思い捨てた過去や思わぬ岐路から、突然与えられる人生の不思議さ
ほんの感想です。No.09 岡本かの子作「金魚撩乱」昭和12年(1937年)発表
ようやく岡本かの子の作品をおもしろいと感じられるようになった今日この頃。まさか「金魚撩乱」を読了できるようになるとは・・・。
「岡本かの子」への道
私が十代の頃の岡本かの子像は、「自分の愛と欲望を満たすために魔女の如く強力なエネルギーを駆使する人」、というものでした。ろくに作品も読まず、「耽美的作風」「絢爛な文体」という情報と、岡本かの子自身にまつわる情報(例えば、かの子、夫の一平、そして若い男性の共同生活など)から、勝手なイメージを描き、勝手に苦手意識を持ったのです。今振り返ると、岡本かの子を味わうには、まだまだ幼かったのです。
あらすじ
崖下の金魚屋の跡取り息子の復一は、子供の頃から、崖の上の屋敷の娘真佐子にとらわれていた。
真佐子の父の援助で水産学校を終えた復一は、崖下の谷窪で、真佐子が望んだ「美しい金魚の繁殖」に取り組む。それから二十年近く、複一は、崖下から「自分とは全く無関係に生き誇っていく女。自分には運命的に思い切れない女」を見上げ、「真佐子を彷彿とさせる美魚」を生み出すことに心を傾ける。
おもしろさ
1 復一の「美」の追求
主人公の復一は、家柄の違う、幼馴染の真佐子に心惹かれてきました。子供の頃は、いじめることで、発露させていた思いは、大人になれば行き場がありません。それでも、彼女との縁を願う復一は、真佐子が好きな美しい金魚を生み出す世界で、生きようとします。
そんな復一が、「美しい金魚を生む」ことを追求する様子には、「自分が納得できるものを得るため、ここまでするのか」という驚きがありました。岡本かの子は、金魚の繁殖に関する情報を、これでもか、というぐらいに書き込んでいます。そうした書き込みにより、金魚に打ち込む復一の凄みや、鬼気迫る感じが表現されたように思えます。そう考えていると、復一に、カリカリとペンを走らせる岡本かの子の姿が重なり、ゾクゾクします。
2 結末
ある秋、大暴風雨で金魚を流され、十数年の苦労が空しいものになります。そのショックから、復一は精根尽き果て、意識を失います。そして、目覚めた彼は、あるものを目にして、再び衝撃を受けます。それは失望と、それ以上の喜びを復一に与えるものでした。復一は、次のような感慨を持ちます。
意識して求める方向に求めるものを得ず、思い捨てて放擲した過去や思わぬ岐路から、突兀(とっこつ)として与えられる人生の不思議さ。
この結末には、あることに囚われ注いだ熱量が、行き場もなく澱みをなしていたところ、一気に洗い流され、その跡に別の世界の扉を見出した、そんなイメージを重ねました。
我意を諦めた時、思いがけないところから、何かが与えられる。一見、人の努力が否定されているかのようですが、努力があったからこそ、という気もします。岡本かの子が、この結末としたことに、感じ入りました。