にっぽんの知恵「出汁(だし)⑥魚の入手が困難な京都が育てた『だしの文化』」
写真:「瓢亭の松花堂弁当」(瓢亭のHPより)
いうところの「だし」に、たえざる工夫を加え、洗練された食の文化にまで高めた代表格が京料理なのだといえるでしょう。
では「なぜ京都」なのでしょうか。だしが京都で尊ばれたのには、それなりの理由があるようです。
その歴史を高橋さんが教えてくれました。
「昔の京都には、ハモやタコをのぞくと、新鮮な海の魚が、ほとんど入ってこなかったんですね。入ってくるのは、ほとんどが塩干物でした。若狭のグジ(アマダイ)やサバやササガレイ、北海道のボウダラや身欠きニシン程度だったわけです。
こんなふうに、ごく限られた魚と野菜を、いかにおいしく食べるか。そこに関心が向けられていった。げんにだしで味を調えた野菜は、京料理に絶対に欠かせません」
だからなのでしょう。さまざまな技能を持った料理人のなかでも、京都では、とくに煮物担当の「煮方」が重視されます。
たとえば、海老しんじょうにタケノコなどが入った煮物椀などは、たんなるスーブではありません。懐石料理のコースでは、最も大切な料理として位置づけられているのです。
そんな京料理が魅力的だという点では、全員が一致しました。
伏木さんは、
「だしを使うことで、野菜に動物性食品のような風味やおいしさをまとわせる点がすばらしい」
といいます。
つまり、ひたすら雑味をそぎ落としていって、ぎりぎりまで素材の味を引き出すのです。その丹精と洗練は究極の「だしの文化」だといっていいだろうと、ぼく自身も強く思います。
ただ、その価値を熟知しているはずの高橋さんは、
「でも、私がいちばん好きな料理はフランス料理です。フランスの名料理人の一人に、アラン・デュカスがいますが、彼の料理の塩のあんばいは絶妙だと思います」
不思議はありません。巨匠の技は、世界的に通じ合うということなのでしょう。
この記事と直接の関係はないのですが、ぼくは、こんなキンドル本を出版しています。
無論、Kindle Unlimited なら、無料でダウンロードできます。お読みいただけると、大喜びします。