人生最後に残る趣味は何か
結局、人生最後に残る趣味は何か 林望(りんぼう先生)
題名が気になってブックオフに注文した。そうなのだ。まだ読んでいない。何となく内容は想像出来る。所詮爺さんの話だ。爺の私はよく分かる。
今回ここでいう趣味はコレクション系の趣味ではなく、あくまでも能動的な趣味を言う、つまりスポーツ全般、アウトドアの遊び(釣り、登山、スキー)、サムネイルのシーカヤックなどだ。
スポーツの趣味は老化との闘い
私は今まで色々な趣味を持っていたが、既に消えているものもある。一体最後まで残る趣味は何なるのだろうと考えている。若い人にはどうでもいい話だが、この歳になると体力、能力的に何でも出来るはずはないし、出来れば死ぬまでやれるものがいい。
この前、友人とこの話をした。
「自分が60才過ぎて、続けているスポーツとして、イメージしていたのはスイムだなぁ。ランニングは足が保たない」と友人は言う。
「スイムは怪我が少ないし、いいよね」と私。
「でも俺、肩腱板断裂になってしまったので、スイムは出来ないよ」
「何それ?」
彼が言うにはそれは老化による病気だった。
「そんな病気があるのか・・」
「老化すると予想もしない運動障害が起こるよ、自分は右肩を手術しているので、スイムは怖くて出来ないよ」
老人にスポーツを趣味にしろと安易に言う人もいるけど、肉体的に無理なこともある。私達のように長年(30年以上)、トライアスロンなどのスポーツをやっていようが、老化現象はそんな経歴など無関係に襲ってくる。
腰部脊柱管狭窄症
実は私も2024年、登山を趣味にしようと先の友人と何度か登山をしたが、8月末、シメとする富士登山の1週間前に尻から足に激痛が走る。歩くどころから立っているのも苦しい状態となった。当然富士登山はキャンセルした。
整形外科でMRIを撮ると、「腰部脊柱管狭窄症」と診断された。こいつも老化が原因だ。
私の症状は中程度だ。よって治療は老人得意の保存療法、これで長年つき合う病気になる。
まだ40才くらいまでの若造が
「病院が老人だらけだ!」
「医療費の無駄遣いだ!」と言うが、老人にも色々と理由がある。今まで若造だった私は反省する。
薬とリハビリ治療を続けて2ヶ月、痛みなどの不具合は90%解消したが、残り10%は難しいかもしれない。
今後のスポーツ
私は登山の前にはトライアスロン、自転車レース(ロード、マウンテンバイク)、スイム、マラソン、トレランを趣味としていた。
トライアスロンは63才(2019年)で引退した。マラソンも2020年1月の5キロが最後となっている。トレランは試合ではないが、2020年6月以降走ってない。スイムは60才(2017年)でのOWS(オープンウォータスイム)が最後だ。この時は運良く年代別3位。これが色々な試合での最後の入賞となった。
実は、私が引退を余儀なくされた抜本的な原因はこれだ。
2021年、マウンテンバイクの練習後、帰宅時に急性心筋梗塞となった。かなり危い状態、カテーテルでステントを5本入れた。生きているだけでも奇蹟なので、流石に試合参加に関しては全面的に止めた。スポーツ自体は相変わらず続けている。
しかし、それも難しくなっていると感じる。
スイムはここ1年程、体の発疹に悩まされてた時期があり、今は治ったのだが他の要因もあるので泳いでない。
そして現在、「腰部脊柱管狭窄症」の治療中だ。この病気は歩けない、走れない病気なので、自転車が運動として唯一可能なものとなっている。
自転車を使ったリハビリで90%回復しているが、取りあえず持病となった。先の心臓病に加えて二つ目だ。これからさらに増加すると予想する。
これが老人のスポーツのパターンだ。持病を持ってのスポーツ。たまに超健康体の年寄りもいるけど、それは稀だろう。結論として、スポーツは最後まで続く趣味とは考えにくい。
アーチスト的な趣味 ギター
高校時代にギターは少しやっていたが、20才以降は音楽は聴くだけだった。それが、娘1がギターをやり始めたのを見て、それに感化されて54才から再び始めた。趣味歴として14年となる。バンド活動も2011年から今まで続いている。
ギターは一時期40本も所有していた、集めるのも趣味ではあるが、基本演奏することがメインなっている。つまり演奏技術(スキル)を上げていく楽しみが趣味だ。スキルが上がれば、今度は人に聞いて貰いたくなる。それは承認要求?
今年の5月にライブがあった。この時、メインのギターリスト、マルチプレイヤーおよび編曲担当のリーダが参加出来なかった。当然曲のアレンジは変えて、私がメインのギターを弾く形となった。13曲やるので、結構なプレッシャーだ。それとこの歳になると、連続でギターを弾いていると指がつる。ここでも老化との闘いだ。
それでも、こんな機会があと何度あるだろうと思い頑張る。またこの歳で、お客さんがいて演奏出来る場があるとは有り難いことだと思う。
全盛期は6人体制、今回は4人、足りない部分は打ち込みをしている音をラインから流している。そんな状況でライブが終わる。
ステージでギターを仕舞っていると、一人の男性が私の前に来て、「ギター演奏よかったです」そんなことを言う。まあ、今回は全面にでるしかないので、音は目立ったと思うが、直接言われると嬉しい。
こんなことで自分を過大評価はしないが、「俺でもまだ人を少しは感動させることがあるんだ」と驚く。
この趣味は死ぬまで続きそうだ。
Noteへの投稿
私は根本的に理系なので、技術的な文章の書き方は勉強している。つまり結論を書いてから説明するような文書だ。文学とはほど遠い、技術論文や特許申請するような技術文章を沢山書いていた。それでもエッセイや小説も書きたいと思っており、たまに技術文章にそんな文章を混ぜて怒られていた。そんな私だが、駄文を45才位頃からパソコンに書きためている。
後、2000年頃かな、PC系雑誌へのエッセイが優秀賞となり賞金を貰ったこともあった。自分をそれで過大評価はしないが、さらに書くことが好きになった。今は趣味として思うまま何でも書いてNoteにアップしている。
ただ妻が「文章の校正と推敲をしなさい。そうすればもっと良くなる」と言う。まあそうなんだけどね。
小説に関してはパワーがいるので、エッセンスのみを書いている。完結したのは公募応募した1本だけだ。公募があればまたまとめたいと思う。
そして、この趣味は頭がボケない限り続くだろう。
音楽を聴く。NO MUSIC, NO LIFE