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私が死にたいと思わなくなった日④

こんにちは。おむすびころもです。
このシリーズも④まできました。

以下①②③のURLを貼っておくので、まだ読めていない方は、こちらも是非読んでみてください!

前回③では、過去を遡って祖母のことについて書きました。

なので今回は、お話としては②の続きとなります。

それでは④の内容に入ります✿

良いこと、悪いこと

病院にお見舞いに行った次の日、私は下宿先に戻りました。
その日の午後から大学の授業でしたが、祖母のことが心配で全然集中できませんでした。

いつ両親から体調不良の連絡が来るか。
もしかしたらもう会えないかもしれない。
心にまた不安が渦巻きました。

その週の日曜日。

父が祖母のお見舞いに行ったそうで、家族LINEに連絡がありました。

ちょっと息苦しそうだけど元気でした。
意識もはっきりしているし、酸素マスクもありません。
ご飯はまだ無理です。点滴でしたが、お父さんの顔を見てやや興奮気味になりました。

少し安心できるLINEでした。

何より父の顔を見てやや興奮気味だったというところ。
やはり息子だからでしょうか。
父の顔を見て何か感じたのかもしれません。

そしてその後、両親と電話した時、父から驚くべきことを言われました。

なんと祖母は肺炎が治ったのです。

祖父は肺炎が原因で亡くなったので、祖母も肺炎になったと聞いた時は正直ダメかもしれないと思いました。
なので本当にびっくりしました。

実は、祖母のお見舞いに行った後、私は近所にある神社に行きました。
そこは私が幼い頃からよく祖父とどんぐり拾いに行った場所です。

お賽銭を投げ、私はお祈りをしました。

おばあちゃんが一日でも、一秒でも長く生きられますように。

もしかしたら肺炎が治ったのは、神様が私の願いを叶えてくれたからかもしれません。

今度お礼参りに行こう。

私の心の不安は少しずつ溶けていき、6月は何事もなく過ぎていきました。

このまま祖母はまた介護施設に戻って、体調も回復するのでは…。
そう感じていた7月の初め。

姉からまた連絡がありました。

おばあちゃんのこと聞いた?体調悪いって。

また頭をガンッと強く殴られたような感覚。

私はすぐに父に連絡をしました。
あまり良くない状況だと父は言いました。

私の心の不安はまた大きくなりました。

その不安を紛らわすため、姉と夜中まで電話をしました。
兄にも連絡をしましたが、兄はあまり多くを語りませんでした。

不安な中3日ほど過ぎ、また父から連絡がありました。

昨日よりは少し気分が良さそう。今日は少し安心です。
おじさんより。

おじさんとは、父の兄のことです。
おじさんは単身赴任中ですが、祖母の体調が悪いと聞き、お見舞いに帰ったそうです。

気分が良さそうなのは安心しましたが、体調が安定しないのは確かです。

不安な気持ちは無くなりません。

そんな中、祖母は誕生日を迎えました。

父から届いた写真は、酸素マスクを付けた祖母の写真。
祖母の傍には、病院からのメッセージカードがありました。

お誕生日おめでとうございます。
この1年が良い年となりますように。

この1年が

再び酸素マスクをつけることになった祖母。
1年後の誕生日もお祝いできるのだろうか。

私はそう思ってしまいました。

しかし、誕生日を迎えた祖母のことは心からお祝いしました。

私は祖母が最初に入院した時から、毎年誕生日の日にこう思っていました。

今年もおばあちゃんは生きている。

今年も思うことができました。
来年もきっと、きっと同じことが思えるよね。

母から実家に帰って来るよう連絡があったのは、祖母の誕生日の、2日後のことでした。

2度目の病院

おばあちゃんの様子が良くないから今病院に来ています。
明日帰って来れる?

夜の10時。
突然母から連絡がありました。

次の日はバイトがありましたが、すぐに店長に言って休ませてもらうことにしました。

実家に帰るように言うということは、相当苦しい状況ということです。

私は次の日の朝の新幹線で帰ることにしました。

その日は眠れず、ずっと姉と連絡を取りあっていました。
気を紛らわすため、お互いどうでもいい話をしていましたが、私も、おそらく姉も、心の中には大きな恐怖があったと思います。

姉は仕事の都合やコロナの心配で、次の日は帰らないと言っていました。
正直一緒に帰りたかったですが、仕方がありません。

結局一睡もせず荷造りをしていると、兄から兄妹のLINEグループに連絡がありました。

おはよう。
おばあちゃん、正直安定はしていない。
3時頃に血圧が90ぐらいまで上がったらしいけど、今は79まで落ちてる。
呼吸は変わらずしんどそう。

兄も病院に行っているようでした。

具体的な数字を聞くと、あぁもうだめだろうかと、気持ちは益々落ち込みます。

連絡をくれた兄にお礼を言って、荷造りを進めました。
姉は一言「分かった」とだけ返信していました。

私が行くまでにもつだろうか…

不安な気持ちを胸に、朝私は家を出ました。

全く寝ていなかったのに、新幹線の中では眠る気になりませんでした。

しかし祖母の嫌な連絡が来たらどうしようという恐怖心もあり、ずっと目を瞑って携帯を見ないようにしていました。

心臓がずっとドキドキしていました。

実家の最寄り駅に着いたのは、10時半頃。
今回は兄が迎えに来てくれました。

兄も寝ていなかったのでしょうか、少し顔が疲れているようでした。

私は駅から直接病院に行きました。

祖母はかなり体調が悪いからでしょう。
前のようにお見舞いの規則が無く、部屋も1人部屋になったそうです。

何人入っても何分居ても良い。
その自由な状況が、祖母の容態を物語っていました。

体はスタスタと祖母の病室に向かっていますが、心はどこか別の場所で、ずっと不安と戦っているようでした。

祖母の病室の前、兄がドアを開け中に入りました。
私も兄の後ろに続いて、病室に足を一歩踏み入れました。

最後に

今回は病院に着いたところでおしまいです。

ところで、毎回二千字越えになってしまい、大変長い文なのですが、読んで下さる皆様本当にありがとうございます(´;︵;`)

今までは過去にあったことをつらつらと書きましたが、次回ぐらいからタイトル「私が死にたいと思わなくなった日」が少しずつ明らかになっていくんじゃないかな?と思います。

よければ次回もご覧下さい。
そしてスキやフォローもよろしくお願いします❁

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