もう一歩踏み込めば、おもしろさがわかるはず。
ほんの感想です。 No.23 泉鏡花作「高野聖」明治33年(1900年)発表
今回、泉鏡花作「高野聖」を読んでみて、「もう一歩、このグロテスクな描写に踏み込んで読めば、おもしろさがわかるはず」だと思いました。その根拠は、初めて「くさや」を食べたときの思い出です。
事前に広辞苑を引いたところ、
高野の旅僧の行脚物語に借りて、旅僧が飛騨山中で出会った怪異を夢幻的に描いた作品
とありました。
そのため、山中で道に迷った若いお坊さんが、一宿させてもらった家の美女が人ではないと見破り、命がけでその家から逃れた、という話を思い浮かべていました。
また、怪異についても、浦島太郎のように、妖しい美女が、山の幸と歌舞音曲で大宴会を催し、僧を誘惑する、ということを想像していました。
ところが、読んでみたら少々違う。いや、かなり違っていた。
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調子のよい語り口が、気味の良くない事柄を、次から次へと描いていきます。例えば、僧が歩む山道。この道は、僧が、誤った道を選んだ薬売りを助けようと歩む道です。途上には、道の両端に頭と尻尾が隠れるという大蛇が、一匹、二匹、三匹と現れる。四匹目は、胴の途中で切れた死骸、という有様です。
蛇の次は、巨大ヒルの登場。鬱蒼とした木々の枝から、幅15ミリ、長さ90ミリほどのヒルがボロボロと落ちてくる。ヒルが山に迷い込んだ人の血を吸っては、土に吐きつけるため、道は、赤黒くドロドロとしたぬかるみとなり、僧の歩みを妨げます。
悪路を進み、僧は、ようやく一軒家にたどり着きます。そこで彼が出会うのは、ひとりの美女。しかし、山の幸と歌舞音曲での大宴会は、ありません。代わって、美女の奇怪な同居人や、美女にまとわりつく蟇(ひき)や大蝙蝠や猿が現れます。なぜ、この女人は、このような世界にいるのか。僧が、その秘密を知ったとき、彼は・・・・。
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「高野聖」に描かれる気味の悪い様に、私は、美しいものを見出せない。しかし、泉鏡花は、何かを見ていた。どうしたら私にも見えるようになる。もどかしさとともに考えていたとき、「あること」を思い出しました。それは、「くさや」を初めて食べたときのことです。臭いに強い抵抗を感じ、とても美味しいものとは思えなかった。そのとき先輩が、
「食べてみれば、すぐに、美味いってわかるよ!」
と言ってくれたのです。その言葉は正しかった。食べてみたら、すぐに、美味いとわかった。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。