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2024年を振り返る 1月から3月

 手帳を見ると色々と思いだす。この手帳、4月更新なので、2023年の手帳は2024年の3月まである。
「だから何?」つまり1月はまだ2023年度の気分だ。会社員にとっては2023年度下期となる。と言っても私は既にフリーマンだ。

1月の出来事

13日
 高校の同級生での新年会が新橋であった。
母校の都立世田谷工業高校の仲間が6人集まった。今年で皆68才になる。
我が母校は、東京都立小石川工業高等学校と統合して東京都立総合工科高等学校になり、全日制は2005年3月に閉校となった。つまり歴史の一部になってしまった。
こんな程度の飲み会だけど、歳を取ると段々と集まるのが難しくなっていく。さて、何時まで続くかだ。ここからは気力の世界、未知への領域だ。

 集まった6人の当時を簡単に紹介、1974年、17才の男子だ。今の同年代子達がイメージ出来るだろうか?
ホモサピエンスとネアンデルタール人くらい違っている。

A 高校時代は都内で有名な某暴走族の主要メンバー、CB500に乗っていた。鬼の形相で、3連を鳴らしてバイクを走らせていた。高校の卒業式に車で学校にきた男だ。

B AもBも私と同じ電気実験の班だった。Bは実験において、最後の砦だった。Bが失敗したら再実験となる。Bとは中学も一緒で、私と同じでサッカー部だった。

C 野球部の4番バッター 最後の夏の甲子園、西東京予選で準決勝まで行ったメンバーだった。順々決勝で、明大中野のノーヒットノーランピッチャーを打ち崩し、翌朝の報知新聞のローカル欄に写真が載っていた。

 昼休み、昼飯を食べに学校の近所の定食屋へ行くと、大体Aもいるし、Bも野球部のダチと一緒に焼き肉定食を食べていた。食後、俺にタバコをねだる。

D 当時は音楽(洋楽)仲間で、レコードの貸し借りをしていた。ちなみに音楽の嗜好は違っていた。熱烈なローリングストーンズのファンだ。ヤマハのバイク、通称ミニトレに乗っていた。

E 体は当時から目立って大きい。つまりデブだった。ごく普通の学生だったが、何故かバイク乗りで、一緒に走っていた。ヤマハのDX250に乗っていた。

 皆、20代前半で結婚、子供は成人しており、孫も多い。ちょい悪爺さん達だ。

私 サッカー部だったが、入部して直ぐの練習試合で、キーパーと衝突して骨盤を骨折、出遅れたので夏に辞めた。意外と戦力だったので先輩達に退部するなと説得(脅かされた)されたが辞めた。代わりにバイクの免許を取りCB50に乗る。そして秋に大型免許を取り、翌年の春にCB750を手に入れ、Aに頼み暴走族デビューした。
こんな写真しかない、これは私のCB750。

CB750K2

21日
 Sさんとの定例の横田基地のフロストバイトレース(ランニング)に一緒に行く。しかし、なんと朝から冷たい雨が振るコンディション、会場も酷く混んでおり、基地内に入ると既にスタート時間が過ぎていた。
同行したSさんと諦めて、参加賞のトレーナーを貰って、基地を出て飯を食いにいく。私としては、ここまでランの練習量=0 どうせ全部歩こうと思っていたので、変な意味でラッキーだった。

 オジサン(今や爺さん)バンドのライブが4月14日にあると連絡が入る。バンドのスタジオ練習の予定を入れる。

2月の出来事

17日
 T社のエンジニア会社に私がいた頃の後輩のTとNから連絡が入り、新年会をする。妻も彼らをよく知っているので同席する。
Tは入社5年保たず、退職して地元へ戻った。Nはまだ同じ会社にいる。

 2人とも、現在大型バイクに乗っている。Tはホンダ。NはKTMだ。KTMは最近倒産したようだが、今後部品の供給などはどうなるのだろう。
KTMは昔からある欧州のバイクメーカで、モトクロスレーサーの会社だった。今は色々売っていたのね。知らなかった。

 私はT社時代、後輩達とスキー、キャンプ、カヌー、バイクツーリングと色々な事で一緒に遊んでいた。その縁で未だ連絡してくる後輩が何人かいる。

 Tとはオフロードバイクで富士さん周りの林道をツーリングへ行ったことがあるが、そこで私が足を石にぶつけて指を骨折した。かなり痛かったが、そのままバイクに乗り、100キロ以上走って帰宅した。
自宅に着くと、足がブーツの中でパンパンになり歩けない。這って家に入り、ともかく風呂に入って、休日残業していた妻の帰宅を待っていた。相変わらずの馬鹿さ全開であった。

 そのTが会社辞めることを私に相談した時だ。
「私の話に感動し、この人は信頼出来る」と思ったという。なんだかよく分からないが、私の話に励まされたという話は、何度か聞く。

 入社して5年目の中堅社員研修があった。私はその頃、黎明期のトライアスロン(アイアンマン)に燃えていた。
研修は相模湖の研修所において泊まり込みで実施されていた。自由時間はPM10時過ぎだ。私は月明かりの山道を1時間ほどランニングした。そして12時前に1人で大浴場に入っていた。それはそれで気持ちが良かった。

 研修最終日に10分間スピーチがあった。内容はなんでもいいという。皆、忖度して会社からみの将来とか、自己啓発の話をしていた。
私は全くそんな話は思いつかなかったので、会社勤めをしながらのトライアスロン練習の大変さを話した。本当の話なので面白かったと思う。

 後に、その時オブザーバーとして参加していた課長に偶然会う。
「トライアスロン頑張っている?」と声をかけられる。
「はい」
「あの時のスピーチ良かったね、私も励まされたよ」と言う。
リップサービスではないようだ。
ちなみに、私は話の内容を全く覚えてない。付き合いの長い妻曰わく

 「また、適当な事言っていたんでしょう」と言う。
まぁ、その通りで、笑っちゃうようなバカバカしい話をしていると思う。
でも、ある人には、そんな話が頼もしくて愛おしくなることもある。

 新年会の後日、Tから長い思いをこめた手紙が来た。
「何か勘違いしていない彼?」と妻は言う。

3月の出来事

15日ーー18日

 娘1が昨年の9月、長崎支社から仙台の東北支社へ転勤した。長崎に5年、天草の海でシーカヤックの師匠につき、遊んでいた娘1はショックだったようだ。転勤後、松島で何度かシーカヤックは漕いでいるが、天草の海とは違い過ぎる。また人間も違う。

 そんな娘1を励ますために、家族全員、娘1とは現地で合流、山形から宮城へ旅行した。これは長いのでここへ。

 一方、4月のライブに向けて、スタジオ練習を2度程する。御茶ノ水のスタジオへ行くが、この街を歩くのは楽しい。

続く。

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