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雀のメモ帳 停滞中 2024年10月

停滞(物事が上手く進行しない)
 長く生きていると何度も停滞が訪れる。これは避けられないことで、受け止めるしかない。私の人生は振り返れば停滞だらけだ。人生80年、寝ている時間が38年、起きている時間は42年、そして1/3は停滞していた気がする。
そう思うと充実した時は30年もない。これが長いのか短いのか、人によるだろう。

 私が初めて停滞していると感じたのは、大学受験で2浪をした時だ。これは自分で招いてしまったことなので、どうしようもない。
しかし、1970年代の大学受験は2浪程度は許容範囲だった。大学進学率が20%、5人に1人が浪人する時代だった。そんな人間は巷に溢れていた。

怪我・病気による停滞
 20代、モトクロスレースをやっていた時代、事故で大腿骨骨折をした。この停滞は巷にはあまり溢れていない。大腿骨に30cmのステンレス製のL字鋼を2本入れて、1年後に取り外した。2回手術したことになる。
L字鋼を埋め込む手術は全身麻酔だった。あの時、1,2,3と数えて、一瞬にして意識が失せる。次の瞬間目が覚める。時間の経過を全く感じない。

 この感覚、2024年に急性心筋梗塞で倒れて、ICUで処置されているときにまた味わった。突然、意識が消える。次の瞬間、医師の顔のアップを見る。
「2回ほど、心臓が止まった状態になりました」と医師から聞く。
なんとなく、死ぬことがどんなことか分かったような気がする。

 さて、話は戻り、この時は1年半ほど停滞(リハビリ)した。10、20代での1年、2年の停滞はいい歳のオッサンと違う。心と体に相当のダメージを食らう。全てを諦めてしまう程に、ライバルからの遅れを感じる。それでも、それをはね除ける体力と気力はあった。

仕事での停滞
 2000年問題の空騒ぎから会社は迷走する。これまでの日本の努力はどんどんと搾取される。そして、組織が変わる度に左遷みたいな人事をされた。仕事が変わり、私は何度も振りだしに戻った。
2000年問題で世界が破滅すると言って騒いだIT企業が儲けていた。この辺りからビジネスのパターンが変わっていった。

 迷走している大きな会社の人事ほど理不尽なものはない。私は流石に我慢出来ず。43才で早期退社をした。1年停滞(無職)しながら、ベンチャー企業を立ち上げさせてもらった。自分で仕事をコントロールする立場になる。これは人生の大逆転だった。

ミニマムな停滞
 小さな停滞は頻繁に襲ってくる。それも意図しない、想定しないモノが多い。骨折手術は大腿骨骨折以外でも3回ほどある。膝の故障、足首の故障などは年中だ。この歳までトライアスロンやマウンテンバイク、クリテリウム、トレランなど保険が必要なスポーツを続ける限り想定内の停滞だった。

災害・天災での停滞 
 2011年の東関東大震災、2019年からのコロナ禍、想定外の出来事により日本全体が停滞した。
その後、世界を素晴らしくすると信じていたインターネットも大衆化し、快楽と金を求める魑魅魍魎によって怪物となった。

更に追い打ちの停滞
 どんなにスポーツをやっていても鉄人ではいられなかった。人間はDNAに刻まれた祖先からの業がある。親と同じ時期に病気や老化をする。
そう言う意味では人生60年だと思う。60以降に人間は急速に老化する。

 2021年、会社を畳んで自由になった。その途端、私は急性心筋梗塞で倒れた。この時64才と11ヶ月。回復後、今度はコロナに感染する。その後遺症なのか体中に謎の発疹が出た。それに1年ほど苦しめられた。
そして、つかの間の平和な日々が2022年後半から続いていた。

怪我・病気の停滞は我慢
 停滞でも、病気や怪我による停滞には治療が伴う。闘病という厳しい日々が続く。心なんか折れっぱなしだ。それでも心を空っぽにして、治療とリハビリのルーチンを守り続ける。とにかく投げ出さなければいい。

 ネットの不思議な治療方法は信じない。
病院の治療だけを信じる。病院は多量のデータとエビデンスから治療をしている。例えとしてだけど、まか不思議な治療が1/Nで治るなら、通常の治療は1/10以下で治る。

それでも祈る
 就寝時、「あした起きたら、全て治っていてください、世界が変わっていてください」と祈る。
翌朝、起きて3分で、何も変わっていなことに気づく。
不安から不眠にも悩まされる。寝るのが怖くなることもある。
そんな苦痛の日々、ある日の朝、少しよくなっていることに気づく。突然霧が晴れるように折れた心がまた繋がる。その繰り返しが治療だ。

またもや激しい停滞
 夏に松原湖で家族キャンプに行った後、予期しない病気に襲われた。坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)。老化という病だ。老化なので治らない。
よって対処療法しかない。痛みを和らげる。進行させないで生きることになる。外科的手術は回復ではなく、なんとか動けるようにする治療だ。

 先の話のように私は2022年に心臓が故障して、ステントを5本入れている。昔のように試合で活躍は出来ないが、リハビリの効果でスポーツは可能になった。そして、これから本格的に登山やロングトレイルに挑戦するぞと思っていた矢先に、こんな落とし穴があったとは残念無念だ。

 当然だけど心が折れた。これで死ぬまでつき合う病気が2つになった。
それでも、毎日ストイックなルーチンを続けていくしかない。
そして寝る前に祈る。そんな日々を続けるしかない。

 何時か、そのうちにが、口癖になっていた
明日が来るなんて当たり前じゃないんだ~ >斉藤和義 そうだね。

家族は近くに住みたい
 今年は巣立って独り立ちしている子供達が久しぶりに全員集合し、3月は東北旅行。夏は定番の八ヶ岳の松原湖でキャンプをした。これが本当に最後にならないようにしたい。
ここ数年、カヤック、登山、天草、高松、長崎雲仙、八ヶ岳方面と何度も妻や子供達(全員は揃ってはない)とアウトドア旅行をしていた。いい晩年であった。
子供達とのアウトドア遊びほど、私にとって楽しいものはない。

 そんな旅行をしていると、湧いてくる思考のパターンがある。
つまり、田舎の綺麗な海、山を見ていると、「移住したいね」となる。
しかし、2021年に急性心筋梗塞で倒れ、世界が回って意識を失う前に病院のICUにいた私だ。もし天草でシーカヤック中にそれが起こったら、多分死んでいただろう。

 この経験から移住は無理な話になった。私には面倒をみてくれる家族、それと医療施設が必要になっている。

登山家の話
 最近、母親を亡くし、自分も登山中に足首を骨折してしまった登山ガイドさんとお互いの怪我の報告をしながら食事をした。

 彼は60過ぎで独り身だったが、歩行時に松葉杖を使う期間があった。
松葉杖は両手が塞がる。会社の自販機でカップコーヒーを買っても、それをデスクにまで運べない。私もその経験がある。
彼も買い物が難しかったそうだ。しかし近所に住んでいる弟が車を出してくれて、買い物が出来たそうだ。弟でも、家族が近くにいて助かったと言っていた。

 その彼がしみじみ言う。
「家族はさぁ、近所に住むべきだよ、いざと言う時に頼れるのは家族しかいない」
私もその通りだと思う、今後起こるべき大震災、予期せぬ停滞、家族が近くいたら安心だ。

 退職後は海外でゆっくり過ごすと言う人も、もしその地で怪我、病気になったら大変だと思う。さらにパンデミック、地震、戦争などリスクは多い。それと、何だかんだと言っても、日本の医療保険ほど平等なものはない。そこを忘れて、税金が高いから日本を脱出する。それはお勧めしない。

以上今回は停滞中の話でした。

長野茅野 御射鹿池


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