見出し画像

へたも絵のうち 熊谷守一の世界

住処(すみか)とは
 マンションが高騰している。これは投資の側面もあるのだろう。それでも1980年代(86年12月から91年2月ごろまで)の不動産バブル期に比べたらまだましだ。
本来の意味で住処を求める人にとっては、転売屋と同じメンタリティでマンショの値段を上げる企業。同じ事を何度繰り返すのだろう。

 私が、この土地バブルをどう乗り切っていったか、今までの物価上昇率を見ながら振り返ってみよう。

出所:総務省「消費者物価指数」、日本銀行「需給ギャップと潜在成長率」
を基に三菱総合研究所作成

居住費が異常な時代
 1981年から大卒で働き始める。そろそろバブルだったが、メーカ勤務の新卒の給料などたかが知れていた。その割には家賃は高く、こんなものは無駄金だと思い、一人暮らしは諦めた。会社には通える距離なので、取りあえず実家に住み続けた。

 4年後、埼玉の工場へ転勤したが、アパートを借りるのが勿体ない、工場労務者の寮に空きがあるというので、そこへ入居した。二人部屋で、凄い所だったが、何とか生きて行けた。
意識的にこの頃、クソ高い家賃を払ってない。その分お金を貯めた。一方金利はもの凄く高く、貯め時だった。これが後に効いてくる。

 1989年結婚、民間の家賃は高止まりしていた。かなり不便だけど郊外の公団団地で生活を始めた。家賃はあの当時 3DKで5万位だった。格安だ。ここでサバイバル生活を始めた。(冗談)
1990年代、ITバブルという波が来る。私は事業部が電力関係から半導体関係へ移動になったので景気は良かった。

 21世紀に入ってから、日本の景気はどんどん悪くなる。低金利でローンが可能だった。2002年東京郊外に一戸建てを購入。残金3300万円 30年ローン(2002年~2032年) 金利は変動で1%程度。
低金利時代は続いたが、何時また不動産バブルが来るか分からないので、繰り越し返済を重ねて、子供達全員が大学を卒業した時点、残金を全て払い完済した。2018年、つまり16年でローンを終えた。

この頃「住宅ローンの利息>銀行貯金の利息」なので、繰り越し返済は有効だと思う。ただ、教育ローンがある場合、「教育ローンの利息>住宅ローンの利息」なので、教育ローンは利息が一番安い住宅ローンで肩代わりしたほうがいい。

熊谷守一の住処 
 ここから熊谷守一さんの話。この方、池袋の一等地に森みたいな庭のある平屋の一戸建てに住み続けていた。そして高度成長期に入ると、都市開発の波で土地を買い取りたいという不動産屋が集まってきた。嫌がらせもあったが、死ぬまで住み続けた。市民らの反対運動もあったようだ。

池袋の自宅の森 守一を探せ!
ここが晩年の小宇宙だ。

          池袋の自宅の森        ↑

絵の話
 私は過去フランスのルーブルもオランダのゴッホ美術館など訪れているので、世界的に有名な絵は一応見ている。それでも好きな絵は沢野ひとしさん、村上康成さんだ。なんとも俗っぽい。「絵じゃやない、イラストだろう」と言われるが、まあ、いいでしょう。

 だからではないけど、熊谷守一さんの絵を当初はイラストと思っていた。実は油絵でした。それも有名な画家だった。無知は恐ろしい。

 熊谷守一 さんは、明治大正昭和 日本の画家としてとても有名、豊島区千早に引っ越しって、30年間自宅の庭から外にでず、庭の草木、虫、石などを観察して過ごす。97歳まで描き続けて亡くなった。これは引き籠もりではない、毎日庭を散歩しているのだから、それにしても不思議な人生を歩んでいる。

 この熊谷守一さんは、沢野ひとしさんのエッセイを読んでいた時に知った。つまり変わった人は変わった人が好きなのだ。私にとって本家ヘタウマのイラストレーターの沢野さん、そして元祖が熊谷守一さんだ。

 教養がない私なので、歳取っても学ぶことは多い。熊谷守一さんを調べてみる。ネットでも調べるけど、本も何冊か買う。DVDもあった。これも買う。

取りあえず略歴
 熊谷守一さんは1880(明治13)年に岐阜県の裕福な家庭に生まれ、東京美術学校の西洋画専科を首席で卒業。将来を嘱望されるも絵は売れず、画風を模索しながら長らく極貧生活を送り、97歳まで絵を描き続けた。1967年(昭和42年)87歳 没

 中津川出身なのか、そうか中津川か、ここへは今年馬籠宿へ行ったときに泊まった。この時は岐阜に住んでいる大学時代の友達と会っていていたのだが、なかなかいい場所だった。

DVDは面白かったDVDは面白かった

「へたも絵のうち」
 熊谷守一さんの言葉に「へたも絵のうち」がある。つまり、世の中に下手な絵なんたないと言っている。とても含蓄のある言葉だ。子育てや教育に通じるものがある。

へたも絵のうち
ひとりたのしむ

以下平凡社の文庫より引用
「二科の研究所の書生さんに「どうしたらいい絵がかけるか」と聞かれたときなど、私は「自分を生かす自然な絵をかけばいい」と答えていました。
下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、と、そういっていました。」
「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません。
だから、私はよく二科の仲間に、下手な絵も認めよといっていました。」と言っている。

 守一さんの書(造形芸術)も人気がある。よく書かれる「言葉」がある。

人生無限帯

「人生無限帯」
 人の命には木の根や果実の蔕のような、しっかりした拠り所がない。 まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。

陶淵明 雑詩 其の一
 人生無根蔕   人生は根蔕無く
 飄如陌上塵   飄として陌上の塵の如し
 分散逐風轉   分散し風を逐って轉じ
 此已非常身   此れ已に常の身に非ず
 落地為兄弟   地に落ちて兄弟と為る
 何必骨肉親   何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
 得歓當作楽   歓を得ては當に楽しみを作すべし
 斗酒聚比鄰   斗酒、比鄰を聚めよ
 盛年不重來   盛年 重ねて來らず
 一日難再晨   一日 再び晨なり難し
 及時當勉励   時に及んで當に勉励すべし
 歳月不待人   歳月は人を待たず

「通訳」
人の命には木の根や果実の蔕のような、しっかりした拠り所がない。
まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。
風のまにまにあちらこちらへ吹き飛ばされて、
この身は、もはや元の姿を保ち得ない。
そんな世の中に生まれ出たからには、すべての人が兄弟のようなもの。
肉親だけに限る必要はさらさらない。
嬉しい時には、心ゆくまで楽しみ、
酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲むがよい。
若い時は二度とやって来ないし、
一日に二度目の朝はない。
楽しめるときには、せいぜい楽しもう。
時というものは人を待ってくれないぞ。
(岩波文庫 陶淵明全集 松枝茂夫・和田武司訳注)

 そんな私、熊谷守一さんを知ってから、急に絵を描きたくなった。ここ1年程描いている。

アナログで絵を描く
 PDFファイルは、拡大してもボケないファイル形式なので、イラスト、漫画の原画としても非常に便利だ。しかし、タブレットで描く絵は個性が消える。
だから私は鉛筆で絵を描いている。まず自分のルールを作っている。今は色鉛筆の色に縛りを入れて描いている。
手書きの絵はコピーがない。誰も同じ絵を描くことが出来ない。自分自身でも同じ絵は描けない。それが下手でも、唯一無二のものとなる。

動画
まさに仙人だ。

「熊谷守一美術館」

事前勉強

オマケ

「結局、人生最後に残る趣味は何か」 林望さん 2024年10月発行
 りんぼうさんの本を読んでみたけど、抜本的な考え方がよくあるエリート老人だった。酒飲んで人と話すことが、時間の無駄だという。その分趣味に時間をかけろと、孤高の人になれという。私には無理だ。
できれば「人生無限帯」がいいなぁ。

結局、人生最後に残る趣味は何か

 私の場合



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?