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旅ブロガー女医えりおの「ピルと月経・妊娠」観

国内医師の9割に当たる29万人が登録する医療従事者向けのメディカルプラットフォーム「m3.com」がお届けしている新コンテンツであり、医療従事者の経験・スキルをシェアする「メンバーズメディア」にて、
「旅するフリーランス女医・えりおの旅行手引」と並行する形で、連載しております「旅ブロガー医師えりおの”複業” のすゝめ」
医師としてのキャリアとブロガー&毒舌コラムニストとしてのキャリアについて、毒を交えながら展開しております。

中でも自分が女性であるがゆえのよしなしごとにつきまして、色々展開したところ、なかなか楽しんでいただけておりますようで、いやはや、ありがとうございます。

今年に入って早々
44歳子なし女性医師「閉経間近」も悔いなし
なんて記事をぶっ放し、
今まで子を産むということを全く希望せず、現時点で全く罪悪感も後悔もない体たらくっぷりをお届けしたところ、
また相当な衝撃だったのか!?かなりの反響がございました。

それにしても、未だに「なぜあえて“女医”と名乗るのか」くらいしかアンチコメントが届かないのが大変残念であったりします。
(ちなみにその理由は「男性社会」一泡吹かせたい 私がわざわざ「女」医を名乗る訳に書いてますので、こちらを読んでください)

そんな背景もあり、自分の体重以外は、何を書くにも恐れ知らずのワタクシ、
今回お届けするのは「月経、ピル、妊娠」という女性がなかなか発信しない「そのエリア」についてです。

執筆当時44歳、この記事が公開された7月14日をもって45歳になりましたワタクシ、
人生における「月経」「妊娠」というカテゴリーにおいて、ざっくり分けるとしたら「専門医とる前」「専門医とった後」となります。

ナゼなら、専門医取った翌年のタイミングで、自分的に「いつでも妊娠解禁」となった一方で、その途端に離婚したのと、低容量ピルが月経困難症に対して保険適用となったからです。

初回は「専門医とる前」、そして自分の「男性観、妊娠のタイミング」が確立されていった10~20代、主に仕事面で生理や妊娠・出産をどうとらえていたかの話をします。なお、旅については旅連載で書かせていただきます。


専門医とる前「ピルを知らなかった頃」の「月経・妊娠」観

ピルが認可されていなかった10~20代

「専門医とった」のが31歳ですので、「専門医とる前」というのは主に10代~20代の頃、ということです。

20代の半ばになって性的な話題も満載だった海外ドラマ「SEX AND THE CITY」がヒットし、性的にも社会的にも自立した30代に憧れていたものでした。

30過ぎれば(正確には専門医取得した31歳ですが)、「世の中怖いもんなくなるな」と思っていました。

今振り返ってみると、それ若干、当たってたんじゃないか、とか思いますね。


調べてみたところ、1999年にバイアグラと、低用量ピルが、自費にはなりますが、処方できるようになっているんですね。

しかし、あの頃は「低容量ピル」がまだ身近な存在じゃなくて、むしろ悪いもんだ、みたいな風潮がありましたし、何より、まだ医学を知らない時分で、婦人科を定期的に受診するのも抵抗がありました。月経自体もそこまできつくなかったので、自分は保険適用になるまで、手が出せなかったです。

「医学部入るまで」10代の生理とピル事情

13歳(中1)で初潮を迎えてから「医学部に入学するまでは男性と性交渉はしない」と決めておりましたので、18歳までは、強姦されることでもなければ、妊娠の心配も、避妊の心配もないわけです。
従い「避妊のためのピル」という概念は考えにも及びません。

当時は「生理を軽くするためにピル」ということには考えも及ばなかった。中学の時はバレーボール部、高校はほぼ帰宅部、でしたので、生理が気になるのはバレーボールの大会や、水泳の授業の時、とかですよね。

しかし、ここぞという大会や、泳ぐタイミングで、笑っちゃうくらい生理のタイミングが「外れて」くれることばっかりだったので、そこに煩わされることはなかったです笑

幸い、経血の量もさほど多くなく、生理痛も軽度で、中学の頃は、ナプキンしか知らぬ時代でした…。
高校になって「タンポン」という技を覚えてからは、さらに選択肢が広がりましたね。

「経験」がないもので、「穴がどこにあるのか」最初は苦労しましたが笑 あれ、入れると本当に、何もなかったかのように過ごせるのですけど、「抜く」時のあの感じがイヤで笑 
ここぞというイベントが生理1~2日目と重なってしまった時以外、常用はしていなかったです。

総じて「10代でピル」は、「わざわざ婦人科を受診してまで…」という思いもあり、自分には身近なお話ではなかったのかな、と思います。

「イベントの日に月経が重ならないように」ということと「妊娠する・しない」という2つの問題がフォーカスされてくるのは、浪人することなく、最少年齢で大学に入ってからとなります。


「妊娠するしないは自分に選択権がある」「女性の最強カード」学んだ20代前半

まず「イベントと月経」についてですが、その当時、あまり月経過多や生理痛に悩まされることがなく、1~2日目をしのげば、あとは楽勝状態でしたので、旅行などの場合も、1~2日目が当たらぬように調整して、あとはタンポンでしのぐか、どうしても!という時だけ、婦人科を受診し、生理をずらす薬をもらっていました。

当時処方されたのは中容量ピルでした。たいがい、あと2週間で「来ちゃうかも」というタイミングでしたので、早めるのではなく「数日遅らす」ことが多かったです。

次に「妊娠」ですが、
今でこそ地位のある女性が、あえて「シングルマザー」として出産されている例もありますが、あの時代はどうしたって妊娠・出産は結婚とセットでした。

同じ大学の先輩医師であり、開業医であった父からは
「女子医学生の婚活賞味期限は2学生のうちだ。学生のうちに結婚できる相手を見つけられなかった、同級生の女子は、生涯結婚できていない」
と言われておりましたし、自分のキャラが年上男性にウケるのは、確かに、20代前半までだろうな、とも思っていたので、よっしゃ、世の男性より稼ぎの少ない学生のうちが勝負だぜ!!という感じでした。

そして、教師という、私と同じく「資格を要する仕事」をしている母から教わったことが、
男性に大事にしてもらいたければ「すぐに股を開かないこと」
そしてもう一つが「資格さえあればいつごろ子どもを産むかは女性次第よ」ということです。

男性が絶対できないこと、それが「妊娠」です。
(個人的に「マルチタスク」というのもありますが、そこは今のところ黙っててやりますよ、ふふふ)

そんな男性相手に「妊娠してやるかどうか」、その選択肢は全て女性にあるのです。

男性が自分の遺伝子を遺したくても、女性がその男性の子を孕むことに「ノー」といえば、それは叶えられないんですよ。

両親の教え、そして自分の恋愛(実質「婚活」)の経験から、
「妊娠する・しないのイニシアチブは女性がとるんだ」という考えに至ったのが未婚の20代前半でした。

男性に「妊娠させられた」、女性は「子を産む道具」という風潮がどうしたって強いですが、
医学部に入学し、将来「医師免許」という最強カードをほぼ確実に手に入れるだろう、という私の教科書にはそんな概念、全くございませんでした。

その甲斐あってか!?
22歳、大学4年生の時には、その後の夫となる男性を探し当て、2年間の交際の後、ともに医師国家試験に合格、さらに2年交際し、2年間の研修を終えた26歳で結婚することとなります。


「安定した生活」も、「妊娠は後回し」とした20代後半

26歳から、6年にわたる結婚生活のうち、最初の3~4年は、少なくとも月経・妊娠・出産という方面に関してはなんのトラブルもありませんでした。今振り返ってみると、強いて妊娠するとしたらベストなタイミングだったのは、事実婚ではあれ、結婚生活をしていた20代後半の5年間だったのではないか、と思います。

ただ、なぜ妊娠に至らなかったのか。それは「専門医をとりたかったためコンドームで避妊をしていたから」

パートナーとの関係は、今後どうなってしまうやら、もしかしたら事故で相手が亡くなる、ということもありえるわけです。

が、専門医の資格、正確に言えば専門医になるまでの過程で得られたものというのは、パートナーに何があっても自分の財産として残りますので、私も当時の夫も、まずは専門医取得を最優先とする、というのが共通認識としてあり、コンドームを利用しての避妊は双方の同意のもと、交際時の延長で自然に行われておりました。それは専門医を取得する31歳まで続きました。

20代前半で確立した「妊娠する・しないは私の意思次第」。常にイニシアチブは私がとっておりましたし、私の言うことを全て受け止めてくれるパートナーでした。


仕事と生理、という側面からは「オムツ型の生理用品」さまさまでした。経血の多いのは最初の2日のみでしたが、長時間のオペにあたったら、それを使用すれば事足りましたから。そこさえ切り抜ければ、あとはほぼ普段通り仕事ができます。ピルが保険適用でなくとも、なんとか切り抜けられました。

が、ピルの保険適用があと2~3年遅かったら、ちょっとやばかったですね。


「ピル飲み始めたらすごすぎて」女性医師驚愕の実態とは

離婚後「ホルモンバランスの乱れ」陥った30代

「専門医とった」のが31歳、このタイミングで妊活、という時期でしたが、翌年、事実婚でした夫と離縁しました。

理由は、フラットに申し上げると、夫としてマイナス要素はなんらなかったものの、医師として見据える方向性があまりに違ってきており、子を産むにしても、この人の遺伝子ではないな、と思うに至ったからです。

が、ちょうどパートナーがいなくなってから、生理前のPMS、不正出血、過多月経が顕著になってきました。

3ヶ月測定した基礎体温もきちんと排卵前後で二層性になっているのに、ナゼなのか。

大学病院勤めなので、女性医師が外来にでているタイミングで婦人科受診はたやすくできました。

なんの異常も見つからず「ホルモンバランスの乱れでしょう」とのこと。

ここでその女性医師から言われたのです。

「つい最近、低容量ピルが保険適用されましたので、すぐの妊娠を考えていないのなら、飲まれてもよいかと思います」

と。

お恥ずかしながら、避妊以外の用途で低容量ピルを飲むという手段があると、この時はじめて知りました。聞いてすぐ、処方していただきました。


「月経ってどんなんでしたっけか?」

ピルを飲んでから、自分の生活は劇的に変化しました。どれだけ劇的かというと「妊娠するため、ピルを止めるのを躊躇するレベル」です。

妊娠・子育て以外にやりたいことはたんまりありましたし、ピルをやめて妊活が1発でうまくいけばいいですが、うまくいかなきゃいつも通りの月経が来る、なんてとてもじゃないけど許容できませんでした。


「だったら産まなくていいや」


他人に煩わされるのもいやでしたし、パートナーも積極的に探さなくなり、今に至ります。


私が内服していたピルは21日内服して7日休薬、休薬中にごく少量の消退出血があるのですが「おりものシート」で3日間ぽっきりの対応で済みました。その消退出血も、数年経ったら3ヶ月に1回ほどしかこなくなりました。2年に1回の婦人科検診ではすっかりお休み中でちぢこまってる子宮が確認されました。あとは時々筋腫が出ては消えたり。

毎日、同じ時間に、というのがちょっと大変で、飲み忘れて翌朝、といったこともしばしばあったのですが、もともと「避妊目的」で飲んでるわけではありませんのでね。そこで妊娠の確率がどうの、というのは気にしないで良いわけですよ。

48時間以上の飲み忘れがなければ、大抵はどうにかなるわけですが、流石に48時間以上飲まない、ということはなかったです。旅行中「あれ、ちゃんと荷物に入れたっけ!?」とヒヤヒヤすることはありましたが、パスポートやお金の次に最重要事項なので笑 ちゃんと入ってました笑笑


そのうち


「女性って、月経って、なんだっけ?」


と思うくらいになっていました。


1日1回内服しなければならないということ以外はなんの問題もなく、32歳から44歳まで、月経が全くない男性同然に仕事や生活を回すことができた12年でした。


その後、44歳でピルを卒業し、ミレーナを挿入、現在に至るのは44歳子なし女性医師「閉経間近」も悔いなしで書かせていただいたとおりです。

執筆時点でミレーナ挿入から半年。挿入時と3ヶ月後、1週間の不正出血(量はピルの休薬時消退出血と同じくらい)のみで経過しており、今のところ脱出やズレなどの問題もございません。


ここ2~3年共に過ごしている2cmの筋腫も変わらずか、少し縮んでいるかしらな感じです。

ミレーナ挿入後の経過については、挿入1年を目処に、あらためて詳細をご報告できればと思います。


「ピルを飲んでいない」10代~20代が唯一「妊娠」のチャンスでした

こんなに楽なら10代の頃からピルを飲んでいたら良かったと思うか、と言われると、必ずしもそうではないですね。

2000年代のあの当時、生理のつらさを低容量ピルでコントロールする、という考えが今ほど浸透してなかった中、10代~20代前半の段階で、数ヶ月おきにピルのために婦人科へ通院、というのは抵抗がありましたし、そこまで生理が辛くて、ということもありませんでしたから、正直、そこまでしてピルを、とは思えませんでした。

万が一旅行などのイベントと重なってしまっても、タンポンで乗り切るなり、その時だけ婦人科に相談して日をずらすことで、ほぼ生活に支障なく過ごせておりましたので、あの時飲んでおけば、という後悔はないですね。

なので、望む・望まないは別として、少ない可能性の中で、妊娠のチャンスがあるとしたら、ピルを飲んでおらず、コンドームのみで避妊をおこなっていた10代~20代のころ、ということになります。
ピルなしで妊娠のコントロールや避妊という側面から考えますと、ピルと比べてコンドームは確実性に劣るわけで、正しく使用していても妊娠してしまう可能性はあるわけですから。

コンドームでの避妊に失敗、ということでしたら、どうでしょうね。
20代前半だったら両親に隠れてこっそり中絶していたか、両親に見つかってしまっていたら、彼らは中絶反対派なので、産むことになっていたかですね。

強姦やデートレイプなどにあうことなしに、その時その時で「本当に“したい”相手」を選んで性交渉に臨んでいましたので、もし万が一妊娠、ということがあっても、それは「その時望んだ相手」。

そもそも男性との性行為自体「妊娠をするため」の行為であるわけで、避妊することがむしろ自然に逆らう行為なのだという自覚はありましたから、「正常な経過」をたどって妊娠、となったらなったで、そういう運命なのだと、そこまでの覚悟ができる男性とのみ関係を持とうと、20代の頃からそのくらいの気概は、ありました。

その時点でとれる対策をとって、それでも、ということなら、中絶にしろ、産むにしろ、腹をくくろう、という気概はあったのです。
そういう意味ではあの頃から「自分の人生は自分で切り開いて」おりました。

余談ですけど、今でこそ、社会的に地位のある女性が「父親を明かさないで」シングルマザーとして子どもを産み育てていることもあり、母親と「医学部にいるうちに、どの彼氏でもいいから、まかり間違って妊娠・出産しちゃってたほうがよかったんじゃん?」という話になります笑笑

離婚後にピルを飲みだす一方でこれといったパートナーに出会えていない今、振り返れば10代~20代に「まかりまちがって」妊娠し、出産するというのが、私にとって唯一のチャンスでしたから。

もしそうなっていたら、両親のことなので、おそらく医師免許と専門医は私に取らせようと、子どもはきっといいとこ(10歳になるくらい)まで育ててくれるだろうし、私が専門医をとる頃には、子どもは10歳くらいなわけですから、ある程度子育てと両立できますよね。その時のパートナーとは「できちゃった結婚」としても、しないで認知いただくのみで(あるいは認知いただかなくても!?)、シングルマザーとして育てるのでも良かったんじゃないかと。

まあもちろん、まだ若くて知識のない若い私にも、20年前の時代背景的にも、両親の考え方的にも、難しかったでしょうけどね。


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