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叶えたい夢 それはスマホの無い[AKIRA]時代を伝える

未来の人
 1万年前の人の脳、実は現代人より容積が大きい。つまり現代人の脳は小さくなっていると、ネットでの対談で篠田謙一氏*1が言っていた。

*1篠田謙一 『人類の起源』の著者、国立科学博物館の篠田謙一館長

 昔、人は生きるために、常に頭脳をフル回転していた。それは漫画「ザ・ファブル」でも主人公の佐藤が言っていたとおりで、自然相手のサバイバル生活は人の能力を覚醒させる。
「自然の中のサバイバル知識は街に戻っても役に立つが、その逆はない」

 現在の日本の都市部では社会インフラが高度に構築されており、過去からの色々なリソースもあり、仕事も分業化されている。出産は病院、子育てもアウトソーシングする。食料調達、調理、居住は空調管理されて、ガスも電気も水も使い放題。そしてスマホの登場で、情報も自由に手に入る。さらに文章作成も生成AIがやってくれる。至れり尽くせりの生活だ。

 脳を使わないまま流れるままに生きていける。そして快楽の果てに新たな人が現れる。なんかSF的になってきた。

 ここでどうしても体毛の無い、のっぺりとした顔と頭の小さいエラの張ってない人を想像してしまう。そして指も足も退化していく。
世界にはそんな形態になった生物が多くいる。

日本人の消滅 
 歴史的に縄文時代が10000年、平安時代が400年、江戸時代が260年続いた。太平洋戦争は4年、戦後が来年で80年、よく分からないが子供を作らない自由、「人の人生に口だしするな!」と言う意見が多い。それに違和感を感じる人も多いと思う。

 聞くところ、野性のチンパンーの出産は5年1回だという、それだけ子供を育てるのに時間が必要らしい。一方、人は群れで生きることで子育てを分担する習性を身につけた。そして繁殖力が増し繁栄した。

 現在、家族が解体し核家族化している。人がこのまま個人で生きていくようになると当然繁殖力は落ちる。
少子化対策でいくら金をばらまいても抜本的に人の動物としての視点が抜けているのではと思う。これが違和感なのだろうか、おそらくこの状況では、日本人は消えていくのだろう。

 そして、さらに家族を崩壊を狙った夫婦別姓、家族間の苗字を変え家族の歴史を分断する。おそらくこれで、さらに少子化は加速するだろう。
自分のルーツが辿れない悲しさを想像して悲しくなる。どうして今、ここに自分がいるのだろう。便利さとか、自由とかより、歴史と家族の存続を私は望む。

20世紀
 私はテレビも普及していない時代に産まれた。家の前は砂利道で、雨が降れば水たまりだらけの道となる。最近では水たまりという言葉も消えている。食卓はハエが飛んでいる。ウォシュレット、水洗便所など遠い未来だった。
 
 今の10代から見たら縄文人並の生活をしていた。でも、当時を不便で不幸だとは感じていない。人は今の社会を基準として物事を考える。つまりテレビもない時代における人の考えはわからない。これは歴史上避けられないことだ。シフティング・ベースラインとも言える。

知らぬが仏
 知らない方が幸せだった
これはスマホに当てはまると思う。今や歩いている時、自転車に乗っていてもスマホを見ている。流石に危険極まりないので、自転車のながらスマホは罰則が強化された。車の運転時、手に持ってのスマホ通話、SNSは禁止だけど、固定した状態でのカーナビ使用は問題ないようだ。

 昔は事前に地図を見て経路を頭にたたき込み、道路標識に従って目的地へ向かった。そして車の運転は、MTだからクラッチ操作しながら適切なシフト、アクセル、ブレーキのコントロールをする。そして道路状況を見て即座に的確なハンドル操作をする。仮にその時の脳の稼働率を100%とすると、現在はどうなるだろう。
 
 ATやCVT、インジェクション、センサーだらけで制御された車だ。
それを運転する時は、脳の稼働率は30%くらいとなっているだろう。適当に運転しても車は走る。
それだけ運転が簡単になると、自分は運転が上手いと勘違いする人も多い。そして気が大きくなり飲酒運転、煽り運転、速度超過をやってしまう。

 スマホも同様の効果がある。人の感覚を狂わす。
駅の階段やエスカレーターで女性のスカートの中がたまに見えても、今までは「ラッキー」程度で終わっていた。今はスマホがあるので、「ラッキー」とついでに盗撮する。心の緩みで普通の人がそれをやってしまう。そしてSNSで人に見せたくなる。「承認要求」
その安易な行動の代償は大きい。

 スマホで儲け話を探す青年達、高額報酬、ホワイト物件、簡単な仕事とスマホで検索すれば、または発信をすれば、普通の青年達も簡単に闇バイトに参加できる。昔はそこまで行くのに、白からグレーと段取りがあった。だから仕事の危険度も判断できた。
現在ではいきなり重犯罪者になれる。
(以上個人的な感想)

パソコンはどうだろう
 私は1990年から、重電関係の制御ユニットの設計から情報システム屋に仕事を変えた。これは自分の意志ではない。
時は遡り1985年、会社にパソコンが導入されだした。縄文人として生きていた私にとって、パソコンなんぞ触るのも嫌だったけど、生き残りをかけて、まずはタイピングを毎日練習した。基礎練習は大事だ。

 次にパソコンの構造を理解する。これは自分が理系の人間だから必携だ。そしてソフト、プログラムを少し覚え、コマンドの基本を理解する。最後の難関、ネットワーク技術だ。時代はインターネットの黎明期で、会社のLANもプロトコルの変更で迷走していた。

 その後、会社において事務作業、産業用PCと社会インフラとしてパソコンは重要な機材となる。それも高性能で高級な機材だ。事務作業、技術開発、技術産業においてパソコンがないと困る時代になった。

 学校教育の文言が、ITを学ぶから、ICTとなった時、私は恣意的な変更だと感じた。そして、そのICTが人を退化させている。原子力の発明と同じで、スティーブ・ジョブズはこんな未来を予測していなかったのではと思う。

 皆、そんな危機感を持っていると思うが、市場経済の世界でそれを口にだすと、負け組となってしまう。だから止められない。酒、タバコは個人の意志で止めることが出来るがスマホはそれが出来ない。

IT 情報技術(information technology、IT)とは、コンピュータを使ってあらゆる種類の電子的なデータや情報を作成、処理、保存、取得、交換することである
ICTとはInformation and Communication Technologyの略で、「情報通信技術」を意味するが、情報処理や通信技術そのものだけでなく、 通信機器やソフトウェア、それを活用した多様なサービスの総称となっている

年賀状
 季節がら、私は年賀状を印刷している。もしスマホがなければ、今ほど廃れることは無かったと思う。

お財布スマホ
 都市に住んでいる限り、時計、財布、定期。電話、手帳もいらない。スマホ一つで生きていける。そんな気持ちになる。

旅とスマホ
 今や冒険においてもスマホを使う。スマホで口コミを見る、事前に動画も見る。これでは感性で旅をすることは不可能だ。そして旅で孤独を感じることもない。
野田知佑さんと愛犬ガクとのユーコンの冒険談にワクワクすることもない。
「山の上の雲の流れを見て天気を判断する・・。面倒くさい、スマホで調べればいいじゃん」となる。そのおかげで安全度は増しているとかの意見はいらないから。安全の話ではなく、人間の能力と感性の話をしている。

 1986年、年末年始をハワイ島で迎えていた。
 この時私は、自転車(ロードバイク)で島をツーリングしていた。無論単独でだ。宿泊はハワイでは野宿(キャンプ)が禁止されているので、モーテルとなる。
当時、携帯電話もない時代で、ガソリンスタンドまで走り、公衆電話でモーテルに電話して予約した。スタンドはおおよそ10マイルごとにある。
到着し、モーテルで受付のおばさんに言う、
「電話した者だけど」
「誰? 聞いてないけど」
「えーっ!」
「ジョークよ」
疲れ切っているので笑えない。

 ハワイ島は1週500キロ強あったが、1日で200キロ位走破した。30代だから出来る。その後マウナケアに自転車でアタックする。海抜0mから4400mまで昇る予定だったが、アクシデントが起こるのだった。

Noteで叶えたい夢
 私がスマホを仕事で頻繁に使うようになったのは2010年くらいからだ。つまりスマホ依存時代は14年間となる。

 私は前世紀(携帯/スマホの無い時代)を知っている世代だ。戦争を知らない世代は消えつつあるが、スマホの無い時代を知っている世代も消えつつある。その時代の物語を残したい。これが当面Noteでかなえたい夢となる。

暴走族の時代
 漫画「AKIRA」が描く世界、2020年、暴走族はEVのスクーターに乗るが、スマホは持っていない。だから世間の干渉のない独自な少年少女達の世界観を描けていた。スマホがあるとあのAKIRAの世界観は構築出来ない。

おそらく作者の大友克洋さんの頭には当時の暴走族がイメージとしてあったと思う。私はその中にいた世代なので、1974年に17才だった私の昔話を小説にしてみた。これがスマホも携帯電話も無い時代の男の子達だった。

AKIRA

あらすじ
 1974年夏、高3の高木はホンダのナナハン(CB750K1)に乗っていた。
彼にとってバイク(オートバイ)と音楽、それと女の子が生活の全てだった。
高校最後の夏休み、高木は黄金色のバイクに乗る猫殺しと出会う。猫を見つけると締め殺す。そんな噂のある男だ。
猫殺しの持つジンクスに巻き込まれる高木、ここから後に伝説となる物語が始まる。
10代を生きる高木、彼に見える世界は口伝えの噂と伝説、妄想に満ちていた。そこでは大人達の常識が全く通用しない。その中で嬉々として生きる高木と仲間達だった。




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