お父さんがこれを読んだら、とても嬉しいと思う。
ほんの感想です。 No.40 牧野信一作「父を売る子」大正13年(1924年)発表
「父を売る子」というタイトルに、「何が書いてあるの?」とドキドキしました。この作品は、牧野信一の私小説とされています。その響きから、読む前は、彼が実生活で経験した苦悩の反映を想像していました。しかし、読了後、シャイな息子が書いた「お父さん大好き」が溢れた物語と感じました。
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「父を売る子」は、「彼」によって語られます。
小説を書く「彼」は、妻と、父と母が住む町に移ってきました。「彼」の父と母は、小さな町に住みながら、別々の家に居ます。父は、「会社の人間との相談の場」を持ち、そこで寝起きしているのです。
「彼」は、父のことを短編小説に書いていて、それを見た父が、「もう一生あいつとは口を利かない」と激怒したことを聞きます。以後、往来で父を見つけても、顔を合わせないようにしています。
そんな「彼」が、この激怒前の父との思い出を語ります。
そのほとんどは、父と息子が酒を飲んで、酔っぱらって、話をする、というものです。しかし、そこには、二十七歳の息子の、「お父さんと遊ぶのが嬉しくて、楽しくて仕方がない」という、高揚した気分が溢れています。
それは、例えば次の場面で感じられました。
・ 母や妻に言われて、「彼」は、しばしば父の家を訪ねる。あるとき、父の客や女性たちを意識し、「彼」は父に大声を出しますが、「それは芝居」と言って、父と酒を酌み交わす。
・ 酔っぱらった父と子が口にするのは、呑気な雑談や、「彼」の母や妻、親類への悪口。
・ また、「彼」の生まれてくる子の名前について、「誰にあやかろうか」と、二人は先祖の品定めをし、結局、父が「俺の名前からどうか」と提案する。
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作品の冒頭と終盤に、この作品が書かれた経緯として、次のことが記されています。ここで、「父を売る子」の中の「彼」と、作者である牧野信一が重なります。
・あることで父と口論し、父について思うことを、短編小説として書いた。
・その短編小説に父が激怒すると、破れかぶれになり、もう一作父のことを書いた。
・さらにもう一作書いて、「父を売る子」という題を付けようと考えた。
・その後、父と仲直りして、「父を売る子」を書く気が失せ、中断した。
・さらに父に「あること」が生じ、父を書く張り合いを無くした。
・「父親小説は、もう終わり」との気持ちで、「この生温かい小説」に「父を売る子」という題を付けた。
眺めていると、「作者は、お父さんに構って欲しくて小説を書いていたの?」、と思えてきます。作品の内容と相まって、牧野信一の「お父さん大好き」確定!という気がします。
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「彼」の母や妻から見れば、「どうしようもない父子」です。しかし、読み手には、「彼」の「お父さん大好き」な気持ちが、愛おしく感じられるから不思議です。
「現実であれば、耐えられない」という世界が、牧野信一の感性では、このような温かさを感じる世界となるのか。そんな風に思いました。
大変僭越ですが、牧野信一先生に、「お父さんがこれを読まれていたら、とてもお喜びだったと思います」、とお伝えしたい。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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