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雀のメモ帳 「還暦の原点」とニワトリ

「還暦の原点」そんなこと言っているまもなく今年69才となる。
今度は「古希の原点」だ。なんとも老い先の短い原点だ。

─独りであること、未熟であること、これが私の古希の原点である─

「二十歳の原点」高野悦子さんの日記と変わらない。
─独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である─

 何年生きていようが、変わっているのは取り巻く世界だけだ。
独りよがりで未熟な意識(気持)はガキの頃のままだ。
私はテレビの無い時代に生まれた。そして70年近く近代化のなかで勉強と仕事をして家庭を持ち、子供を育てた。その経験から人はなにも変わっていなかった。

 私に関して言えば、自分が未熟だと気づいた。でもそれは自分が少しましになっている証だと思う。本当に未熟な人はそれさえ気づかない。

できることをやらない
 養老孟司さんが言っていたことがある。
人の一番怖い点は、「できることをやってしまう」
これは悪い癖だと言う。
私も最近のスマホの機能追加、車の自動運転、本当にやらなくてもいいことを人はやっている感じがする。

 人にとって一番難しいことは「できることをやらない」という。そんな成熟に達することが、人においては必要だと言う。
これは子育てにも言えることで、何でも手を貸す、便利にする。
そうではなく、やらずに見守ることが大切だ、でもこれは難しい。

今回はオムニバスな話題となりそうだ。

ニワトリ(庭鳥)を飼う
 昭和世代は、ニワトリを飼った経験のある人は沢山いた。共通認識。共通体験。これが世代の歴史感・価値感を構築する。

 当時は庭があればニワトリを飼うことができる。エサは残飯でもやっていればいいし、雑草も食べてくれる。唯一の問題点、雄鳥はウルサい。これも犬の夜の遠吠え、朝のコケコッコーで、車の騒音より静かなものだった。

 昔の一戸建ては庭があり、塀やフェンスで囲ってあったので、庭で犬、猫、ニワトリを放し飼い出来る環境だった。
この時代は、そんな環境が欲しくて家を持ったが、今は駐車場が欲しくて家を建てる。庭はコンクリートで固め土と草木、虫たちも消える。その世代になってから、動物は家の中で飼うものとなっている。

「はっとりさんちの狩猟な毎日」 服部小雪 

はっとりさんちの狩猟な毎日

 服部家、サバイバル家族の本は面白い。私はファンである。
昔私達が住んでいたチベットと言われていた横浜の里山、そのご近所の郊外に服部さん家族も住んでいた。東急東横線と新幹線が見える場所でのサバイバル生活。
そんな場所でも狩猟で獲ってきた鹿を解体する。庭には平飼いのニワトリが歩き回る。これも大きな土の庭があってこそ出来るワザだ。

 服部家には3人の子供がいる、兄、弟、妹 さらに犬(狩猟犬)、猫もいる。子供が小さい頃に庭のある家で動物達と生活する。これは素晴らしいことだ。今や人口減少して土地が余っているのに、何故か出来ない暮らしだ。

 さて、当然動物たちは人より早く死ぬ、服部家でも池にハマってニワトリが死ぬと、サバイバル登山家の親父が絞めて、家族で解体して夕食のおかずとなる。子供達は死んでいるニワトリを見て涙を流したが、ニワトリを綺麗に解体し、夕食に美味しそうにそのお肉を食べる。その命をいただく行為は得がたい体験だ。娘も釣ってきた魚を自分で捌き、料理は妻がするけど、食した。そんな経験は子供にも大人にも必要だと思う。

オスのニワトリは凶暴だ

我が家の漁 

「動物のお医者さん」 佐々木倫子
 これも20世紀の漫画だけど、ヒットしたと思っている。その話の中でニワトリを飼ったことのある学生の話がある。
実際ニワトリを手に入れた昭和の学生は多くいる。近所から貰った。お祭りで買った、クジで当たった。入手方法は色々ある。そして飼ってみて、酷い目にあう。ニワトリは思ったより飛ぶし凶暴だ。私も何度か攻撃を受けている。

動物のお医者さん
動物のお医者さん

カブトムシの返品
 そう言えば、子供達の通う小学校の盆踊りの当てくじで、「1等賞カブトムシ!」の時期があった。息子は当たれば喜んでいた。

 それが最近の話だが、当たったカブトムシを持って、子供が母親の所に行ったら、なんと!
その母親は「虫嫌いだから、飼えないから返してきて」と言うのだ。
その後、虫嫌いな母親からの返却が多くなり、カブトムシは1等賞の座から消えた。コンクリートの庭の家に住んでいればそうなのだろう。

私のニワトリ体験
 経緯は忘れたが、関東村のフェスティバルで、基地内でヒヨコに赤、青、緑で色をペンキで塗って売っていた。父が関東村で仕事をしいた関係で、そのヒヨコの売れ残り、赤、青、緑の3羽を段ボールに入れて持って帰ってきた。私はまだ小4だった。弟は1年生。

 ニワトリのエサを近所のペット屋で買ってきて育てた。緑は父が持ってきた翌日死んだ。赤、青は、直ぐに大きくなり普通のニワトリになった。
ヒヨコは当然オスだ。庭に放し飼いにすると、直ぐにコケコッコーと鳴きだし、そうすると犬が吠える。近所の庭で花をつまんだりする。猫と喧嘩する。

 ある日ニワトリが消えた。母に「ニワトリは?」と私が聞く。
「はいこれ、ハムすきでしょ」
母はニワトリはこれになったとハムを見せてくれた。おそらく絞めて近所の肉屋と等価交換したのだろう。私は複雑な気持ちだったが、ハムは美味しかった。

 10年前まで、地元にもニワトリの平飼いしている場所があった。しかし度重なる鳥インフルで、世話していた爺さまと鳥たちが知らぬ間に消えていた。

卵も売っていた

関東村
東京都渋谷区にあったアメリカ軍兵舎・住宅施設「ワシントンハイツ」が、1964年の東京オリンピック開催にあわせて日本に返還されることになったことから、代替住宅施設が建設され、「関東村住宅地区及び補助飛行場」と名称変更された。1974年米軍は返還を早め、関東村住宅地区は米軍から国へ正式に全面返還された。

近況 スイム練習開始
 12月から毎週木曜日をスイムの日としている。
2021年急性心筋梗塞で心臓にステントを入れて、薬も飲んでいるので、海を泳ぐOWS(オープンウォータスイム)の試合などには、危険なので出られない。60才の時、三浦で開催されたOWS、年代別で3位だったこともあったので、おそらくスイマーとしての適正はあったと思う。
一方、競泳のマスタースイムは、あのギスギスした雰囲気の中に入る気はもうしない。

 何のために泳ぐのだろう。
自答する。習慣、おそらく止めるのが怖い。
40年近く継続的に練習している。
体力的にギリギリのインターバルで泳ぐので、練習後は心拍数、体温も上がっている。そのほてった頬に冷気が気持ちいい。

室内プールを出てすぐ

ステント
冠動脈形成術で血管を広げたままに保持するため血管内に留置する金属の筒状の網。バルーンで拡張した血管は血管壁の張力が回復すると、再び、閉塞してしまう可能性がある。このため、網状の金属コイルを拡張した血管の内側に挿入して、再閉塞を防止する。ステンレスやニッケルとチタンの合金などが用いられる。

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