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20世紀から続くトライアスロン参戦の記録 動機付けが大変 

~水から上がると、素早くウエットスーツの上を脱ぎながら走る。バイクラックに着くと。ウエットを踏みつぶして脱ぎ、ヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、今回は自転車シューズを履いて、バイクを持ってスタート位置まで走る。
ここまで年代別では1位だが、バイクスタートと同時にゴリラのような体の同じ年代の選手に抜かれた。全く反応できず、背中が遠ざかっていった。体がスイムから自転車へなかなか移行出来ない。心拍数が上がる。

昨年の今頃

昨年の今頃、横田基地のフロストバイトロードレースに出場していた。
同行したSさんと「もう歳だし、来年が40回の記念大会だから、来年で最後にしよう」とそんな話をしていた。しかし、世の中はいきなり変わる。本当に「何時かやろうは馬鹿野郎」だと実感する。

コロナ禍のため、状況は一変した。その後1年間、トライアスロンも含めて、スポーツイベントへの参加は全くない。骨折した時でも、狭心症になったときも、マラソン程度は参加していたのだが、こんな事は初めての経験だった。

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*長年続けていたトライアスロン
歳も歳なので、このまま引退してしまおうか、そんな気持ちにもなる。
「それもいいかなぁ」
でも、少し残念な気もする。
本当に、トライアスロンがやりたいことなのか、トライアスロンを初めて10年位経った頃から、頭に浮かんでは結論を先送りしていた。そして、気づくと35年も続けていた。

楽しいのかと聞かれれば、「どうだろう」と考えてしまう。
私は何の目的で、体にむち打って続けていたのだろう。抜本的な疑問も湧いてくる。
「楽しいと言えば、楽しい」
「しかし、最近、楽しめた試合があったかな」
「思い出してみよう。少しはやる気が出るかもしれない」

*最近のトライアスロンの試合
さて、最近、楽しめた試合ってなんだろう。私くらいの歳になると、5年前はつい最近。よく覚えている。でも10分前に何をしていたかは思い出さない。それは歳だから、であれば今の所2015年ケンズカップだ。
2015年というと、自宅で介護中のお袋が、ようやく特養老人ホームに入って、一息ついた年だ。また、この年は、娘1(長女)が大学の自転車競技部で本格的にロードレースを始めて2年目。さらに地元のクラブチームにも入っていた。そんな事で、私は冬場も娘の自転車の練習と試合のサポートなどをしていた。ついでに一緒に練習をしたり、クリテリウムの試合に出たりしていた。今思えば結構自転車三昧だった。

トライアスロンだが、実は色々なタイプがある。当初はアイアンマンタイプ(スイム3.9キロ、バイク180キロ、ランはフルマラソン)のトライアスロンに出場していたが、結婚して家族を持ち、21世紀になってから、子育てと仕事の多忙さから、練習時間が取れなくなった。アイアンマンで活躍するには、「練習量が全てとなる」・・無理だ。
そこで、練習量が少なくても活躍可能な短いトライアスロンを中心に参加することにした。また教育費などで金もないので、東京から日帰り可能なトライアスロンの試合にターゲットを移していた。

*2015年 ケンズカップ 昭和記念公園大会
この大会、地元に近いし、大学生なども参加していて、レベルも高い。
2006年から9年の連続参加だ。ここまで、年代別では、一桁の順位を続けていた。4位が2回、今一の成績。

距離は最小のトライアスロンだ。スイム750m バイク20Km ラン5Km 完走は楽に出来るけど、ショートディスタンストライアスロンの本質はスピードだ。アイアンマン完走者でもなかなか上位にはいけない。
当初は戸惑ったけど、今はスピード勝負が楽しい。試合中は乳酸との戦いで、とても苦しいけど。

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大会は9月中旬、この日はまだ残暑が残る暑い日だった。娘1は地元のクラブチームの練習で応援にはこられない、しかし、そのクラブチームから3人ほどこの試合に参加すると言っていた。
本格的な自転車レースをしている人達のバイクパートは速い。何故なら、国内のロードレースはクリテリウムが中心だからだ。私も、この年、既に3回出場しているが、全く歯が立たない。

クリテリウムとは、2キロほどのクローズコースを、私のカテゴリーでは、長くても10周程度で走って終わるレースとなる。下手すると、上のカテゴリーよりアベレージ速度は速くなるほどの高速レース。
とにかく、時速40キロ以上の集団に食らいつき、最後がスプリントとなる。集団からちぎれると、一気に速度も落ち、心も折れてしまう。私はまだ完走出来たことがない。途中でちぎれリタイヤだった。

そんなことで、ここ昭和記念公園のほぼフラットな5キロの周回コース、自転車レースを常にやっていれば、かなり速く走るはずだ。同年代のカテゴリーにいると怖い存在となる。
参加メンバーリストを見てみる。
選手のナンバリングは、歳の若い順から番号を取って行く。つまり、50代以降は例えば420番から520番とかになる。同年代が1人いた。
「マークするしかない」

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*スイム
スイムコースは、距離が300メートルのサークルプールを2.5周する。スタートは年代順でウエーブスタートとなる。1ウエーブでマックス100人程度となる。
私のスタートは第6ウエーブ、50才から60才のおっさんウエーブだ。100人くらいいる。ベテランの癖のある爺も多く出ている。
今回、年代別表彰区分は55才から59才となっている。30名程度か、私は59才だけど頑張れそう。

スイムスタート、何時ものようにイン側からダッシュする。ここは分かっている人が集まっているので、バトルを直ぐに抜けて10人ほどのトップ集団を構成した。ダッシュすると一時的に乳酸が腕に溜まってくるので、ここは我慢のしどころ。まだ全体で4番目くらいだ。それでも速い泳ぎをしていると、段々体中に乳酸が溜まってくる。
「もうリタイヤしたい」何時も思うが、なんとかスイムを終える。

水から上がると、素早くウエットスーツの上を脱ぎながら走る。バイクラックに着くと。ウエットを踏みつぶして脱ぎ、ヘルメットをかぶり、サングラをかけ、今回は自転車シューズを履いて、バイクを持ってスタート位置まで走る。
ここまで年代別では1位だが、バイクスタートと同時にゴリラのような体の同じ年代の選手に抜かれた。全く反応できず、背中が遠ざかっていった。体がスイムから自転車へなかなか移行出来ない。心拍数が上がる。

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*バイク
4周の1周目を終えると、ようやく足が回ってきた。心拍数は180。ほぼ限界で走っているが、まだ大丈夫だ。長い下りで、娘のクラブチームのウエアを着たバイクに50キロ近いスピードで抜かれた。
「番号が若い」ので、同じ年代ではないので追わずにいた。速すぎる。
3周目の終わり頃、またあのウエアだ。番号は? 同じ年代だ。仮にAさんとする。抜かれた。ここで3位となる。ランに不安がある私は追うしかない。

100mは離れた。自転車は加速の反応が遅れると、距離が離れて追いついていけない。それでも我慢して踏んでいると、それ以上距離が離れないようだ。私は、コーナー中もペダルを踏み込み、コーナーの立ち上がりでは立ち漕ぎをした。0.1秒でも差を詰めたいクリテリウムで身についた力だ。すると、ゴールでは20mの差となっていた。

バイクを降りる時、普段はやらないけど、今回はバイクで走りながら事前にシューズのビンディングを外さないで自転車シューズを脱いだ。シューズはバイクのペダルについたままだ。
バイクを降りると裸足で走った。バイクラックまで500mはあるので、固い滑りやすい自転車シューズを履いたままより速く走れるのだ。
Aさんは自転車シューズのままだ。作戦成功。ここで追いつき、ランは同時出発となった。

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*ラン
折角なので、スタート時にAさんに話かける。
「娘がおせわになっています」
「はい、朝、店の前で、娘さんと話をしましたよ」
「そうですか、バイク速いですね」
「いえ、いえ、ランは苦手なので、先に行ってください」
「じゃぁ、がんばりましょう」
私はAさんの前にでるが、当然Aさんは付いてくる。周回コースを3周するので、折り返しで、ライバルの位置を確認する。
現状2位だ。しかし、ラン5キロを19分で走る50代は何人かいる。2周目、Aさんと50mほど差がつくが、その後ろから、同年代のゼッケンが2人追走しきた。この2人に抜かれれば、お立ち台はアウトだ。そして、ラスト3周目で、その2人に抜かれた。くそ、4位か、それでもAさんには勝ちたいと思い、折れずに2人を追う。

*実は3位入賞。
フィニッシュ後、一応当日年代別までは表彰してくれるのだが、4位と思っていた私は速攻で帰宅して、カップラーメンを自宅で食べていた。
塩味を欲しているので、美味い。

2日後、ネットで順位を確認すると、なんと! 年代別3位でした。
そうか、周回だから勘違いしたが、1人はスイムとバイクが遅く、周回遅れだったのだ。ランの速い選手にはよくあるパターンだ。
早速、ケンズに電話して、メダルと商品を送ってもらえることを確認した。
しかし、現場での表彰台を逃したのは残念だった。
ちなみにAさんは25秒差で4位。結構危なかった。後日、知ったのだが、Aさんは、末の娘、自転車競技部にいる娘の妹と同じ「1型糖尿病」を抱えていた競技者だった。
不治の病、インスリンを打ち、血糖値をコントロールしながらトライスロンをするとは、凄いなあ。

*2016年以降
今度は表彰台に登るぞと、2016年以降も頑張るけど、2018年に膝を壊し、何故か体調も崩し。2019年には11位に沈む。ランが5キロ30分と絶望的な鈍足となった。
「一体どうしたんだ」
「このまま負け犬でいいのか!」
妻は
「もう止めれば」と言う。
「何が楽しいの」とも言う。
そして、このコロナ禍で、何とも煮え切らない気分で、また2021年を迎えている。

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