〈実話前世👘8〉青森でマミコが霊に取り憑かれた
こんにちは👋😃、椿あんこです。
それでは、前回の続き、行ってみたいと思います☺️。
⛩️あんこ一家、青森に行く
去年から計画していた、「青森旅行」という名前の、
父トシオの「前世探しの旅」。
この、トップ画像にあるエリアで、
青森でも青森市ではなく、先端の下北の方です。
ここのエリアに、
会津戦争で負けた会津藩の武士達が「斗南藩」と名前を変えさせられ、
移動させられたのです。
彼らはまず、開墾して畑を耕したり、
家を作ることから始めなければいけなかったそうですが、
もともと刀や筆しか握ったことのない武士階級には
想像を絶する辛さだったそうです。
⛩️遠藤家は斗南に行ったのだろうか
父トシオの前世、
会津藩寄合白虎隊一番隊、
遠藤嘉龍二。
まあ、嘉龍二は会津でなくなってしまったので、
ここ斗南には来ていないのですが、
母龍子達は、ここに移り住んで来ていたのでしょうか。
そういう手がかりみたいなものも、
ここに来ることで何かわかれば良いなと思っていました。
⛩️斗南藩の仮の藩邸だった寺
私達は純粋に行ってみたかった、八戸漁港や
恐山にも立ち寄りながら、
斗南藩の藩士達にゆかりのある地に、片っ端から訪れました。
住んでいたエリア、墓のある場所。神社。。。
そして、円通寺というところにも行きました。
この寺は、斗南藩の仮の藩邸代わりになっていた寺でした。
つまり、会津藩の武士たちは、“ここから”新しくやり直そうとしていた、
精神的支柱のような寺だったと思うのです☺️。
⛩️円通寺の墓所で、「会津藩」を見つける
お寺の住職さんのお住まいのところで、
飼い犬のポメラニアンが良い番犬っぷりを発揮していました。
ポメラニアン「キャンキャンキャンキャン!!!!キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン!!!!!!」
私「ポメラニアンのくせにこわいな😅」
ポメ「ギャンギャンギャンギャン💥💥💥!!!!!」
私「ひゃああぁあ~😅💦💦💦」
私達は、敷地内の左奥にある墓所に移動しました。
そこには、新しいお墓、古いお墓、朽ちかけたお墓、無縁墓、等が混在していました。
特に特徴的なものもない墓地です。
しかし、
私「あ!!!このお墓!😳😳😳」
⛩️文字が大きい会津藩の墓
私達は、できるだけ古いお墓を探しながら、
墓石をひとつひとつ、眺めていました。
すると、会津藩っぽいお墓を見つけました。
これは前回の会津旅行で、会津藩士のお墓を見た時に思ったのです。
「墓碑銘の文字が大きい!」
たとえば、こんな感じです。
普通のお墓は、
椿家代々墓、と書いてありますよね。
それが、
江戸時代の会津藩の墓は、一人一基で、
椿
あ
ん
こ
墓
と掘ってあるのです。
しかも、かなり大きな文字で😳。
青森県民のお墓の文字は、文字の大きさもいたって普通です。
しかし、ここの墓地の古いお墓は多くのものが、「実名フルネーム&馬鹿デカイ文字」。
私「会津藩の墓だ。。。」
物事には、順番があります。
まず、会津旅行をしなければ、私は会津藩士のお墓の特徴を
インプットできなかったのです。
はじめは青森旅行にすぐにでも行きたかったですが、冬が近づいていたし、私の仕事も忙しかった。
1年待つのは長かったですが、
この順番こそが良かったのです。
⛩️何かに憑かれたマミコ
円通寺の墓所では、
父トシオの前世の遠藤家の痕跡は、何も見つけられなかった私達。
ホテルに戻りました。
そして事件は次の日の早朝4時ぐらいに起こりました。
マミコは、円通寺で、「何か」を連れて来てしまいました。
マミコ「き、気持ち、悪。。。。😳😱😳😱」
洗面所で水を飲んでもダメ、口から、エクトプラズム?みたいなものが出そうな、
出なさそうな、でなさそうな。
マミコ「どうしたらいいの😭😭😭?!」
すると、佐一郎の霊が出てきました。
⛩️佐一郎のアドバイス
佐一郎「昨日のお寺に、その霊を返して来なさい。お塩を持って。トシオ君と行きなさい。
あんこちゃんは危険だから連れて行っちゃだめだよ」
マミコは、這うように車に乗り込み、
トシオがコンビニで食卓塩(しか売っていなかった)を買い、
円通寺でその塩を撒きながら「何か」を寺に返して来ました。
私「え!またあの寺行ってきたの?
爆睡していて、全然気づかなかった~😁。」
私はマミコ達から、朝の悪霊祓いの顛末を聞きました。
結局、遠藤嘉龍二に関する情報は何も得られませんでしたが、
下北半島の想い出と、青森県のお土産と、
コンビニで買った袋サイズの食卓塩(の残り)とともに、東京に戻りました。
続く!
椿あんこでした。
今日もお読みいただきありがとうございました😊💕
スキ✨️もいつもありがとうございます☺️。