ポケットから出てきたゴジラ
生まれ育った町はすごく小さい。
盆地であり横に広がりようがない土地の中に、住宅や学校や消防署に警察署など町として必要なものがぎっしりと詰まっている。
人口もさほど多くはなく、町には娯楽施設というものが全くと言って良いほどない。
小さなカラオケ店と寂れた飲み屋街と二階建ての小さな複合商業施設があるぐらいだ。
そんな小さな町に、今では潰れてしまった小さな映画館があった。
僕が子供の頃からすでにレンタルビデオ店に押されていたのだろう、いつの間にか閉館してしまった。
そんな当時に公開された映画『ゴジラ対モスラ』
有名怪獣のゴジラシリーズの一つだ。
ゴジラと戦うのはモスラという大きな蝶々。
当時まだ幼い僕は、初めて観る映画館の大きなスクリーンや、ゴジラとモスラの迫力、そしてモスラの卵を守る妖精役の綺麗な女優さんに目を奪われた。
映画が始まってから終わるまで一瞬たりとも目を離せず、ずっと齧り付いて観ていた気がする。
上着に着ていたパーカーのポケットに手を入れて、中に入っているゴジラの人形を握りしめながら。
このゴジラの人形は、映画館の入り口で入場者プレゼントとして配られていたもの。まさかゴジラの人形がもらえるとは思ってもおらず、一瞬でとても大切なものになった。
映画が始まるまでのまだ部屋が明るい時間、そのゴジラの人形をまじまじと見ながらゴジラのゴツゴツした強そうな手足や尖った背びれや火を吐く口の中にある牙を観察して遊んでいた。
映画が始まり部屋が暗くなり、手に持ったゴジラが見えづらくなる。
このままだと無くしてしまいそうで咄嗟にパーカーのポケットの中にゴジラを忍び込ませた。
ポケットから転がり出て落としてしまうのにも恐れ、ポケットの中に手を入れて常にゴジラを握り締め絶対に無くさないようにする。
映画の中では大きくて強いゴジラも僕のポケットの中では小さく、右手の中で握られ転がされている。
映画の最初から最後までポケットの中にいた小さなゴジラは、映画の中のゴジラがモスラとの戦いを終えエンドロールが流れるまでポケットの中で手汗にまみれ放題だった。
上映が終わり、シアタールームから大勢の人たちが波のように出口へと向かっていく。
こんなに人がいたんだと驚いた。
娯楽のない小さな街で上映された公開したばかりの新作映画。大勢の同年代の子供たちとその親たちの休日のお出かけにはもってこいだったのだろう。
そんなに大勢の人たちがこの部屋の中にいたことにすら気づかないほど映画に夢中になっていた。
普段あまり体験することのなかった人混みに多少の混乱をしながら映画館から出て父親の車に乗る。
まだ映画の余韻が頭の中に心の中に残ってふわふわとした不思議な感覚に襲われている。
映画を見た後に感じる、映画の世界から現実世界に戻ってきたばかりのワープした感覚を味わうのも人生で初めてだった。
興奮冷めやらぬまま、映画の様々なシーンを思い返しながら外の景色を眺める。
ふと気づく。
ポケットの中のゴジラはちゃんとあるかな。
初めての人混みや映画鑑賞後の感覚に我を忘れており、大事なゴジラの人形がちゃんとポケットの中にあるか確認するのを忘れていた。
右ポケットに入れていたはず。そう思い右ポケットに手を入れてゴジラを探す。
ない。
ポケットの中なんてそんなに広くはないはず。あるのならばすぐに見つかるはず。
それなのにポケットの中を探してみても、ゴジラが見つからない。
落としたんだ。
そう思い混乱する。僕のゴジラがない。
映画を見ている間、ずっと握り締め続けていた僕のゴジラ。
すっかり宝物になっており、大事なものを無くしてしまったことに焦っていた。
先ほどまで感じていた映画鑑賞後の余韻は一気に吹き飛び、頭の中は無くしてしまったゴジラのことでいっぱいになる。
心臓が締め付けられるような、悲しい苦しい気持ちになった。
どうしよう。当時あまり父親に自分のやりたいことや気持ちを表現するのが苦手だった僕は、ゴジラがないことも言えず茫然としていた。
その茫然としたまま不意に左ポケットにも手を入れてみた。
ついさっきまで右手の中で感じていた、ゴツゴツした足、尖った背びれ、開いた口の中にある牙の感触が今度は左手の中に感じる。
咄嗟にそれを左手で掴みポケットから引っ張り出してみる。
ゴジラだった。僕のゴジラ。
さっきまで迷子だった僕のゴジラは、迷子だったくせに相手を睨みつけるような顔で僕の方を見ている。
でもなんで左ポケットからゴジラが出てくるのだろう。さっきまで右ポケットにいたはずなのに。
ゴジラがあったことへの安堵感と同時に襲ってくるその疑問に、今度は頭の中が不可思議な出来事に対する探究心でいっぱいになる。
その謎を解明するのにさほど時間はかからなかった。
探究心のままに両ポケットにそれぞれ左右の手を入れて奥の方まで探ってみると、両手に自分の手を触った感触があった。
なんと僕が着ていたパーカーのポケットは、トンネルのように左右で繋がっていた。
おそらく下ろしたてだったのだろう。あまり着慣れておらず、そのパーカーのポケットの構造をまだ把握しきれていなかった。
そのポケットの中のトンネルを、ゴジラは僕が人混みにまみれている最中に右側から左側に移動していた。
ゴジラがちゃんとあった安堵感と、ポケットが左右で繋がっていたことへの驚きで今度は頭がいっぱいになる。
なんとも忙しい。
ただ、とりあえずゴジラがあってよかった。
同じような人形は映画を見にきていた他の子供たちも持っているが、僕のゴジラはこれだけだ。
見た目は他のゴジラと同じでも、このゴジラは僕だけのだ。
その後寝るときも布団の枕元にしばらく置いていたゴジラの人形。
今となってはもうどこかに無くしてしまったか捨てられてしまったか手元には残っていないが、もし叶うならばまたあのゴジラを握りしめたい。
人生で初めて見た映画は、田舎町で暮らす僕に初めての経験や光景や感情を大忙しで味わせてくれた。