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極夜行 を読んで 冒険と哲学の関係を思索する(2)

今回は前回のnote記事からの続きの内容の著書です。

前回は「極夜行」を行いたい冒険家の準備の話でした。

今回は色々な問題をくぐり抜けて極夜行の準備を整え、実際に「極夜行」の行動記です。

では、書籍のメタデータを貼っておきますね。

今回も読書ノートからの書評ですので、小理屈野郎の読書ノート・ローカルルールの凡例を以下に示しておきます。

・;キーワード
→;全文から導き出されること
※;引用
☆;小理屈野郎自身が考えたこと


書名 極夜行
読書開始日 2022/05/17 18:59
読了日 2022/05/19 19:25

読了後の考察

圧倒的な存在感を放つ著書だった。
4年近い準備期間を経て、行った極夜の中での探検。
シオラパルクを出発してすぐに六分儀を失いコンパス航法だけで局地を長距離探検する。途中何度も死にそうになりながらも徹底した準備によってそれから逃れられていく。手に汗握るシチュエーション満載だった。
著者は、準備も周到だったこと、そして冒険しながら哲学的な思索を非常にわかりやすい言葉で行っている ところに舌を巻いてしまった。
状況としてはかなり良くないときでも自分を客観視し、そして事実をある程度冷徹に分析した上で、一歩一歩進んでいく。読んでいるこちらも手に汗握る所がいっぱいあった。また暗闇の中で歩行をしているところの描写が頻繁に出てくるのだがそれが非常に暗いにもかかわらず美しく感じる 表現がたくさんあった。著者の語彙の豊富さにも驚かされることが多かった。
このような探検は本人にとっても読者を含めた周りの人間にとっても非常に有意義だと思った。
この探検の準備編(メイキング)についての本があったので購入し、この著書を読み終わった後に読書開始とした。
また、この後著者はどのように極北の地と関わり合っているかという著書 についても購入した。
こちらも読んでいく予定。

概略・購入の経緯は?

久しぶりに角幡氏の著作を産経新聞夕刊の読書欄で見つけ、購入に至った。
氏が北極を旅したことをまとめた著書とのこと。

どんな冒険が待っているのか?読んでみよう

本の対象読者は?

光と闇について考えてみたい人
哲学的な思索時間を持ちたい人

著者の考えはどのようなものか?

極夜の世界に出たら、現代人が失ってしまった自然との基本的な結びつきを再発見できる

真の目的はどこかに到達することではなくて、極夜という特殊環境そのものを探検すること。(中略)極夜開けの最初の太陽を見ることが今回の旅の目的

テクノロジーの本質は人間の身体機能の延長であり、あるテクノロジーが開発されると、人間は本来、己の身体に備わっていた機能をそのテクノロジーに移し替えて作業を委託することになる。そうすることと作業効率の高まりは高まり仕事は迅速になって社会は発展するが、一方で個人レベルに目を移すと人間が自らの手を汚して作業する機会は減りそれまでの作業プロセスを通じて達成されていた外側の世界との接触点が失われるので、外界を知覚できなくなる。

便利になることと引き換えに人間は外界との接触点を失い、それまで知覚できていた外界がするりとこぼれ落ちて、その人間が持つ世界はまた一つ貧弱なものとなる

茫漠とした、とりとめの無い、全く不確かな感じ。闇によって資格情報が奪われることで、己の存在基盤が揺るがされる感じ。普段の生活で意識せずに享受しているがっちりとした揺るぎない世界から浮遊し、漂流している感じ。これらの感じから考えら得れる己の命のはかなさや心許なさ。ここにこそ極夜世界の本質はあるのかも知れない。

人間の存在もまた時間と空間の中にしっかりとした基盤を持つことではじめて安定する。安定するためには光が必要である。なぜなら光があれば自己の実体を周囲の風景と照らし合わせて、客観的な物体としてその空間の中に位置づけることが出来る(中略)やミニ死の恐怖がつきまとうのは、この未来の感覚が喪失してしまうからではないだろうか

→☆冒険がある種生業の著者は、なぜ冒険をするのか、そして近年科学技術の発展で冒険出来る範囲が狭くなってきたことを自覚しているようで、そんな中で自分はどのように探検を進めていくか、と言うことを今までの探検行の経験から、そして読書や人との交流から綿密に思索したと思います。
その輪郭が上記の引用に現れていると思います。

短い人生の中で35歳から40歳という期間は特別な時間だという認識があった。なぜなら体力的にも、感性的にも、経験によって培われた世界の広がりという意味においても、この年齢が最も力の発揮できる時期だからだ。この時期にこそ人は人生最大の仕事が出来るはずであり、その沿い行きに出来るはずの仕事を最高のものに出来なければ、その人は人生債だの仕事、さらにいえば人生に身をつかみ損ねると、そのように考えていた。

→☆普段から人生に対する洞察を行っていたことを感じさせる文書。そのように考えているから大きな仕事が出来たのかも知れないと思われた。

その上で、探検の最後の方に自分の探検の意義などを再度思索しています。

極夜の極野性は、暗い闇という外界の現象の中にあるのではなく、外界の現象を受けて湧き上がってくる私自身の心理状態の中にある。極夜を適切に怖い、不安だと思い、月光の存在にすがったり、北極星を絶対無比のよりどころとしたり、足裏感覚などという普段ならまず意識しないような身体感覚で地形を読み取ろうとしたりして必死にもがいているということは、それだけ極夜世界にしっかり入り込めていることの証。

人間社会のあらゆるシステムの中で最もだつシステムするのが難しいのは、実は太陽でもGPSでもなく家族だということ

極夜という暗闇の世界を旅してその果てに昇る太陽を見たいという私の衝動は、もしかしたら出生行為を追体験したいという無意識の願望の表れだったのではないか

→☆このようなかなりつらい体験の中でも思索を続け、本人なりの一定の見解を出してきたところが素晴らしいと感じた。自分はここまでは出来ないと思われる。

極夜は完全に道のカオスだった。過剰感たっぷりの世界だった。しかしカオスといったって単に暗くてよく見えないというだけの話で客観的に見ればむしろ静寂や沈黙が支配しており、どちらかといえば無に近い世界だ。しかし極夜に全身どっぷりつかった身としては。この静寂や沈黙こそカオスを生み出していた当事者なのだ、と言う実感が強かった。

その考えにどのような印象を持ったか?

著者の考え方に非常に感銘を受けるとともに哲学の発祥はこのように起こったのではないか、と思わせることが多かった。

そして普段から色々なことを突き詰めて考えている著者だからこそ、そしてその信念からの綿密な準備があったからこそこの探検が成功したのだし、それを他者に対して表現してくれたことについては感謝の言葉を述べたくなるような気持ちになった。

印象に残ったフレーズやセンテンスは何か?

極夜の闇の中で私は己を捨て、☆だけを信じなければならない状況になっていた。もしかしたら私はこのとき信仰というものの原初的形態を経験していたのかも知れない。
※局地というのは相違場所、つまり人間西というものを強制的に受容させる恐るべき場所なのだという<局地感>を植え付ける

→☆この極限の状態をしっかりとした自己の客観視で思索を続けていた精神力に感心 する。
普通の人ならここでうつ病などを発症したり発狂したりしているところだろう。

登山や探検の経験を積むことで、極夜を異次元の世界から探検の現実的な対象と認識できるようになった

読書で受けた極夜世界の強烈な印象は、知らぬ間に負から性に転換し、いつしか私は極夜世界の道の魅力と憧憬を覚えのようになっていた

類書との違いはどこか

探検にもかかわらずそこに非常に深い洞察が含まれているところ

まとめ

単なる探検本の範疇を超えた非常に示唆的な著書だった。
このような著書を書ける著者の精神力の強さと体力の頑強さを垣間見た気がした。


2回にわたってお届けした書評ですが、自分が感動したところがうまく読者の方に伝わっているかなあ、と言う気がしないでもないです。あまりに感動が大きかったのでうまく表現できているが不安ですが…

わかりにくいところを含めて気になることがあればコメントいただければ幸いです

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