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澱みに目を凝らしていたら、見えてきたもの


悪戦苦闘読書ノート第10回 樋口一葉作 「にごりえ」
発表1895年(明治28)

こんにちは。前回に引き続き樋口一葉、作品は「にごりえ」です。最初から最後まで、重苦しくて、やるせない世界です。それにもかかわらず、物語の余韻に清らかな印象を受けることができたのは、構成と展開によるものと思いました。但し、読了するまでには、雅俗折衷体に、泣きました。

あらすじ

主人公の若く美しい酌婦お力は、店一番の売れっ子だが、身の上を嘆き、鬱屈とした日々をおくっていた。お力の元客の源七は、零落して店に通えなくなった後も、彼女のことを忘れられずにいた。そして、源七の妻、お初は、酌婦を思い切れず、仕事に身が入らない夫に苦しみ、その原因であるお力を憎んでいた。ある日、三人は、三様の形で、この澱みから流れ去っていく。

こう読みました

一 構成と展開
本作の内容は、救いのないものです。しかし、樋口一葉は、単に悲惨な状況を書き連ねたわけではありません。重苦しい素材は、作者が本作のために選んだ構成と展開により、「哀切」になった、と思いました。

「それぞれ苦しみを抱えている、関わりのある三人の人物」を設定し、苦しみの内容が丹念に描写されていきます。「この状況を、どう収束するの?」と、否が応でも、ラストに意識が向かう構成です。

本作の、主人公お力、その元客の源七、その妻のお初の三人は、それぞれ、次のように描写されました。

・お力は、こどもの頃の貧しさの記憶が拭えず、今の酌婦の身の上にも鬱屈を感じている。そして、ある出来事から、これからも状況は変わらないと諦めてしまった。
・源七は、商家の主だった身から落ちぶれてしまい、客としてお力と会うことは叶わないと承知している。しかし、お力に手紙を届けるなど、思い切ることができずにいる。
・源七の妻のお初は、「働いてさえくれれば、女のことは我慢する」という最大の譲歩をしたのに、夫に無視されて、心から失望する。しかし、他に行くところがなく、どれほど貧しくても、夫と別れることができない。

塗り重ねるように描写される三人の閉塞感は、どんどん募ります。そして、「ある日」の出来事で、「パン!」と、破裂させられるのです。

二 雅俗折衷体をスラッシュ読みする
本作を読む上での、ハードルは、雅俗折衷体の文章でした。
一つの文章に、複数の話者による、複数の内容が盛り込まれています。たびたび話者が変わるので、途中から、誰が何を言っていたのか、わからなくなる、という恐ろしい文章です。

「いつ終わるともわからない文章を、内容を忘れずに、読み続ける」という作業は、かなりつらい。そこで、「話者が変わったところにスラッシュを入れる」読み方に変えてみました。本は汚れましたが、文章への集中が高まり、内容の理解が進んだ気がしました。

感想

樋口一葉の亡くなるまでの約一年間は、「奇跡の一年」といわれており、本作をはじめ、代表作の多くが発表されています。各々の物語の味わいとともに、作品同士の響き合いも感じられ、新たな気づきとなりました。「樋口一葉、すごい!」です。

創作のヒント

三人の状況は、「ある日」を契機に大きく変わります。その、「ある日」の設定が絶妙です。選ばれたのは、7月16日の盂蘭盆会、先祖供養のため家族が集まる日です。一方、主人公の働く銘酒屋にとっては、独り者の客が押し寄せる稼ぎ時の日であり、お力が、身の寄る辺なさを、あらためて感じる日と言えます。

こうした「家族」を象徴する日を選び、出来事を設定したことで、その次に来る大きな事件の発生に説得力が与えられた、と感じました。

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