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ある中国朝鮮族一家の運命の分かれ道(2/2)

わずか1週間が一家の運命の分かれ道に

ところが、ここで運命の分かれ道が起こる。

米の収穫が終わり北朝鮮へ持参する財産として所有していた資産を処分して換金していたときに中朝国境が封鎖され朝鮮人たちは、北朝鮮へ移動できなくなってしまった。

家族からはあと1週間早く出発していれば帰還できたのに…という残念がる声もあったが、また、国境が開放されたら帰還しようとなった。

しかし、国共内戦に勝利して朝鮮戦争勃発の半年ほど前の1949年10月1日に建国された中華人民共和国では、大量の労働力が必要となり、朝鮮人の帰還を認めなくなった。

社会主義での新しい国家建設のためにと資産を持っていた朝鮮人は中国政府に没収もされた。

大躍進政策後10数年ぶりに戻ってきた姿に驚愕

中国の朝鮮人の若者が朝鮮戦争で真っ先に最前線へ送られて戦ったりを経て、1953年に朝鮮戦争は休戦を迎えた。

朝鮮戦争後も北朝鮮へ移動は制限されたまま10年ほどが経過した。

1960年代に、沈さんの祖父の弟(大叔父)とその息子(従兄弟違)が10数年ぶりに瀋陽へ戻ってきた。

その姿をみて沈さんの父親らは驚愕したという。

血色悪く痩せこけて別人のようだったからだ。

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https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/7352/

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