偶像になってみたかった話。
偶像になってみたかった。
偶像と言えばなんだろうか。そう、それはアイドルだ。ステージに立ってキラキラと光るあの存在だ。画面や握手会、ライブなんかで笑顔を振りまいて、可愛い衣装に身を包むあの存在だ。
私はそれになってみたかった。しいていうなら、今流行りのコンカフェ嬢にもなってみたかった。メイド服や様々な衣装を身にまとう彼女たちもまた、私の羨望の対象であった。
あれらは皆、私にとっては手に触れられない偶像である。私のような人間とは隔絶された世界で生きる彼女たちを、私は美しいと思ったのだ。そして、同時に「あんな風に可愛らしい衣装に身を包んでみたい」という欲求も込み上げてきた。
だから、私は家の中でひっそりと「アイドルもといコンカフェ嬢ごっこ」をすることにした。ピンク色のウィッグに、可愛らしいワインレッドのメイド服を着て、メイクをして。憧れの偶像に近づいてみたいと、私は初めてコスチュームプレイに手を出したのである。
感想としては、「最高」の一言に尽きた。私は特段自分の顔が好きでも嫌いでもないのだが、ウィッグを付けてメイド服を着るというある種の非日常的な容姿を通して見えた自分を意外にも気に入ってしまったのだ。「え、こんなに可愛くなれるのか…。」と驚愕の嵐が私を襲った。
非日常的な自分が鏡に映ると、「ああ、私は私ではなくなったのだ。」と興奮を覚えた。そこにいるのは、私であって私ではない。それがどんなに嬉しかったことだろう。どの角度、あるいはどのフィルターを使えば日常的な自分をかき消すことが出来るのか?を必死に考えて写真撮影をするのはとても楽しかった。
そうして写真を散々撮り終わって、私は気づいた。何故、自分が「偶像になってみたい」と願ったのか。
それは「偶像ごっこ」を通して、私は日常的な自分に対して「変化」を求めていたからなのだ。私の憧れは、自分の容姿を変化させたいという願望でもあり、「偶像ごっこ」は、「退屈な私」を埋めるための変身願望だったのだと知った。
また、私は特段自分の顔が好きでも嫌いでもないと言ったが、「女性らしさ」に対するコンプレックスは人一倍強かった。でも、変身して鏡に映る私はそのコンプレックスを凌駕してくれたように思う。自己満足以外のなにものでもないのだが、私は私の思う「可愛い」を作れた気がした。
このようにして、「偶像ごっこ」は色々な欲を満たしてくれるとわかったので、今後もまたどこかしらのタイミングでコスプレはしたいと考えている。次は何着ようかな、とワクワクするのもまた一興。
私が私に飽きた時の暇つぶしのため、自身の肉体を使って遊び倒していこうと思う。