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死にたいと思ったことのない人なんているのかな
最近仕事が忙しい。
とにかく忙しいのだが、そこには何の成長性も感じられない忙しさ、
そう、雑用祭り・・・・
忙しいのはうれしいことかもしれない、何もやることがないのは本当につらいものだ。しかしながら早や50年のほとんどをサラリーマンとして生きてきた私からしたら、今の忙しさに意味があるのかないのかが、残念ながらわかってしまうのだ。
今や周囲の80%以上がワーカホリックに囲まれたこの環境。
懐かしいと言えばそれまでであるが、私はそんな生き方に飽きたから以前の転職を決意したというのに・・・またこれかと思ってしまうのである・・
ワーカホリックなどただの自慰行為にすぎないと、どう教育したらわかっていただけるのか、答えをしっている人がいるなら教えてほしいものである。前職でも極度のワーカホリックと仕事をしていたことがあるが、もはや仕事をしていないと不安なのか、仕事をしたいのか、仕方なく仕事をしているのか、全く見分けがつかないというもので、気が付いたら休みであろうが仕事に来ているという救いようのない行動を続けていたものである。
その異様さは労いや感謝さえ、彼らが本当に欲しいものなのか、悩んでしまおうというものである。
ということでワーカホリックを強要され始めた今日この頃、ストレスはそりゃ止まらんだろってもんで、このままいくとよくない気持ちも待っていようと予測してしまうのである。
そもそも、ランニングをする余裕もなければジムもよくて週一しか行けないなど、なんのために生きているのかさっぱりわからない。
時が止まるとはこのことで、盆正月さえないものとして考えましょう的な頭のネジが切れていることを正当化する阿呆どもとは一緒になりたくないのである。
そう、気づいた方がいい。君たちが人生の大半を犠牲にしてきたと気づいた時には手遅れなのだと。
若い時に走り続けるのは簡単なことなのだ、だからこそ若い時に走る以外の選択肢を創造できる考え方に慣れておかないと、本当に大きな意思決定をしないといけないときに、人として間違ったことさえも平気でできる人間になってしまうというものだ。
働き方改革は、待ったなしであろう・・・・