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書くメンタルヘルス

インターネット黎明期にそこそこ人気ブログを・・

書いていた。ただブログといっても当時はその言葉すらなく、いわゆる自分のサイトをプロバイダのレンタルサーバ上に作り、自分で適当にCGIを組みチャットや掲示板をおいて、そのついでに日記を書いていた。

1997-8年頃だったと思う、サイトの数も少なかったので、品質が悪くてもアクセスが稼げた時代だ。

日記を書くという行為が、当時、自分のメンタルをすっきりさせたし、共感した人達がそのサイトに集まる同類との交流を求めて訪問してきた。そして、時間が経つと常連も増えていき、訪問者数が増えていった。1日1万人程度の訪問者はあった。

訪問者数が増えていくにつれて、私の気持ちも徐々に変わっていき、、いつのまにか「訪問者数が自分の価値」というか、自己肯定感というか、承認要求を満たしてくれる指標みたいなものになってしまった。

そのうち、さらに訪問者数を増やすために、自分の思いから離れて、訪問者サイドが喜びそうなことを書きがちになり、、

結局、、自分に疲れて10年ほどで辞めた。

もう、かれこれ、、それは2008年の頃だから、結構前の話になる。

世間でスマホが普及してからは、私は何かを書く代わりに、何かをスマホでむさぼり読んだ。読んだというか眺めてることが多い。それはネットに繋がらない時間の方が短くなるほど、、。

私だけではなく、同じ行動をとっている人は結構いるのではないだろうか。目的があるわけでもなく、何か目的を見出すために、もしくは無自覚にだらだらとスマホを見るようになった。

スマホはパチンコかタバコ

目的のない旅や散歩は意味があるかもしれない。だけど、目的のないスマホの使用は、何かに満足した気になっているだけというか、、パチンコに嵌っている心理に近い(と思う)。何かに渇望し、何かを埋め合わせたいのに、渇望の根源が何なのかもわからないし、何を埋めたいのかもわからなく、少なくとも、私はただただ、無為にスマホを使っている。

私はロスジェネ。
スマホに時間を奪われてる場合ではない。

結果として、いつも頭が疲れ、思考も、ぐちゃぐちゃになることが多くなり、ネットを見る側よりも、もう一度書く側になろうと思った。

なんていうのだろう、「病気」じゃないけどある意味「病的な何か」から解放されたく、「治療」じゃないけど「治療的なもののひとつ」だと思って、これから定期的にもやもやを書こうと思う。

自分でもよくわからん。

解放されたい「病的な何か」とか、何の「治療」なのか、何に渇望してるのか、、自分でもよくわからない。だから書くことで整理していく、そして、こんな書き込みが誰かの役にもたつのではないかと、生意気なことを考えている。

ほえほえー。

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