個人的な教育の話19 スポーツで子供を伸ばす親 はて、何を伸ばすの
子育ての目的
スポーツで子供を伸ばす。これはスポーツで子供の身長を伸ばすことではない。この言葉で想像するのは「子供の持つ能力を伸ばす」ことだ。そして、その能力で、なんらかの目的をなしとげる。
その目的は、「強盗して逃げる能力が凄い人間になる」「喧嘩が強く人を脅す能力が凄い人間になる」そんなことを親は思い浮かべない。
おそらくその目的、建前は抜きとして、「親が成功者だと思う人間にさせる」つまり親の価値感からみての成功者にすることだと思う。
これには色々と疑問がある。そこをまず考えてみたい。
子供が仮に成功して富を得ても、親に不義理で、愛情もないってことは多くある。何十年も音沙汰がない。財産目当てで寄ってくる。世間にありふれている話だ。でもこれでもある意味では成功だと言える。
子供の成功=親の幸せとはならない。それを念頭に置いておきたい。
子供さえ幸せになればいい、そんな身勝手な子供の幸せを親は望んでいることもある。
それが愛というモノかも知れない。
子育ての成功とは
子育ての成功。この定義で一番分かりやすのは、まず偏差値の高い大学へ入学させる。最後は高給取りの仕事に就くだろう。この市場経済主義の世の中では金が正義だ。
しかし、このステレオタイプの成功願望には落とし穴がある。その要因に関して私はよく分からない。それでも事象として多発している。
友達、親戚など身近な家庭での話だ。いい大学へ入学しても、大学へ行かず引き籠もる。卒業しても就職しない。さらに就職しても直ぐに辞めてしまう。最終的にはニートとなり、親へのパラサイトとなる。とにかく、30近くで自活してない子供(大人)が多いことに驚く。
こうなると、何らかのショック療法、お互い流血(心の)を流さないと解決しない。
親は今後、子供が定職に就かない、結婚もしない、家庭も作らない。一生つきまとう。それを覚悟しないといけないかもしれない。
子供も親が若い内は趣味などに没頭して幸福かもしれない。ただそれは「今だけ」あっと言う間に年を取る。
ここで、子育ての成功を再考してみると結論として、「生きる力を持つ人間とする」
具体的には、自活して、1人で生きることが出来ることに尽きる。さらにその延長線で家族を作る。それが成功だろう。
運良く、親の晩年に子供が自分の家族、出来れば孫を連れて家に遊びに来てくれる。これ程の成功(幸福)はないと思う。
「どうでしょう?」
「そうじゃない!」と言う人も多いと思うけど、私はそう思う。
スポーツで子供を伸ばす親
これって、私の経験では親の道楽だと言える。つまり親の新たな喜びと楽しみにもなる。それが子供のスポーツだ。
「スポーツで子供を伸ばす」
私が子供だったら、「うるせなぁー、ちんこでも伸ばすのかよ?」
と悪態ついているだろう。それくらい遊びたい盛りの子供に取って、スポーツは余計な事だ。スポーツは子供にとっては試練だ。ちなみによくある「お遊び運動」はスポーツとしない。
そんなことで、子供に無理をさせることになる。それを漠然とやらせるのは子供に取っていい迷惑だ。まず目標設定しないと、それがないと問題だ。漠然と無理強いすると100%スポーツ嫌いになる。
目標
スポーツで子供の何を伸ばすか、その目標項目がネットにあった。これは凄すぎて笑った。子育てしている人間の発想ではない。誰にプレゼンやっているのと聞きたい。
・自分で考えられる子供にしたい
・努力を継続できる子供にしたい
・失敗を恐れない子供にしたい
・目指す目標がはっきりしている子供にしたい
・話が聞ける 子供にしたい
・コミュニケーション能力がある子供にしたい
・時間管理能力がある子供にしたい
才能を伸ばす
スポーツで頻繁に出てくる言葉で「才能」がある。これも意味がわからない。よく言う「才能を伸ばす」だが、才能は伸ばすではなく、才能があれば勝手に伸びる。つまり自然に伸びるから才能だ。
「才能を発掘する」とも言うが、いやいや勝手に飛び出てくるのが才能だ。
親は邪魔しないでいればいいだけだ。
何を伸ばすか
まずスポーツで子供の何を伸ばすのか、上の項目は論外として、親の本音なら「運動の出来る自慢できる子供」にしたいのだろう。つまりスポーツで活躍するため、子供の運動能力を伸ばす。それにつきる。おそらく将来オリンピック選手と夢みる親もいるだろう。
チームスポーツのヒエラルキー
野球、サッカークラブでは、子供のレベルによる親の階層がある。「parent hierarchy」がある。それが無いところも仕切り親はいる。クラブでは子供の階層から親の階層と色々派生し、地域クラブだと車を出す、場所取りすると色々お手伝いがあり、面倒な人付き合いもあり大変でもある、
しかし、これは親も子供も人間関係の対応技術を学ぶことになるので、それはそれで楽しめばいい。本当に嫌なら辞める。
過干渉の危険
親の過干渉、毒親の話は沢山ある。私達夫婦の親もある意味で毒親だ。妻はその親から逃れるため、22才の若さで33才の私と結婚した。それは成功で、一緒にいないと意外と上手く収まっていく。
「離れてみて分かる親のありがたさ」
「離れてみて分かる子供の言い分」
「そこに愛はあるんかい?」「ある」
サッカー、野球は、常にレギュラー争いがあり。そこから子供への過干渉になる親も多い。つまり子供の階層を上げたいため、あれこれ言う。これはお受験で偏差値アップを強要する親と同じ構図だ。
「何とかちゃん、あそこでミスしたら駄目だよね」と周りの親に聞こえるように言う親。それに対して「お前のとこのガキは反則しているだろう。それに頭悪そうだぞ」と応酬する親。そして親同士が殴り合いとなる。
(ジョークです)
こんな事は滅多にないが、本音ではあるだろう。
実際、監督へのアピールもある。そんなことが鬱陶しい。だから野球、サッカークラブへ我が子は行かせなかった。
妻はママさんバレーを当時やっていたが、チームの雑用を頼まれる側だった。だから、そんなボス親が多いクラブの面倒を任せることには無理があった。
我が子のスポーツの話
私のポリシーとしてスイミングクラブへ幼少期から子供達を通わせた。
泳げないとかっこ悪い。どんなに野球、サッカーが上手くても、夏のプールや海でいきって溺れているように泳ぐ。それは凄くかっこ悪い。それに危険だ。
スイムはスキル種目なので才能より繰り返しの練習と努力がいる。これは非常に大切なスキルだ。それを身につけさせたい。
いきなり走って1位をとる子はいる。一方、いきなり泳いで1位とる子はいない。
我が子は幼少期からスイミングクラブに本格的に通わせた。就学前から記録会、試合にも出させた。そんな中、ジュニア選手になった娘1は、最近こんな事を言っていた。
「私、物心がついた時、何故プールで毎日泳いでいるのか、その理由が分からなかった」という。息子、娘2もスイミングは日常にあり、それが学校生活を助けてくれたという。
スイムは年齢区分、泳力でのカテゴリーが多くあり、普通に努力すれば勝てるチャンスはある。また自己ベストという目標へ努力が出来る。
そしてタイムレースなので、自分のクラブ以外にも上には上が沢山いる。
オリンピックレベルの選手も同じように泳いでいる。だから極端な「parent hierarchy」などない。
他人の子供でも自分クラブチームの看板背負っているだけで応援が出来る。それと何故か選手クラスの子供達は勉強も出来る。
試合の待ち時間に英単語を覚えていたりする。こんなシーンは他の運動クラブでは見られない。
やる気
最後にスポーツで「やる気」とよく聞くが、「やる気って何に?」と思う。「進んで物事を成し遂げようとする気持ち・欲求」
そうではあるが、気持ちは所詮気持ちだ。気分次第でやるとかやらないとか、それは逃げだ。娘1の言うように「知らないけど、毎日泳いでいた」それが大事で、意味も理由もない。
「根性」「やる気」「頑張る」を親が言うより、車でスイミングクラブへ子供を毎日送っていく。そしてギャラリーで見守る。これが親のすることだ。
娘2など腹が痛いと言って、練習途中に逃げたこともあった。それに対して怒ることも、励ますこともしない。
「お前、凄いなぁ」と感想を言って、また翌週、スイミングクラブへ送る。とにかく辛抱強く繰り返すことだと思う。
最後に親もスポーツをやろう!
親自身もスポーツをやるべきだ。
「下手だから、時間がないから、コミュニケーション障害だから」それ言ったら子供も同じだ。私は子供達の通っているスイミングのマスターコースで20年以上泳いでいた。トップ選手ではないけど、大会にも出ていた。子供は親の背中をやはり見ている。何らかの影響を受けている。つまり上のようないい訳は言わない。
他のスポーツでは、マウンテンバイクだけど、息子が中学生の頃と同じチームでエンデューロレースに出場している。
大学生で自転車競技をやっていた娘1とも何度かロードレースにカテゴリーは違うが一緒に出場している。
娘2は妻と同じようにバレーボール一筋、今ママさんバレーボールチームに入っている。またモルックという競技の世界大会へも出場している。
これは親として喜びだ。
後は結婚して孫を連れてきてくれれば、さらに嬉しい。そこはなかなか難しいようだ。