと何回、自分の舌で、蟹を、帆立を、甘エビを味わえるだろうかと思いながら、毎回食事をしているのだ。

最後の晩餐は何を食べたいか。
よく聞く質問ではあるけれど、父にとっては、毎食がそんな気持ちなのだ。

インナーちびまる子がシューッと縮まる。
やさしくなれない自分が。

これまでは、海外に飛び出した自分がきちんと仕事をして生活できていることが親への証明だと思ってきた。
でも、こうして親の時間が明確に限られてきている今。

国際的な仕事をしているとか、いくら稼いでいるとか、そんなことはもはやどうでもいいことになっている。

親は、ただシンプルに、やさしくしてくれる娘を必要としているのだ。

それでも。
あんまりやさしくはなれないのだけれど。


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ころのすけ
いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。