ウェールズ再び
仲良しのトレーシーは、出身地を訊かれると「(Walesの首都)Cardiffだ」と答える。
でも、実際彼女の実家があるのは、そこからさらにローカル線で小一時間行ったMaesteg。人口2万人足らずの小さな町だ。
♢
日本がラグビーワールドカップをホストした2019年。
アジア初、ティア1国以外で初の開催に、ここで帰省せずどうすると日本に帰った。
ブレイブブロッサムズの紅白ジャージを着てヒースローからJALに乗り、機内ではイングランドやウェールズ、たくさんの人と盛り上がった。
東京開催のウェールズ対オーストラリア戦のチケットは、トレーシーの家族みんなと観戦するつもりで上限いっぱいの6枚買ってあった。
でも直前にお母さんのガンが発覚し、彼らは日本行きを取りやめた。
代理のつもりで、私は全身ウェールズのグッズで固め、高額なチケットを暖かく代わりに購入してくれた日本の友達5人にも赤や緑を着てもらい、私達は大声を張り上げウェールズの国歌を歌い、応援を送った。
ハーフタイム。
女子トイレの行列に並んでいた時。
前にいた女性数人のグループが「ばっちりとウェールズ応援の日本人がいるわねえ」とこちらをチロ見していった。
私は思わず「Maestegの友達の代わりに来たんですよ」といった。
すると彼女たちは目をまん丸にした。なんと、Maestegの人だったのだ。
「ほら、角のウェザースプーンパブあるでしょう?私、あそこで何回か友達と飲んだことあります」
といったら爆笑された。
「あんな小さな町のパブまで知ってる日本人に大都会トーキョーで出会うなんてサイコーだわ!」
♢
だからその12月の週末もてっきりあのウェザースプーンに行くのだと思っていた。
ところが。
着いたところは、美しくライトに照らされた洗練された石造りのレストラン。
え、このあたりに、こんなお店があったの?
そう思いながら中に入る。
今日のメンバーは、トレーシーの幼馴染たち。
リーにリアンにジャネット。
当時まだめずらしかったというウェールズ語で初等教育する学校で育ったガールズ仲間。
昔、ウェザースプーンで集まったのと同じ顔ぶれだ。
「ねえ、気づいた?6年ぶりよ!」
リアンが切り出す。
私が誕生日祝いのためにロンドンからやって来るから、と、トレーシーがみんなに声をかけ、年末の忙しいタイミングをやりくりして集まってくれたのは知っていた。
でも、まさか彼女たちもあのウェザースプーンの夜以来、集まっていなかったとはびっくりだった。
考えてみたら、その間にさまざまなことがみんなに起きていた。
リーは離婚し再婚し、さらに車で40分ほど奥まった町へと引っ越していた。
ジャネットは、数年前ホリデー先のフランスで脳梗塞をおこし、緊急入院。このまま意識が戻らないかもといわれたが、奇跡的に目を覚ました。右足に軽い機能障害と右耳が聞こえづらくなった以外、学校一の才女といわれた聡明さはそのままだ。
リアンは息子がひとりだちしてロンドンにいってしまい、寂しい日々を過ごしている。
そして、トレーシーは最愛のお母さんを失った。
6年前はコロナの前。
6年という数字以上に、もっと大きな差が、あの時と今にはある。
そこでハッと気づいた。
あれ、このパブ。12年前にトレーシーの家族と一緒にきたお店じゃない?
すべてのものごとは動いていく。
諸行無常。
それが良いことに思えるか、悪いことに思えるかはともかくとして。
すべてのことは動いていく。
動いてはいくのだけれど、彼女たちの友情のように、形を変えつつも、でも続いていくこともしっかりあるのだ。
久しぶりにウェールズにやってきて、仲良しグループのディナーに加えてもらい。
1年の終わりになんとなくパワーをもらった。
変わるもの、変わらないもの。
その両方へのいとおしさを抱えつつ、私はロンドンへと帰った。