個人的な教育の話17 春 旅立ち
娘が家をでる
先週の土曜日、今年は桜が遅く満開の頃、娘2(末っ子)が婚約者と生活を共にするために家を出た。泣いていた。姉も東京を離れた時、泣いていた。それだけ決意しているのだろう。
息子(兄)は大学卒業後、直ぐに一人暮らしをさせた。もう9年経つ、男は母親のご飯から離れた方がいい。(昭和の不適切発言かもしれない)、娘1(姉)は5年前、長崎へ赴任した。
そして、最後まで残っていた娘2が家を出る。
彼女はいわゆる不治の病を抱えている。治療方法は生体移植しかない。医学の進歩で豚から膵臓が再生出来る可能性もある。希望は常にある。
息子(長男)、娘1(長女)、娘2(次女)
盤石な人生はない
あの大谷祥平選手にも次々と問題が降りかかる。これに外野が無責任に騒ぐ、本当にウンザリする。それでもぶれずに乗り越える大谷さんのメンタルは凄い。しかし、彼ぐらいなるとチーム大谷の体制がある。
このチームがどこまで上手く処理していくかがこれからの勝負だ。
人生における各種問題を一人で乗り越えるのは難しい。組織や人を頼ることは必携だ。個人には限界がある。そして過信は悪手を招く、これは私自身も常に意識していることだ。
好調な時ほど周りが見えていない。
子供達への教育としてこの事は言っておく、「盤石な人生はない」
子育は何時終わる
ようやく今、子育てが終わったと思っている。子供達が独立し家からいなくなって初めて子育てが終わる。
最近の子育ては難しい。折角有名大学へ進学しても、中退、就職出来ない、就職しても直ぐに辞めて家に転がり込む、そんな話を周りでたまに聞く。これは特別な例でない。これだと結婚どころの話ではない。まず一人で生きていけない。
若年層の死因1位が「自殺」、こんな先進国は日本だけだ。これをおかしいと思わない日本の教育はおかしい。
子供達はなかなか独立せずに、いつまでもパラサイト(寄生する)する。親も子を世話するという行為に敢えて甘える。そんな家族も多い。
これは教育を変えない限り変わらないだろう。私は何とかその危険を凌いだという所だ。
参考になれば、私見だけど教育と子育てに関してまとめている。
今後の私
これからの私の生き方、それも子供たちへの教育だと思っている。
結婚して子供を育て、莫大なお金を使い、今度は親の介護だ。ようやく終わったら、既に60才過ぎている。
今度は老後だ。
年金が足らない、まだ働かないといけない。医療費が、家の修理、お墓、まるで人生のトライアスロンだ。次から次に種目が変わる。一生楽出来ない。
でもね、こんな愚痴ばかりを言いふらすのは子供達の教育に悪い。
親は歳を取っても色々と知恵を絞って、難問を乗り越えていく。それが大人で、子供への教育となる。
一例 よく巷で聞く話。
「年金受給者より生活保護受給者の方が、お金を多く貰っている。おかしいだろう。そんな国でいいのか!」
あのねぇ、それ申請していないだけの話。
年金制度、雇用制度、保険制度、税金、自分で考えて、分からなければ行政等へ相談する。ステレオタイプに文句を言う人の話を信じる前に、自分で調べて最善を尽くす。
その行動も教育だと思う。親がやって見せるしかない。民事裁判でもなんでもやってみないと教えられない。
自分でやらない、勉強もしない。親がこれでは、生きる力の教育は無理だと思う。
終活
終活は一時期考えていたが、よく考察してみれば、自己中心的な行動だ。今は無意味だと思っている。
人は明日も生きると思い行動して、後は行き倒れでいい。
それが人生だ。
終活して死後も盤石だと本当に思っているのだろうか、自分の周りを見ても、そんなことは全くない。遺産相続や遺品整理の面倒ごと、起こる時は起こる。残された子供達がまともなら、そんなことはやる必要はない。親の人生を辿るチャンスを奪っている。
生きている時は最善はつくす。勝機を持って人生を選択する。盤石でもないがそれを意識したい。
その前向きさが子供達のこれからの人生に対する姿勢を左右する。