ポートという後輩サークルが解散した。雑感
ポートというサークルが文学フリマに出店していた。2018年5月から2023年5月までの5年ほどの間の話だ。
3人のメンバー全員がぼくの学生時代の後輩にあたった。彼らは基本的に、3人で短編を1作ずつ持ち寄って合同誌を制作していて、ぼくはそのほぼすべてを買って読んでいた。
そのポートというサークルが解散に至った。経緯も事細かに聞いているが、彼ら自身が発信していない以上ぼくはそれについては触れない。だから、解散したという事実についてのみ、ぼくは今回雑感を述べようと思う。
ぼくにとって、学生時代から交友を続けている創作を志す友人というものは、もうポートのメンバーのみだ。その昔、ぼくも彼らと同じような複数人で運営しているサークルを主宰していたが、残念ながらそのサークルはもう活動をしていない。
実はポートの主宰であるサカキくんは、そのサークルのメンバーだった。なので解散に際し彼が書いたエッセイに登場する「先輩A」とはぼくのことだ。これも彼がおおやけでは触れていない情報なので、ひょっとしたら書かれること自体を嫌がるかもしれないが、まあ書かれているのはぼくのほうなのだし許してほしい。
ぼくは最初に作ったサークルを2年と続けることはできなかった。しかし、サカキくんはその倍以上の時間、複数人で本を作り続けることができた。それだけで、ぼくは素晴らしいことだと思う。心の底から労いたい。
ぼくは自分の思いどおりの本を作ることが、おそらくは好きだ。その意味において、他人と紙幅を共有するということが堪らなくストレスであったのだろう。はじめから合同誌に向いていない人間なのだ。だから、サカキくんをはじめ、初期のサークルメンバーには迷惑をかけたと思っている。
そんな「迷惑」を乗り越えて、サカキくんは最後までしっかりとサークルの長としてがんばっていたと思う。
ポートの3人は、今回の文学フリマに合わせて「あとがき」と題してそれぞれが思い思いの文章をnoteに掲載しているので、前述のエッセイと合わせて読んでいただきたい。
正直にいうと、サカキくん以外のふたりの「あとがき」なるものにはいろいろと言いたいことはある。まあ内々でどんな話があったのかは分からない。事前にこういう風なものを書こうと打ち合わせがあったのかもしれないが。
さて、彼らはこの先も「屋根裏の筆猫」「lie-ban」というサークルに別れ、それぞれが創作活動に勤しんでいくらしい。
とくに「lie-ban」を運営していくしらたまくんは、とてもいい小説を書く人だ。自分がなにを書くべきかということに、高い社会性を持った視線から語られる作品たちは、今後の展開が楽しみでしかたがない。
創作をにおいて悩みは尽きない。自分たちができることの限界と、熱意の浮き沈み、あるいは承認欲求との兼ね合い。売り上げだってそれに含まれるのかもしれない。
そういった雑念に思えるものに苛まれたとき、今回の解散が彼らを支えるひとつの経験になってくれればいいと思う。
ぼくはいまだに、最初に作ったサークル「木の葉スケッチ」というものから得た経験や、失敗に生かされているような気がする。具体的にはもう分からなくなっているくらいに、血肉になってここに残っている。
メンバーは消えても、ぼくが消えるまで、これは消えない。
彼らからなにが消えないのか、あるいは消えていくのか。この先にしか答えはないだろう。
ぜひとも後輩たちにはがんばってほしいと思う。ぼくの学生時代を、今からするとただの駄文を書き連ねていたぼくを知る彼らが消えたとき、ぼくはある側面からすれば、とうとうひとりぼっちになる。
もちろん彼らにとってもそれは同じなのかもしれないが。
負ける気はないが、どっちが先に消えるか、見ものだと思う。
というわけで、以上雑感を終わろうと思う。
さようなら、ポート。
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