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漫画「孤独のグルメ」は「孤食」ではない

 年末にはいると飲み会シーズンが始まる。最近は飲みより「食」をメインにした会食も多い。どうせ暴飲暴食、体に悪いのだから美味いしいモノを食べたい。

令和のクリスマス・イブ
 クリスマスは家族、パートナーと一緒に過ごしたい。データを見たけど、各業界で都合のいいデータを並べているので、よくわからない。

 それでも、実際ここまで核家族化が浸透していると、スマホが普及されてさらに家族が分断されている。最悪だと単なる同居人となっている。これは本当のデータだが、彼女、彼氏もいない時代となっている。
「孤独なクリスマス」に向かっている。

 10月末、ハロウィンの意味もわからずに仲間と繁華街で騒いでいるが、クリスマス・イブは孤独に過ごす。変なものだ。それでも、少なくなったとは言え恋人達は一緒に過ごす。私もクリスマス絡みの映画を観たくなる。

昭和のクリスマス・イブ
 1985年から1990年くらいに、20代後半だった私の経験だと、クリスマス・イブの日、夜になると郊外のモーテルは満車で、ホテル前で車が並んでいる。東名高速の横浜インター辺りのモーテルは軒並み満車だ。一方、街の中のラブホも満室状態。お洒落なシティホテルも予約済み。ラブホはなんと中に待合室があって、何組もカップルが待っている。お互い視線は合わせず、変な沈黙、この図はシュールだった。

 「いい作戦がありますよ、明るい内からラブホに入って延長するんです」とナンパ男に言われたが、やったことはない。若者は元気に愛し合っていた時代だ。一方、40才以上のおっさんは、不倫をしていました。まさに竹内まりやの世界。

忘年会
 忘年会シーズンに入る。流石に今頃コロナだから行きたくないと言う人もいない。このコロナ、そろそろ事の顛末をマスコミも総括したらどうだろう。得意の無かった事にしている感じがする。

 さて、話は忘年会だ。私は、飲み会や人付き合いが嫌いではないが、会社では付き合いの悪い男と思われていた。大学時代もそれなりに友達と飲みにいったりした。しかし、私には常に時間がなかった。これは人生かけた趣味(モトクロスレース)を優先した結果だった。その辺りの行動は昔からぶれない、マイペースな行動をしていた。

  でもねぇ、一応昭和のサラリーマン忘年会はキャンセルはしない。仕事だと思えば、楽しい経験になる。自分にとって色々な経験は無駄ではない。
そんな忘年会の幹事の話をここに書いた。

 今はノンアルコールもあるし、幹事の技量しだいで、下戸の人も楽しい忘年会となる。それでも嫌だという人達は、人間が嫌いなのか、それとも家に帰ってゲーム、Netflixを観るほうが優先順位なのか、そんなことは知らないが、後送りできる用件だったら、そうしてもいいだろう。
忘年会は多少煩わしいことだ。でもそんな程度の事さえ逃げていると、結婚、子育て、介護など、さらに煩わしい事が出来ない人になってしまう。
同じ事を養老孟司さんの説法でもよく聞く。

 もし、忘年会でかなり嫌な人がおり、我慢できないなら、最悪、上手く退席すればいい。そこは臨機応変に対応すればいい。
世の中は自分の思うように回らない。常に想定外だ。それになんとか対応するのが生きる力だ。その力を育てるのが教育だ。身近な話として書いてみた。

対応力
 そんな対応力がどんなモノかを知りたいなら、服部文祥さんの「サバイバル家族」が面白い、参考になる。養老孟司さんの曰わく、都市化された生活、都市化された思考回路、AI化された行動では、想定外に対応出来ない。
自然相手にサバイバルすることが対応力を作る。

 人も動物で自然だ。AIでは人という有機体は作れない。連続性のないON/OFF、白と黒の思考回路では想定外の対応は出来ない。逆に人がAI化して、なんでも白黒付けて想定内にする。

 ファヴル(漫画)で佐藤くんも言っている。
「山の中でのサバイバル経験は街にでも役に立つが、その逆はない」

「孤独のグルメ」は「孤食」ではない
 最近問題になっている「孤食」
 人は1人で食事をするとき、テレビを付けると安心するという。これは人のDNAに染みついた習性で、人の声を聞きながら食事をすると気持ちが落ち着き、また食事も美味く感じる。
人は 一緒に食事をする。それが縄文時代からの食事形式だった。群れで生きる動物の習性だろう。人も所詮動物だ。

 漫画の「孤独のグルメ」では、1人飯だけど、お店で食べる、外で食べる、会社で食べる、季節、時間、場所、人にも直接・間接的に関わっている。そして、その状況により孤食もグルメになる。つまり本来の「孤食」とは意味とは違う。

「孤食」とは、「孤独な食事」という意味です。 家族がおらず一人で食事をとることや、家族がいるにもかかわらず一人で食事をすることを表します。 現在、さまざまな原因から孤食をする人が増加しており、孤食が心身に及ぼす影響が問題になっています。

 人にとって「孤食」は先のDNA的にストレスとなっているはずだ。だから食事が楽しくない、美味くない。これを食事のメインとして続けていたら、食事自体にも無関心になる。美味い物を皆で食べられる忘年会、それを楽しいと思うこともない。なんだか、さらに人がAI化している気分になる。

食で人を判断する
 68才まで、色々な仕事を経験し、生きてきた私の意見だが、食事(内容、所作、好き嫌い)でその人の人柄、人生、経験、家族、親など、かなりがわかる。ここではラベル貼りとなるので、その詳細は書かないけど、一例として、好き嫌いがある人は、人に対しても好き嫌いが激しい傾向がある。
これは経験上そうだった。

 最後は、グルメという感覚は全くないが、食の記事。後でマガジンまとめよう。




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