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「トライアスロンの日々2」           1985年夏

スイミングクラブ
会社が終わると、俺はスイミングクラブへ急ぐ。
7月半ばに入ったが、空梅雨のためか、蒸し暑い日が続くいていた。
後楽園スイミングクラブのマスタークラスは午後7時から始まる。
コースは8コースあり。1,2コースが初心者クラス。3,4コースが上級、5コースが超上級コース、6,7,8コースが中級コースだ(一番多い)
今日は新しい人が入っていた。若い女の子だ。ここでの若い女の子の定義は25歳までだ。俺は30歳。すでにオジサンと言われる。
ちなみに30歳以上の女性もここのマスタークラスには沢山いるが、彼女らはクラブの子供達にとってはオバサンだ。

さて、練習前のアップの時間、コーチがアップするその子の泳ぎをみていた。俺が見ても、競泳選手の身のこなしだ。おそらく速い。
コーチはとりあえず、超上級コースで泳いでみてと指示をしていた。
この時期、マスターチャンピオンとか、素行不良で水泳部を首になった中学生とか、水泳部のない高校の高校生もいたので、そいつらをしごくため、この超上級コースが出来た。
上級クラスに在籍している俺は「ちょっと残念」
でも練習が始まると乳酸と酸欠でそんな煩悩は何処かに飛んで行った。

このマスターコースはコース別にコーチもおり、会員全員が練習に参加すると、コースが溢れるほど盛況だった。これは今考えると凄いマスターコースである。当時はフィットネスブームとバブルで若い子は皆元気だった。
スマホもないし、スポーツこそが、モテる基準だった時代。
一方コーチにも若い女の子も多く。オジサンはなぜか担当が若い女の子になると出席率があがる。オバサンは逆パターンだ。

練習も半分終わり、隣のコースを泳ぐ新人を見ると、泳ぎは綺麗で速いが体がまだハードな練習に慣れてないようだ。どうもインターバルのサークルについていけてない。
コーチがそれに気づき、下のコースへ行くように指示した。つまり俺の泳ぐコースだ。
その子は一番後ろについたが、基本水泳は後ろが楽なので、皆、
「前に行って、前に、若いんだから」と前に行かされる。
「どーぞ、どーぞ」
「どーぞ、どーぞ」
ついにトップを泳ぐ俺の後ろに来た。俺も出来れば先頭を泳いで欲しいが、インターバル途中だし、かっこ悪いので、そのままトップを泳ぐ、あおられるので結構必死。
今日はとても疲れた。
その子とは練習中は、余裕もなく特に会話もなかったが、ダウン終了後に、シャワー室で声をかけた。

「明日から、先頭を泳いでね」
「はい、わかりました。私、大学の都合で、水曜日しか来られないんです。でも来週もよろしくお願いします」
思ったよりハスキーボイスで答えて、頭を下げ、女子更衣室に向かった。
水泳選手独特の肩幅のあるやや猫背な背中と脂肪のないしまった肢体、スラリと絞まった太もも。そんな後ろ姿を俺は見つめていた。
「イケさん、あの子、いいね」と夜の帝王アベさんが言う。いつの間にか俺の横にいた。
女とみれば、見境なく口説く身長180cmのマスター日本記録保持者だ。歳は俺と同じ。教員免許も持っているが、地元で家業を継いでいる若社長だ。
「結構美人だよね」彼にとってはすべての女性が美人だ。
ノウメイク、スイムキャプと、ゴーグル姿でもカワイイ。

「アベさん、どうです、盛り上がったところで、トライアスロンに出ません?」俺は話を変える。
「無理、無理、まず走れないよ」と言い、彼は汗をかくため暖房室へ消えた。
「イケさん、今日、行きます?」トライアスロン仲間のモリヤマさんが話かけてきた。毎度のお誘い。
「いいですね、じゃあ、ソラマメ(お好み焼き)でも行きましょう」と答え、今日も飲みに行くことになったのだった。

着替えて、外に出ると、夏の蒸すような草のにおいが大気に充満している。
まだ夏の始まりで、夜も浮き足立っているようだ。
モリヤマさんらを待っていたら、自転車置き場から、ロードレーサーが走り出た。ライダーが
「お疲れ様」と声をかけてきた。
走り去った後に気づいた。あの新人ちゃんだ。あ、名前を聞いてないなぁ。
「カオリちゃんだって」いつの間にか、アベさんがいる。
「さっき、コーチに名前を聞いたよ」
「そうですか」
その時、遠くに花火の音がした。まあいいや、ともかくトライアスロンの大会も近いし頑張ろう。
30歳独身のまだまだ青い俺だった。

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