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“ミュンヘン”で学ぶ「モサド」

イスラエルとパレスチナはなぜ戦争をしているの?
簡単に語れない問題ですが、両者の対立の象徴的な事件のひとつがミュンヘンオリンピック事件です。
ミュンヘンオリンピックで起きたテロによりイスラエルの選手団が殺害されました。平和の祭典というオリンピックのお題目は意味をなさず、世界に衝撃が走る事件でした。イスラエル政府はその報復としてテロリストたちを暗殺する計画を立てました。
映画"ミュンヘン"はイスラエルの報復「神の怒り作戦」の当事者たちを描いたスティーブン・スピルバーグ監督によるサスペンス・スパイ映画です。

映画「ミュンヘン」のあらすじ

1972年、ミュンヘンオリンピックでパレスチナのテロ組織「黒い九月」がイスラエル選手団を襲撃し、11名の選手が殺害されるという悲劇的な事件が起こる。

この事件を受けて、イスラエル政府は報復として、テロ組織の首謀者11名を暗殺する秘密任務を発令。イスラエル諜報機関モサドのエリートチームが結成され、世界各地で暗殺作戦を開始する。

イスラエルとパレスチナの関係

イスラエルとパレスチナの関係は、非常に複雑で歴史的な経緯を持つため、簡単に説明することは難しいですが、主なポイントを以下にまとめます。

イスラエルとパレスチナ問題の背景

紀元前13~15世紀、ユダヤ人はカナンという現在のイスラエル / パレスチナ地域に住んでいましたが、古代エジプト王朝により迫害され、カナンから脱出することとなりました。これは旧約聖書の出エジプト記に記載されています。

彼らはその後、多くの国に逃れ、故郷を失った民族として異国の地へと徐々に定住していきました。しかし、20世紀初頭に、シオニズム運動(ユダヤ人のパレスチナへの帰還運動)が高まり、パレスチナに住むアラブ人との間で土地や資源をめぐる対立が深まりました。
第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナから撤退すると、国連はパレスチナをユダヤ人とアラブ人の二つの国家に分ける決議を採択しましたが、アラブ諸国がこれを拒否し、第一次中東戦争が勃発。ユダヤ人による国家イスラエルが建国されました。

紛争の長期化

イスラエル建国後も、パレスチナ人との間で領土問題、難民問題、安全保障問題などをめぐる紛争が断続的に続いています。パレスチナ解放機構(PLO)やハマスなどの武装勢力がイスラエルを攻撃し、イスラエルもこれに対抗して軍事行動を取るという構図が繰り返されてきました。
1993年にイスラエルとPLOの間でオスロ合意が結ばれ、パレスチナ自治政府が設立され、和平に向けた動きが見られました。
しかし、その後もテロ事件やイスラエルの入植活動などが原因となり、和平交渉は何度も中断し、現在も膠着状態が続いています。

ミュンヘンオリンピック事件発生

1972年9月5日に西ドイツのミュンヘンで開催されていた第20回夏季オリンピックにおいて、 パレスチナの武装組織「黒い九月」のテロリスト8人が、オリンピック選手村に侵入し、イスラエル選手団の宿舎を襲撃しました。
テロリストはイスラエル選手9人を人質にとり、パレスチナ人の解放を要求しました。ドイツ当局は、テロリストとの交渉を試みましたが、最終的に救出作戦を決行。しかし、救出作戦は失敗に終わり、人質となっていたイスラエル選手9人全員と、テロリスト5人が死亡、ドイツ警察官1人が犠牲となりました。

神の怒り作戦

イスラエル政府はこのテロに対して報復に出ます。実行部隊はイスラエル諜報特務庁(モサド)です。作戦名は「神の怒り」。
そして、無関係な人々も巻き込む悲惨な報復合戦が始まります。
モサドの構成員は軍人や科学者、言語学者、弁護士、会計士、エンジニアなど様々な専門家です。
モサドの活動は情報収集、暗殺、誘拐、潜入捜査、サイバー攻撃など多岐にわたります。彼らは多言語を操り、高い知能と体力、メンタルの強さとイスラエル国家への絶対的な忠誠心が求められます。
イスラエルは徴兵制を採用している国家であり、その際に工作員としての適性を判断していると言われています。

モサドは、非常に秘密性の高い組織であり、その活動については多くの謎が残されています。上記の情報は、公開されている情報に基づいた一般的な説明であり、必ずしも正確であるとは限りません。


まとめ

国家による報復は、一見正義のように思えますが、その裏側には、終わりなき報復の連鎖、そして人間の尊厳の喪失という暗い影が潜んでいます。アヴナーをはじめとする暗殺チームのメンバーたちは、国家のために戦いながらも、その行為に苦悩し、葛藤する姿が印象的でした。

この映画が問いかけるのは、テロに対する報復が果たして正当化されるのか、そして、無限の報復の連鎖の中で、私たちはどこへ向かうのか、という根本的な問題です。

あなたはどう思いますか? 国家の報復は、ある意味では必然的なものだったのでしょうか?それとも、別の解決策があったのでしょうか?

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