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「がんばって」と「がんばってるね」

「翻訳できない世界のことば」という本をご存じだろうか。

たとえば、イヌイット語のIKUTSUARPOK(イクトゥアルポク)。
「だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること」

たとえば、ノルウェー語のforelsket(フォレルスケット)。「語れないほど幸福な恋におちている」。

その言語ではひとことなのに、他の言語にしようとするとたくさんの言葉を組み合わせないと伝えられない意味をもったことば。

この本に載っている日本語は「木漏れ日」。

この本の原題は「Lost in Translation: An Illustrated Compendium of Untranslatable Words from Around the World」。
「ロストイントランスレーション」と聞くと、私はむしろソフィア・コッポラの監督した映画を思い出す。(あれを見た海外オフィスのガイジンたちをなんど新宿のパークハイアットに連れて行ったことか)

映画「ロストイントランスレーション」は、主人公が日本にCM撮影に来て、日本語と英語のあいだでうまく通じ合えない感情を主旋律にしている。けれど、その他にも、世代間のギャップ、夫婦関係、男と女など、視点が違うことで生まれる「わかりあえてない感じ」を象徴している。

英語にならない日本語というと、いくつも思い浮かぶが、特に私がもどかしく思うのが、「おつかれさま」そして「がんばって」だ。

アメリカで大学院にいっていたとき、その前に日本語教師をしていたときの友達ローラとアパートをシェアしていた。
ゲストスピーカーとして遊びに来てよと彼女のクラスに遊びに行ったとき、「おつかれさまです」といって生徒たちが教室を出ていくのが面白かった。

「だって、そうしないと全学年通して『おはようございます』と『さようなら』をくり返すからもったいないじゃない?だから、毎月違う挨拶の言葉を選んで、始まりとおしまいの時に使わせてるの」

というローラに、いいアイディアだなと感心した。

「でも、おつかれさまって結局のところどういう意味かっていうのを分かってもらうのがなかなか大変だったんだけどね」

そう彼女がいったとき、はて、確かに訳そうとしたらなかなかどうして、難しい。

ある言語を話すひとたちのあいだではごく当たり前の感情や、物事。
でも、他の言語を話すひとたちのあいだでは、ピンとこない。
そもそもの文化的な背景や考え方の違いがそこにはあるから。

そんな話は色に関するこのエントリでも触れた。

がんばって。

これまたとても英語にならないことばだ。
というか、一つの英語におさまらず、場面によって意味が広い言葉だ。

スポーツの試合で応援をしているのなら、「Go for it.」
新しい門出を迎えるひとにいうなら、「Good luck.」
もう本当に大変でさ、と愚痴をこぼされたなら、「Hang in there.」

この「Hang in there」という表現を初めて教えてくれたのは、アメリカの双子たちだった。

「もう、崖から落ちそうになっててさ。ぶらさがって、指だけぎりぎりつかんでるわけ。でも、大丈夫、そこで耐え抜けって応援するってことよ」

でも、最近、この「がんばって」がなんだかしっくりこなくなった。

その人が大変な状況にいるときに、
何とかようやく持ちこたえているようなときに、
がんばって、という声かけは、崖っぷちにはいない人間からの無責任な声かけだけのように思えてしまうから。

そう、穴に落ちたキツネを見下ろし、サンドイッチを食べていたシカのように。

だから、最近は、「がんばってるね」ということにした。

私はあなたががんばっているということを、ちゃんとみてるよ。

充分やってると思うよ。

本当に、よくがんばってるよね、と。

そして、
それがもういっぱいいっぱいなら、
もうがんばらなくっても。
あなたがベストを尽くしたこと、
私はちゃんと知ってるよ、と。

ちょっとしたこんな語尾の違いで、伝わる気持ちが大きく違ってくると、私は思うのだけれど。

さて、この小さな違いは、どうにも英語にはうまく翻訳できなさそうだ。


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ころのすけ
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